magaminの雑記ブログ

カテゴリ: 明治評論

家族旅行で湯河原に行った帰りに、徳富蘇峰記念館に行って来た。
私と妻と子供四人で家族旅行。
子供が温泉に行って楽しいのかどうか怪しいと思うのだけれど。

そして湯河原から東海道線で帰る途中の二宮という駅で降りて、徳富蘇峰記念館まで徒歩。

徳富蘇峰記念館は東海道線二宮駅から15分ぐらいだった。まずその記念館の入り口には鍵がかかっている。横に張り紙があって、当館にごようの方はこの呼びだしボタンを押してください、みたいなことが書いてある。

まずもってよっぽど客が来ないのだろうと推察される。

実際に入館して、係員の女性の人が徳富蘇峰の履歴という10分ほどのスライドビデオを写してくれた。私は興味深く見たのだが、高校1年の娘はこの時点で机に突っ伏して寝てしまった。

係員の女性に、
                                                   「ごめんなさいね、私は徳富蘇峰にすごく興味があるのですが、他のやつらは蘇峰の名前も知らないんですよ」

というと、ニコニコ笑いながらうなずいていた。
蘇峰に興味のあるやつが1人でもいればありがたいぐらいのことなわけだろう。

ビデオを見終わった後、二階の展示室に行くと、蘇峰が保管していた明治大正の有名人の書簡が陳列されていた。伊藤博文とか新島襄とか勝海舟とか原敬もあったね。その後一階に下りて、蘇峰の蔵書を見て、これで1時間くらいか。

その1時間の間に私たち以外のお客さんは誰も来なかった。

帰る前に係員の女性の方とちょっと喋った。
彼女が言うには、最近のNHKの大河ドラマの八重の桜で蘇峰が登場している、という。これは蘇峰関係者にとっては画期的なことらしい。

私が蘇峰の「終戦後日記」について話すと、彼女もそれを読んでいて、この女性はただの係員ではないと判明する。彼女によると蘇峰の本はほとんどが絶版で、それを手に入れようとするなら古本屋しかないということだ。

私が、蘇峰はそろそろ再評価されてもいいのではないかというと、彼女は、蘇峰自身は500年後に再評価されるだろうと言い残していましたからあと440年ですね、と寂しそうに笑っていた。
                                                      蘇峰関連の文献を借りに来る研究者はかなり存在するらしい。そこで彼女に、この「終戦後日記」の内容を実証的に検証しようなんていう研究者は存在するかと聞いてみたら、全く存在しないということだった。蘇峰はA級戦犯ということで、研究者の評価が極めて低いという。

