magaminの雑記ブログ

カテゴリ:純文読書日記 > 荻生徂徠

荻生徂徠というのは、18世紀初頭の儒家です。
荻生徂徠なんていう忘れられた儒家の「政談」などという忘れられた書物を現代に読んで何の意味があるのかと思われるかもしれないのですが、まあまあ。

人類は中世という弱肉強食の世界から近世という時代に移行したと。近世というのは、社会全体にまとまりをつけて、集団がより合理的により強くなろうとするモチベーションの存在する世界です。日本で言うと、16世紀初頭に畿内でこのような精神運動が発生して、徐々に周りの諸国に広がっていったと思われます。このような社会の動静をうまく利用してのし上がったのが戦国大名と言われる人たちでしょう。

日本では16世紀初頭から徐々に人口が増え始め、17世紀に爆発的に増えたのですが、18世紀初頭には人口が停滞するようになります。200年続いた経済成長が止まったということになります。現代日本みたいな感じです。

成長が止まったからといって中世世界に戻っていいかというと、そういうわけにもいきません。現状維持のために、ある一定以上の社会秩序を維持しなくては。
社会秩序の維持という問題は、哲学的政治的問題となります。成長の止まった社会には様々な問題が現れます。その解決策として、個人の生産性を高めなくてはいけないとか、個人がもっと消費を節制するべきだとか、そのような意見も出てくるでしょう。

しかし社会秩序の維持に関して最も重要でセンシティブな問題は、社会からこぼれ落ちそうな人をどうするかということです。
よくある意見というのが、個々人がそれぞれにしっかりと人格形成すればいいのではないか、というものですが、そんなことが簡単にできるのならば、そもそも社会秩序の維持という問題は存在しないのです。

例えば近世イギリスの場合、犯罪者もしくは犯罪者予備軍を毎年5000人、新大陸に向けて切り捨てたという統計があります。犯罪者といっても、借金が返せないとか、現代では犯罪にならないような人たちを大量に含んでいます。犯罪者予備軍といっても町の浮浪者とかです。イギリスはヤバそうなやつは大陸送りにすることによって、その内部の秩序を維持したわけです。

では18世紀初頭の経済成長の止まった日本はどうするか? 日本はイギリスのように底辺層を切り出すような植民地を持っていません。
イントロが長くなってしまったのですが、ここで荻生徂徠の「政談」ということになります。

荻生徂徠は「古学」というものを始めたという、また以下これめんどくさい説明になって申し訳ないです。

儒教の聖典を「四書五経」といいます。五経のほうが四書より上とされていて、五経は「易経」「書経」「詩経」「礼記」「春秋」の5つの文書を指します。しかしこの「五経」、正直読んでも何を書いてあるのかわかりません。例えば「春秋」なんですけど、これ自体は春秋時代(春秋が書かれたから春秋時代というのですが)の魯という国の極めて淡白な年代記です。これだけ読んで何か深淵な意味が理解できるというものではないです。なんせ淡白な年代記ですから。
なぜ読んでも意味の分からない「五経」が儒教の経典になったのかというと、後世の儒家が「五経」に意味をドンドンのせていったわけですね。そのうち伝統の重みみたいなものも出てくるわけです。
これがですね、宋代に入りまして、新しい時代に伝統の重みはうんざりだということになりまして、「五経」を棚上げにして「四書」を重視するという流れが出てきました。
「四書」というのは、「論語」「大学」「中庸」「孟子」の4つの文書を言いまして、これらは直接読んでも意味が分かります。この「四書」をメインにして、これまでの儒教を再編成しようという新儒教の運動が現れまして、この運動を集大成したものが朱子学と言われるものです。
ですから朱子学というものには、伝統にとらわれず古典を直接読もうという意思が内在しています。
しかし朱子学も伝統化してしまうのですが、荻生徂徠の古学というのは、この朱子学の伝統を振り払い「四書」を直接読もうという運動であり、話が長くなって申し訳ないのですが、荻生徂徠の古学というのは、結局朱子学の一派ということになります。

そこで荻生徂徠は古典を直接どのように読んだのか?ということになります。

「孟子」という書物がありまして、孟子という人物自体は紀元前300年ぐらいの人です。中国の紀元前300年というと、もうあと100年ほどで秦の始皇帝が中国を統一するという時でして、秦以外のほかの国々は、いかに自分の国を維持するか、さらにあわよくば自らの国を覇者の国、現代風に言えばヘゲモニー国家にするかを真剣に考えていた時代です。そのような時代に孟子は、いかにすれば国家は強くなるかというのを君主に説いて回るような遊説家だったのです。

