この「近時政論考」という本は、明治維新から明治20年ごろまでの政治的主張の歴史と、それを踏まえての陸羯南自らの政治的主張(国民論派というらしいですが)が書いてあります。陸羯南にとっては自分の政治的主張がメインでしょうが、私が注目したいのは前半の政治論史です。

陸羯南は明治維新を自由主義革命であると定義します。明治新政府は基本的に革新政府なのです。その革新政府が帝政論派と自由論派に分裂するのです。
天皇を中心として日本国の統一というものを重視するのが帝政論派で中心は伊藤博文です。
国民の自由平等を重視するのが自由論派で中心は板垣退助です。
すなわち帝政論派と自由論派は同じ明治維新から生まれてきているわけです。

明治維新から何年か経って「改進論派」なるものが生まれてきます。改進論派とは帝政論派と自由論派の中間みたいなもので、権威よりも富を、平等よりも自由を重視します。改進論派の中心は大隈重信です。陸羯南は改進論派は貴族主義であると喝破します。

ここからは私の仮説なのですが、昭和の初期にヘゲモニーを握っていたのは改進論派の末裔なのではないでしょうか。西園寺公望、牧野伸顕は大隈重信の後継者だったのではないでしょうか。昭和初期の騒乱というのは、改進論派から帝政論派と自由論派が連合してヘゲモニーを奪い返そうとする争いの結果なのではないでしょうか。
結局、昭和の改進論派は太平洋戦争の敗戦でほとんど消えてしまいました。大日本帝国は明治維新からのエネルギーによって押し流されてしまったのですか。

これをさらに現代にひきつけてみましょうか。いま新自由主義みたいな考えを表明する人がいます。能力のある人はグローバルに稼いで、その他大勢の日本人の賃金は新興国の賃金に近づいていってもしょうがないというものです。これは改進論派の議論です。これを何十年にもわたって固定化すると、この社会は貴族主義になります。危ないのではないでしょうか。全てを押し流す人民の波がまたやってくるのではないでしょうか。とくに日本には「天皇」という一筋の血路がありますから。