日本の大学は何をやっているのか。こんなことをいうのはなんなのだけれど、近代日本の研究者はまったく馬鹿の集まりだろう。

高1の娘はまだ寝ている様子なので、これを起こして徳富蘇峰記念館を後にした。                   

徳富蘇峰はほとんど忘れ去られた存在だといってもそう事実と違うというわけではないということだろう。


丸山真男は「日本の思想」の中で、近代日本には精神史がないとか西洋のようなイデオロギーがないとか言っていたが、これは明らかに間違いだ。精神史とイデオロギーというのはつながっている。精神史というものは歴史の雰囲気史というべきもので、雰囲気史などというあいまいなものを記述するためには、何らかの中心概念に基づく世界観、すなわちイデオロギーというものが必要だ。                                       私は徳富蘇峰の「終戦後日記」を読んだのだけれど、これは見事に明治維新から太平洋戦争終戦までの日本の精神史になっている。丸山真男が近代日本には精神史がないと言ったのは間違いだった。それは存在していた。厳然と。                                                                では徳富蘇峰がどのようなイデオロギーで精神史を記述することができたのか。「終戦後日記」の最後の最後で、蘇峰自身、程顥(ていこう)と朱子の程朱思想、すなわち性善説と一君万民思想で家庭的教育を受けたと告白している。この性善説を内包した一君万民思想というのは全く強力で、いうなれば世界を切り裂くナイフのようなものなんだよ。このナイフは人々の生命をエネルギーに世界を切り裂く。よく思い出して欲しい。吉田松陰、高杉晋作、西郷隆盛、大正以降の暗殺者達、一人一殺、515事件、226事件、これらは性善説を内包した一君万民思想を基底とした善意や正義から立ち現れたと思う。                                            そしてこの程朱思想がどこから来たのかというと、もちろん中国だ。私、中国研究家ではないのでよく分からないのだけれど、中国の歴史の厚みがすごすぎて、孟子、程顥、朱熹、王陽明、というラインが中国本土では埋もれてしまっていたのではないかな。                                                   日本は確かに中国に先駆けて近代国家というものを建設したかもしれない。しかしそれは西洋に対抗するイデオロギーを中国から引っ張ることが当時出来たということではないのか。これは別に日本の恥でもなんでもなく、ただ中国が巨大だったという、まあ当たり前のことに帰着する。

福沢諭吉は今読んでもキラキラしている。ほとんど文句のつけようもない。

しかし福沢諭吉をトータルで考えると引っかかるところもある。脱亜論とかもあっさり過ぎる感じもする。そして慶応大学というのはいつからお坊ちゃま大学なのか?なんていう疑問もわいてくる。
                                                       徳富蘇峰によると、慶応義塾とは福沢が明治初期に開いた学問の一大マーケットであって、そこに日本中の金持ち、土地持ち、有産階級の子弟を集めそれをまた全国に配布した、とある。
慶応義塾とは最初からお坊ちゃま学校だったらしい。
明治初期には東大はあったけれども、京大以下の帝国大学は存在していなかった。明治政府は慶応義塾に対抗するために帝国大学の整備を急いだということもあるらしい。                        

福沢諭吉のフクオウ自伝の中に、福沢が兄にお前は将来どうなりたいかと聞かれて、金持ちになりたいと答えたなんていう場面がある。福沢の思想の一つに独立自尊というものもある。

拝金主義と独立自尊。
                                                       徳富蘇峰が言うには、福沢精神の下落したるものが拝金宗で、福沢精神の最も浄化したるものが独立自尊である、という。

この言説は一理あるな。

福沢の文章というのは、文明的で論旨が明快でなおかつ読んで面白いという。頭のいいヤツはどんどん頑張れみたいな膨張主義的なところがある。これをさらに押し詰めて考えると、ぼんやりしたヤツは頭のいいわれわれインテリに思考を任せてくれればいい、悪くはしないから、みたいなことになるのではないかな。

福沢自身にはそのような意識はなかったかもしれないが、福沢の意識を継いだ昭和のリベラルにはへんな胡散臭さがあった。福沢には結局、「身を殺して仁をなす」のような優しさというか厳しさというかそういうものがなかった。別にこれは福沢の罪とか言うものではない。彼は彼なりにそのきわめて優秀な頭脳で日本の独立のための一筋の血路を開いたという、そういうことだ。問題は、戦後の自称リベラルが、優秀でもない頭脳で福沢のまねをしてリベラルの価値を押し下げてしまったことだと思う。                                     

韓非子に、自分が美人だと思った瞬間その女は醜くなるという言説がある。福沢のどこまでが美人であったかという、微妙な問題になるだろう。


徳富蘇峰終戦後日記 頑蘇夢物語 (講談社学術文庫) [ 徳富蘇峰 ]
徳富蘇峰終戦後日記 頑蘇夢物語 (講談社学術文庫) [ 徳富蘇峰 ]
終戦後日記は全5巻で、一巻目だけが文庫化されています

