徳富蘇峰は「八重のさくら」に登場していて、これは蘇峰関係者にとっては画期的なことであったと、徳富蘇峰記念館のお嬢さんが言っておられました。

徳富蘇峰 終戦後日記 『頑蘇夢物語』学術文庫版【電子書籍】[ 徳富蘇峰 ]
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徳富蘇峰の「吉田松陰」は明治26年発表です。


徳富蘇峰は民権論者から国家主義者に転向したということで、現代においてはあまり人気がないです。しかし、蘇峰の「吉田松陰」を読むかぎりかなりの名文家で、蘇峰の本があれば、また読んでみたいですね。


この「吉田松陰」という本は、コレ反則だろ、というくらい吉田松陰自身の文章からの引用が多いです。蘇峰が当時の背景を丁寧に語っては松蔭の文章をドーンと押すという繰り返しです。

やっぱ吉田松陰はいい、というのを体感させてくれます。

松蔭を所詮テロリストだと簡単に判断する意見もありますが、それは現代の価値観が絶対正しいという見地から過去を判断しようという、ある種の想像力不足の結果です。

現代の価値観は絶対正しいのでしょうか。個人にとって生きる意味とはなんなのでしょうか。もう現代には生きる意味なんていうものはないのでしょうか。お金を稼いで、いい生活をして、いい女とセックスをすればそれは生きる意味になるのでしょうか。
松蔭は、弟子に生きる意味について聞かれてこう答えます。
「生きる意味が分からないなんていうのは全くぼんやりした考え方だ。そんなことでは何百年生きても満足しないぞ。ぼんやりしている人にははっきり言うしかないな。
人生わずか50年、なにか腹にいえるようなことをやって死ななければ、成仏もできないぞ。いかに生きるかではなく、いかに死ぬかを考えろ」

これはたくましい日本の実存主義です。このような生き方をする人はかっこいい。私もこうありたい。
吉田松陰はすごいし、徳富蘇峰はうまい。


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