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カテゴリ:中国思想 > 孟子

儒教における聖典というのがあって、四書五経(ししょごきょう)という。

五経というのは、「易経」「書経」「詩経」「礼記」「春秋」を指すのだけれど、正直この辺は読んでもよく分からない。中国の宋代に入って、この五経を棚上げして、論語「大学」「中庸」「孟子」の四書を重視しようという流れができた。この流れを集大成したのが朱子学だ。

しかし、「大学」「中庸」というのは「礼記」のなかのそれぞれ1篇であって、すなわち近世以降の儒教においては、論語と孟子が二本柱となっている。

では、「孟子」なる書物にはどのようなことが書いてあるのか。全文紹介するというのはだいそれたことであって私なんかにはムリなのだけれど、「孟子」の最後のところだけ、私なりに紹介します。

「万章曰く、孔子は我が門を過ぎて我が家に入らざるも、我恨みざる者はそれただ郷原(きょうげん)か。郷原は徳の賊なりとのたまえり 問う。いかなればすなわちこれを郷原(きょうげん)と言うべき」

論語の陽貨第十七 457 に

子日わく、郷原(きょうげん)は徳の賊なり

とある。孟子の弟子の万章は、論語のこの部分の意味を問う。まず郷原とはなにかということだ。普通、郷原というのは、村の誠実な人という意味なのだけれど、万章の質問に対して、孟子はこのように答える。

「この世に生まれてこの世の為す所を為さんのみ。(人からよく言われれば)すなわち可なりといいて、えん然として世に媚びる者は、これ郷原なり」

つまり、この世に生まれて世間の期待通りに生きて、よろしくやれればそれでいいという、これが郷原なわけだ。ちょっと物足りないヤツらだとは思うけれど、徳の賊なんて言われるほどのこともないのではないだろうか。

万章も同じようなことを考えて、孔子が郷原を「徳の賊」とまで言ったのはなぜかと問う。これに対して孟子は答える。

「これを非(そし)らんとしても言うべきなく、これを刺(そし)らんとしても刺るべきなし。流俗に同じくし、汚世に合わせ、ここにおること忠信に似、これを行うこと廉潔に似たり。衆皆なこれを喜び、自らはもって是となさんも、しかももって尭舜(ぎょうしゅん)の道に入るべからず。故に徳の賊というなり」

尭舜(ぎょうしゅん)とは、中国古代における伝説の聖王。

郷原のよくないところは、いい人であるふりをしているところだと言うわけだ。ふりをすることが罪なんだな。

プラトンも国家という本の中で同じ論理を展開していた。「国家」において、ソクラテスは「正義を救ってくれ」と懇願される。どういうことかというと、この世の中、多くの物や観念は何らかの役に立つという理由で存在が許されているわけなんだけれど、「正義」ほどの重要観念ならそれ自身の中に存在の価値を確立して欲しいという。「正義」というものが、人から評価されるとかお金が儲かるとか、そういう下賎な価値で支えられるというのではなく、正義が自らの足で立つにはどうすればいいのかというわけだ。

孟子もプラトンも、価値は自分の外ではなく自分の内に持つべきだと言うわけだ。

これは極めて近代的な考え方だろう。現代でも道徳の内面化が必要だ、などとよく言われる。私は「道徳の内面化」という言葉は好きではないけれども、このようなことを言っている人の意味するところは、価値を自分の中に持ちたいという渇望だろう。

孟子やプラトンはすごいよね。2300年も昔に、すでに近代的な考え方をしていると言う。本当にすごい、孟子やプラトンは近代的な考え方をしている。

本当に?