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まあ徳富蘇峰が変節しようがどうしようが、ほとんどの人にはどうでもいいことだと思う。人間というのは変わるものだし、変わっていないなら成長していないなんていう論理だって成り立つ。変節しないのがいつもいいわけでもなく、変節するのがいつもいいわけではない。                                             しかし当然ながら長い人生で変わらないものという心の部分はあると思う。これがないというのなら、過去の自分と現在の自分との同一性が疑われてしまう。                                           徳富蘇峰の変わらないところというのは、日本の民衆に対する同情や愛だったと思う。「終戦後日記」における天皇制に対する発言も、民衆に対する同情の結果だろう。すなわち、愛すべき日本の民衆は集団としてこの世界で生き抜く訓練が足りない。だから天皇というアンカーが必要なのだという論理だ。日本というものがどのように一体感を保つべきかというのは、明治初期と昭和初期でそのコンセンサスは異なってくるだろう。だから徳富蘇峰の言説も遍歴するわけだ。日本の民衆が日本という一体感の中でそれぞれに愛すべき生活を営んで欲しいという大なる仁義の前では、時代の変化による個人の哲学的変節などというものは、ことさら非難するほどの問題ではないと思う。                                                                  語っていることがバラバラだからといって、直ちに間違っているというわけではない。孟子だって言っていることはバラバラだ。しかし孟子には勝手な放言の向こうに何らかの孟子なりの確信があるよ。蘇峰も同じではないかな。

哲学とは何かと問われたら、私なら、この世界の秩序はいかにあるのかを考える学問だ、と答える。もしだよ、哲学が「この世界は如何にあるのか」を考えるものだとするなら、それなら数学、物理学、生物学で事足りる。別に哲学なんて余計な学問は必要ない。繰り返せば、哲学とは世界を知る学問ではなく、世界の秩序を知る学問だと私は考える。                                                                徳富蘇峰は「終戦後日記続編」の中でこのように言う。                                    「一人前の人間ということは、己れ自ら己れを支配する人間であらねばならぬ」                     さらにこのように乗せてくる。                                                   「もし銘銘が内省自反の力があって、我自ら我を支配する場合においては、少なくとも社会の秩序だけは、他力をからずして、自ら得べき筈である」                                                 哲学の匂いがしてきた。                                                      徳富蘇峰はさらにいう。                                                      明治以降は教育が人間教育から形式教育に移行した。形式教育なるものは人間を全く物体として扱う。別言すれば、一切のことは法に任せて、人には義務もなければ、責任もないものとした。                     これならば、戦前も現代も変わるところがない。                                        秩序に対する意識がなければ、言い換えるのなら、哲学がない世界ではどのようなことが起こるのか。戦前においては日本は総力戦を呼号したけれども、人間に義務もなければ責任もないなんていう状況では総力戦を戦いきれるはずもない。太平洋戦争は全くの大惨敗だった。さらに現代においてはどうだろうか。ここ何年かにおける日銀の異次元金融緩和というのは、日本の無義務無責任体制の一つの結果だと私は思う。現代日本には哲学がない。言い換えるなら、規律とか秩序というものは前提なしに与えられているものだと考えている。ヘリコプターマネーなどという考え方は、規律が無制限に与えられているという楽観を突き詰めたものだろう。日銀もさすがに前回の会合でこのままではヤバイと思ったのか、方針転換の意思表示はしている。しかしこんなものは、危なそうだから立ち止まったというレベルの話で、そもそもの哲学がないのだからトータルで何とかなるというものでもないだろう。                                                                                                                                            徳富蘇峰はいつか再評価される時が来るだろうと思う。

