竹内好は戦前戦後の中国文学者.評論家です。



日本の中国観には、

中国は遅れた国であるという侮蔑感、
遅れているはずの中国は実は巨大な国であるが故の侮蔑感を裏返した恐怖感、
同じアジアの一員であるという親近感、
この3つがあるという。
言われてみれば、これは現代でも同じかなと思う。私なんかは個人的に中国史が好きなので、勝手に中国に対する親近感を醸成してしまっているのだけれど、今まで中国を遅れた国だと軽蔑していた人は、21世紀に入っての中国経済の急成長に恐怖感を抱くというのはあるだろう。



この日本の分裂した中国観を切り口に、竹内好は太平洋戦争の原因について考えている。

太平洋戦争の前に日本は日中戦争を戦っていた。日中戦争の本格化というのは昭和12年の第二次上海事変からだろう。中国相手だからどうせすぐ勝てるだろうと思って、軍部はこの戦争を始めたのだろう。太平洋戦争が始まる前の御前会議で、杉山元が昭和天皇から対米開戦の勝算を尋ねられ楽観的な回答をした時に、昭和天皇から



「汝は支那事変勃発当時の陸相である。あのとき事変は2ヶ月程度で片付くと私にむかって申したのに、支那事変は4年たった今になっても終わっていないではないか」



と突っ込まれていた。楽観というか中国を甘く見ていたというのはあるだろう。

日本軍は南京を落として勝ったと思ったのだろうけれど、蒋介石は重慶に立てこもって戦うという戦術を取った。中国の粘り腰を眼前に見続けて、日本軍には巨大な大陸に対しての恐怖感というのは生まれてくるだろう。

戦前の日本には欧米の植民地にになっている多くのアジアの地域が開放されるべきだという考えが確かに存在した。決して否定できない美しい考えだと思う。アメリカの大恐慌以降の切迫した状況で、日本と中国が手を取り合って欧米諸国をアジアから叩き出すべきだという考えに整合性があっただろう。手を結ぶべき中国が、イギリスの手先になって国内を統治するというのは許せない。
(このとき中国はイギリスの援助で銀本位制を確立して経済が安定しつつあった)

中国は日本と組むべきであって、一撃すれば中国も目が覚めるだろうと。しかし日中戦争は長引いて、心ある日本人も、この戦争は中国に対する侵略戦争ではないかと暗鬱とした気持ちになった。 



侮蔑、恐怖、親愛。



中国にとってはいい迷惑なのだろうけれど、日本にとっては政治的にどうにもならないどん詰まりに追い込まれてしまった。

その全てを解決する方法が対米戦争だった。



なるほど。この考え方にはある一定以上の整合性がある。失われてしまった時代の雰囲気を再構成しようという気概がある。太平洋戦争は軍部の暴走であるという簡単極まる歴史観よりははるかにマシだろう。



上記は竹内好の評論を論理の部分だけを取り出して私なりに再構成したもので、本当の竹内好の凄みというのは論理の向こう側にある。明治大正昭和それぞれの内側から時代の雰囲気を見ようとするその誠実さ。しかし別の世界を完全に理解することは不可能であろうという諦念からくるリリシズム。

例えばこんな感じ。



(日本ロマン派は戦争を煽ったということで、戦後において悪名が高い。日本ロマン派の中心であった保田與重郎についての一部分)

「小林秀雄は、事実から一切の意味を剥奪するところまで歩むことはできたが、その先へ出ることはできなかった。保田という巫が、思想の武装解除を告げに来るのを待つより他なかった。そしてそれは来た。知的戦慄の一撃とともに来たのである」



「近代の超克」の一部を抜粋しただけなので分かりにくいかもしれないのだけれど、前後を精密に読めば、ちょっとたまらないものがある。