論理は逆なのではないだろうか。孟子やプラトンが近代的な考え方をしているのではなく、近代が孟子やプラトン的な考え方をしているのではないだろうか? ヨーロッパがかつてルネッサンスで発見したものはプラトンだろう。日本の明治維新の原動力の根源は孟子だろう。吉田松陰も佐久間象山も魂を傾けて孟子を読んでいた。

孟子における「価値が内在化する世界観」の根拠は何か。「郷原は尭舜(ぎょうしゅん)の道に入るべからず」のあと、孟子はどのように語っているのか。

「尭舜(ぎょうしゅん)の道に入るべからず。故に徳の賊というなり。

孔子いわく、似て非なるものを憎む。雑草を憎むはその苗をみだるを恐るればなり。..言葉巧みを憎むはその信をみだるを恐るればなり。..紫を憎むはその朱をみだるを恐るればなり。郷原を憎むはその徳をみだるを恐るればなり」

社会秩序の強度というのは、価値というものをその社会の外ではなく、内に持つことから立ち現れるということはありえる。郷原は、価値を自分の外に依存しているわけだから、大きい枠組みで見れば秩序のフリーライダーだというわけだろう。

故に、孔子は似て非なるものを憎む、だ。

論語 陽貨第十七 462 にこのようにある。

子日わく、紫の朱を奪うを悪(にく)む。鄭声(ていせい)の雅楽(ががく)を乱(みだ)るを悪む。利口(りこう)の邦家(ほうか)を覆(くつがえ)すを悪む。


孟子は、最後にいたって論語の言葉を重ねてきている。孟子の論理の根拠というのは、けっきょく論語の世界観にある。論語を強力に自分にひきつけることによって、新しい世界観を押し出そうということだろう。プラトンもその語り手はほとんどソクラテスだった。

「孟子」は実質的に最後、このように終わる。

「郷原を憎むはその徳をみだるを恐るればなり。君子は常の道、治まればすなわち庶民興る。庶民興れば、すなわち邪悪なし」

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「孟子」の万章章句上で孟子はこのように語る。                                    

「天子は天下をもって人にあたうこと能わず。誰かこれを与えし。曰く、天これをあたう」                 

この後、天は喋ることが出来ないので人民が新しい天子を支持することによって天の意思が証明される、という感じで続く。

秩序が第一義であるとしてしまうと、暴君が現れても臣はそれに従わなくてはいけないということになるのだけれど、孟子の論理を使うなら、暴君が現れた場合には秩序を乱す革命も可能であるということになる。

孟子は通常の時代状況の場合は秩序を重んじ、暴君が現れるなどという異常時には革命も容認するというフレキシブルな社会認識であるともいえる。しかしこれをもっとトータルに考えてみると、君主と人民とは互いにやるべきやって国としての一体感というものを強化するべきだ、という思想に行き着くのではないか。

この思想は、一君万民ということにもなるだろうし国としての総力戦ということにもなるだろう。総力戦の世界においては、個人の幸せというものはその人の潜在能力か最大限に引き出された時に顕現されるということにもなるだろう。

「孟子」という書物は紀元前からあるのだけれども、これがメジャーになったのは、朱子が「孟子」を四書の中の一つに引っ張りあげたからだ。
                                                    700年前に中国が宋という時代だった時、朱子が「孟子」を四書のひとつに大抜擢した、逆に言えば「孟子」が朱子をして大抜擢させたという。宮崎一定は中国の中世と近世の境目は宋の建国にあると語っている。近世が孟子を必要としたのだろう。

孔子の儒学というのは礼とか徳とか、さらにいえば君臣の秩序父子の秩序を賞賛するのだけれど、「孟子」は、秩序というものを突き抜けて天とか人民とかを第一義に置くという革新的なところがある。

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江戸時代において孟子はほとんど禁書だったのです。その理由は、孟子のなかで

君主がぼんやりしていたならば、それは君主ではなくただのぼんやり君だから、それをチェンジしても何の問題もない

と明言しているからです。これは江戸幕府にとってはまずい発言です。ぼんやりした将軍なんていうのはいっぱいいたでしょうから。

2300年前、孟子の生きた中国の戦国時代において、一番有力だった国は「斉」といいます。その斉は孟子が自分を売り込もうとした30年ほど前に、歴代の家系の君主が家臣によって簒奪されているのです。孟子は機会主義者だったのではないでしょうか。ここぞとばかりに斉の君主に

簒奪なんていうのはそう悪いことではないですよ

と言いいます。時代に合わせて孟子も孔子を解釈しているわけです。
孟子は孔子と合わせて孔孟と言われますが、孔子と孟子ではかなり距離があります。この段階ですでになんとでもいえるというレベルです。


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