太平洋戦争ははるか昔の出来事ではなく、いまでも私たちを貫いている。憲法9条、安倍総理の呼号する総力戦、年金問題、それらの淵源は戦前、戦中にある。太平洋戦争とはなんだったのかと考えてみる。大国アメリカに小国日本が仕掛けた無謀な戦争。軍閥によって日本は間違った戦争に導かれた。戦前の日本人は馬鹿かきちかその両方か。まあこのような言説が戦後無数に積み重ねられてきた。これは正しいように聞こえるのだけれど、結局は結果論なんだよね。                                                         結果論ほどつまらないものは無い。戦後、結果論を積み重ねて太平洋戦争の評価がなされ続けたけれど、そのような言説を読む価値は全く無い。いくら私がばかげた暇人だかといって無意味な言説を無数に読むわけにはいかない。                                                                徳富蘇峰は「終戦後日記」で太平洋戦争の原因をこのように書いてある。                        「大東亜戦争は世界水平運動の一波瀾であった。いってみれば、明治維新の大改革以来の、継続的発展であり、いわば明治維新の延長であるといっても差し支えない。いやしくも一通りの歴史眼を持っているものは、この戦争は全く世界の水平大運動の、連続的波動であったことを、看過することはできない。しかるにその水平運動は、運動の拙劣であったために、水平どころか、さらに従来の差別に比して、大なる差別を来したることは、所謂事志違うものというの外はない。即ち水平運動の仕損じである、失敗である」                           私が思うのは、この蘇峰の言説を基本にして、すべては組み立てられなくてはならないということだ。戦後、橋川文三なども太平洋戦争の真理を究めようとした誠実な研究者の一人だったとは思うけれど、徳富蘇峰のこの言論にたどりつくことすらできなかった。                                                 徳富蘇峰は福沢諭吉の言論を継ぐものは自分であると自負していたが、これは全くの自己過信とはいえない。蘇峰のすごみはこの「終戦後日記」のなかに充満している。

徳富蘇峰の「終戦後日記」を久しぶりに読んでみたけれど、本当にたいしたものだと思う。徳富蘇峰は明治大正昭和を生き抜いた近代日本を代表する大言論人だったのだけれど、現在文庫版はほとんどか絶版で、手軽に徳富蘇峰を読めるという状況にはない。個人的には徳富蘇峰とは福沢諭吉と同列といってもいいぐらいの思想のリアルさ、論理の切れ味というのがあると思うのだけれど、残念ながらあの大東亜戦争に加担したというマイナスイメージが大きすぎで、正当に評価されていないというのが現状だと思う。                              ひとつ徳富蘇峰の論理の切れ味というものを紹介してみよう。最近憲法9条改正についての議論が起こっている。戦争の手段を放棄すれば戦争が起きないとすればこんないい話はないとは思うのだけれど、物事をそんなに簡単に考えていいのかという不安は残る。甘えと猜疑の入り混じる憲法9条をめぐる論議を戦後間もなく徳富蘇峰はこのように書きなぐった。                                                     「武力を排除したる文化国というものが、果たして出来得べしとすれば、それは今後における、新たなる試験というのほかはあるまい。ここまでには世界の歴史に、左様なれいは、絶対に無かったということが出来る。しかるにかかることを平気で、朝飯前の仕事のごとく、言いなしている日本の有識階級は、実に驚き入りたる肝っ玉の持ち主といわねばならぬ。これは大胆でもなければ、豪胆でもない。全く彼らの軽佻浮薄の浮動性が、彼らをかりて、ここに至らしめたるものというの外はあるまい」                                            戦後の昭和においては、戦争放棄が平和に直結するなんていうのが真理に思えた時間が確かにあった。経済成長が戦後の正当性を保障するという、そういうことだったと思う。バブルが崩壊して経済成長が失われると、戦後のうそ臭さというのがはっきりし始めてしまった。前回の都知事選で鳥越という戦後リベラル候補の言葉の力のなさにそのことははっきり現れただろう。自信ありげに何かを語られるとつい信じてしまうというのは、弱っている時にありがちな精神現象だ。昭和というのは結局戦争に負けて自信喪失の時代だったと思う。不安だったから、自信ありげに戦争を放棄すれば平和になるという言説が広範囲に受け入れられたのだろう。確かに戦後リベラルの言説が間違いであったということは証明されてはいない。だから鳥越なんとかという人物が都知事選にも出るのだろう。しかし私のこの違和感はなんなのだろうか。結局、                                          「武力を排除したる文化国というものが、果たして出来得べしとすれば、それは今後における、新たなる試験というのほかはあるまい。ここまでには世界の歴史に、左様なれいは、絶対に無かったということが出来る。しかるにかかることを平気で、朝飯前の仕事のごとく、言いなしている日本の有識階級は、実に驚き入りたる肝っ玉の持ち主といわねばならぬ」                                                          なんていう、徳富蘇峰のざっくばらんなパロールに行き着くのではないだろうか。