孟子の論理というのは、国家が強くなるには人民をシバキあげて言うことを聞かせるなどというレベルの低いことではだめで、国家は人民を慈しみ人民は互いにその性善を信じて助け合うという上下の努力によって、その社会秩序を強化するべきだというものです。
要するに孟子には、国家が人民の生活にまで介入する、という論理と、人民が互いにその性善を信じあうという二本柱の思想になっています。
荻生徂徠の思想というのは、どちらかというとこの前者の「国家の介入」というところに重きを置くスタンスです。
国家が人民の生活にまで介入する、なんていうと何だかイヤーな感じがするだろうと思うのですが、これは別にまじめに生活している人にまで国が介入するというものではないです。社会からはみ出しそうになっている人たちに介入するという意味です。
例えば、ハロウィンの渋谷で多くの若者が暴れるという事件がありました。あのような若者をどうするかと考えた場合に、まじめな人とダメな人とは住む区域を別にして日本という一つの国にあたかも二つの国があるかのようにするべきだ、などと明確に考えたりする人はさすがに少数派でしょう。多くの人は、国家がふざけた若者を正業に導くような介入をするべきだ、と考えるか、周りの大人が若者の性善を信じて若者を正業に導くべきだ、と考えるかという二つの考えのバランスの内にあると思います。
荻生徂徠は、このような意味での国家主義者です。

具体的に「政談」でどのようなことが書かれているかというと、

「近年になって無宿者になった類は、いずれも自分の身の働きが悪かったためとはいえ、もともと愚かなもので、その身の慎みが悪くなったというのも、国の政治が悪いために、世の中の風俗も悪くなり、また景気が悪くなったという状況の中から生じたものであるから、つまりは為政者たる幕府の責任というべきである」

というような論調です。
さらに荻生徂徠が体罰問題について語るとこのようになります。

「本当の治めというのは、末々の者まで一人も見捨てることはできないと思い込んで、その人々のことを心にかけ世話をしてやることである。下の者を処罰したりだましたりすることもあるが、要するに面倒をよく見て、心にかけ、とにかく下の者の生活が成り立っていくようにしてやることが仁である」

誰もができることではないでしょうが、一つの見識だとは思います。

歴史的な条件から考えて、これからの日本が荻生徂徠的な世界観に移行していくことも十分あり得ると思います。



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荻生徂徠(1666-1728)は江戸中期の儒者です。

私達のこの世界は何故このようにあるのか? 天皇制とは何なのか、太平洋戦争とは何なのか、明治維新とは何なのか、連なる疑問を考え続けて、ついに荻生徂徠の「政談」まで読む羽目になりました。

荻生徂徠の「政談」は、読みにくくはありますが、内容的には理解可能な範囲です。
核心部分だけをざっくり要約すると、
徳川幕府のシステムというものは、ただ家康公の遺産を継続しているだけで、現状においては体系的社会システムとして統一性がない。現在、武士は城下町に居住しているが、これでは日本全国を統一的に支配する事はできない。武士が農村に住むということから始めて、日本を精神的物質的に統一して、一つの生命体、一つの体系として活性化するべきだ、というのです。

この考え方は、国民の精神生活まで国家が手を突っ込んできた明治国家、さらには現代の日本につながるものがあります。

荻生徂徠は、国民を導く体系的システムを「術」と言います。中国古代の堯舜などの聖人は、国民の精神面物質面を何百年にもわたって巨大に巻き込む術を形成しました。そこに生きる人間は、その術なるものを意識することなく、社会を維持することにそれぞれの生きがいを見いだし、自分の人生に満足しながら次の世代にその精神を継承する。何百年にもわたり時代は維持されるのです。

これは古代における理想郷の話のように思えてしまうのですが、実は明治維新から現代に至るまでの、何らかの日本近代精神の核心をえぐるものではないでしょうか。
現代日本において無職なんてものは蛇蝎のように軽蔑されます。人は自らの長所を活かし、社会のために役に立ってこそ、価値のある人生が送れるという。荻生徂徠的に言えば、私達は明治国家を創った人たちの術の中にいるわけです。

結局人間は術の中でしか生きられないし、その術から出ようとすれば、術のそとにまた別の術を創ってそこに移行するだけ、結局たいして変わりがない。荻生徂徠は何らかの真理を語っていることになります。

荻生徂徠はやんわりとしたマキャベリズムを語る。



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