徳富蘇峰が見直される時が必ず来ると思います。

徳富蘇峰が「終戦後日記」のなかで、自分は終始一貫貴族主義者に対しての平民主義者であったと言っています。平民主義者の徳富蘇峰が、昭和に入って何故軍部をヨイショするようになったのか?
終戦後日記にあの戦争の原因を歴史的に考えているところがあります。

まず

「藩閥政治が凋落して、民権論者が勝ちをせいしたる暁は、いわゆる政党横暴の時代となった」

とあります。民権論者が勝ちを制した、というのはおそらく、大正二年桂太郎内閣が第一次護憲運動で倒れ、その後を継いだ山本権兵衛内閣が大正三年シーメンス事件で倒れた後、大隈重信内閣が誕生して、その後寺内内閣を挟んで本格政党内閣である原敬内閣のところまでのことを言っているのだと思います。
原敬内閣は政党横暴だということでしょう。これはなんとなく分かります。最近は金権政治というものはあまり聞かなくなりましたが、1990年以前は今から考えるとひどい政治が跋扈していました。ロッキード事件、リクルート事件、佐川急便事件、金丸金権問題など、次から次、政治にはお金がかかるからしょうがない的な雰囲気でした。原敬と小沢一郎というのは同じ岩手県出身の議員だというのは偶然ではないでしょう。原敬は大正10年暗殺されます。

徳富蘇峰は続けて

「せめて普通選挙でも行えば、国民の意思が盛り上がるだろうと考えたが、その結果は投票売買の最悪なる買収政治となってきた」

とあります。
普通選挙法の制定は大正14年加藤高明内閣です。それまでは納税額が多い人のみが投票できる制限選挙でした。実際の普通選挙は昭和三年田中儀一内閣時に行われています。最悪なる買収選挙というのはこの第16回衆議院議員総選挙のことを言っているのだと思います。

さらに

「その後、官僚と政党とはやがては野合し、なんとも名状しがたき政治を打ち出した」

とあります。これは浜口雄幸、若槻礼次郎の憲政会内閣のことだと思います。あの当時は世界恐慌の末期で、かなりひどい不景気時代ではありました。

最後に

「最後の望みは陸海軍と皇室である」

とあります。この希望が結局はあの太平洋戦争に続いていくわけです。

太平洋戦争。あの時代は何故あんな事になってしまったのだろう。こんな事を言ったら申し訳ないのですが、軍隊がなければ戦争が起きなかったなんて考えるのは、申し訳ない、これは子供の論理です。徳富蘇峰が戦争に至る道をなぞってくれています。これを見れば、わたし達が戦争を避けるために本当に出来るであろうことが何かが分かるのではないでしょうか。





大日本帝国は「総力戦」の名の下に太平洋戦争を戦いましたが、あれは本当に総力戦だったのでしょうか?

現代における「年金」だとか「社会保障」などというものは、その淵源を戦中に持っています。国民が安心して働けるように、まあすなわち安心して戦えるようにということわけです。私達は経済という戦争を満州事変に始まる総力戦の中で戦っているのです。

日本の総力戦体制が始まったのは昭和6年満州事変以降です。戦後総理大臣になった岸信介は満州事変後、軍部から満州に呼ばれて満州開発のグランドデザインを作ったそうですよ。そしてそのデザインはソ連の五カ年計画のまるパクリだったそうです。本人が自伝でそういっているから、まあその通りでしょう。

すなわち、「総力戦」「総動員体制」などと軍部が叫んだとしても、その準備期間みたいなものはたいしたことがない。ヨーロッパは第一次世界大戦で総力戦とはなんなのかを身にしみて理解しました。日本に比べて欧米は15年という時間を味方につけいてました。日本は欧米と総力戦を戦うための準備期間が短かったということです。

太平洋戦争で、陸軍と海軍は意思の疎通がまったくはかれませんでした。その状況は総力戦といえるのでしょうか? 戦争中は配給が滞り国民は闇市で生活物資を手に入れていました。その状況は総力戦といえるのでしょうか? 神風特攻隊に代表される最前線の将兵達は総力戦が戦われていると信じて死んでいったのでしょうが、総力を出し尽くしたのは彼らのみであって、日本全体として総力戦を戦ったなんていうことはとてもいえません。特攻隊が犬死だなんていう人もいますが、総力戦を戦いきった日本人を総力戦を戦いきれなかった日本人が批判するなんていうことは許されない。

あの太平洋戦争が正義の戦いであったか不義の戦いであったかなんていうことには意見の相違があると思います。しかしあの戦争で日本がひどい負け方をしたというは、衆目の一致するところでしょう。ひどい負け方の原因は日本兵が弱かったからだとか、日本人は合理的な思考苦手だからだとかなんていう意見は、これは全くの自虐民族史観だと思います。

この国には合理化するための時間が少し足りなかった、そういうことだと思います。



徳富蘇峰は文久三年生まれ。明治、大正、大東亜戦争の戦前戦中戦後を生き抜いて、昭和32年95歳で死去。時代の生き証人でありかつ空前絶後の大言論人です。

徳富蘇峰は戦前戦後と皇国史観を守ったので、現在ではかなり評価が低くなっていると思います。戦後になっても一君万民とか言っているのですから、この時点でキワモノ扱いになってしまいます。いくら大御所でもキワモノのレッテルを貼られてしまうと、ほとんど死人にくちなしみたいな感じで、どうしようもなくなります。

実際にこの徳富蘇峰「終戦後日記」を読んでみると、徳富蘇峰に貼られたレッテルなんていうのはどうでもよくなります。終戦時点で蘇峰は83歳なのですが、論理は明快、推論のすばらしい切れ味、明治を体験したもののみが語れる重みのある言葉、「終戦後日記」はかなりの到達点にあると思います。

太平洋戦争は何故起こったのでしょうか? 
普通に考えると、軍部が国家の権力を横領して勝てもしない戦争に国民を引きづりこんだ、みたいなことになります。
しかしそんなことがありえるのか? 日本は住民が100人くらいしかいない村なのか?

徳富蘇峰の意見を聞いてみましょう。
「藩閥政治が凋落して民権論者が勝ちを制したる暁は、政党横暴の時代となった。普通選挙でも行えば国民の意思が盛り上がるかと思ったが、その結果は投票売買の最悪なる買収政治となってきた。官僚政治はまだましかと思ったが、それもまた立派に裏切られた。官僚と政党とはやがては野合し、なんとも名状しがたき政治を打ち出した。最後の望みは陸海軍である。爾来ほとんど全力を挙げて軍を支持してきた。その結果が現在の大東亜戦争である」

この意見、どうでしょう? 
徳富蘇峰のこの論理は全てを語っているとは思いませんが、真実の一片を語っているとは思います。
徳富蘇峰の歴史認識、もっとぶっちゃけて言えば皇国史観にはウンザリします。しかしその現状認識にはすばらしいものがあります。物事の本質をつかむその腕力、いや、すごい。

しばらく、徳富蘇峰「終戦後日記」についての文章を続けます。

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