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血盟団事件とは昭和7年に起こった連続テロ事件である。
日蓮宗の僧侶である井上日召に教導された10人の若者が、「一人一殺」をスローガンに当時の政財界の巨頭をテロの標的とし、実際、井上準之助(前大蔵大臣)、団琢磨(三井合名会社理事長)の二人まで暗殺することに成功した。

現代の感覚からすれば、テロとかとんでもない、みたいなことになる。
しかし、昭和初期の日本というのは、時代の雰囲気の位相みたいなのが戦後とは異なっている。当時の事件を現代の価値観で判断すると、トータルで整合性がとれないことになる。

では昭和初期の日本と現代日本とは、どのように時代の雰囲気の位相が異なっていたか。

戦前の帝国日本において、金本位制をめぐる物語があった。
血盟団事件で最初に暗殺された井上準之助は、現代風に言えば「ミスター金本位制」だった。
当時世界の主要国間には金本位制システムみたいなものが存在していた。第一次世界大戦の混乱で、各国は金本位制を離脱していたのだけれど、戦後それぞれ金本位制に復帰していた。ところが日本は関東大震災などの影響で他の主要国に比べて金本位制への復帰が遅れていた。
しかしついに、1930年(昭和5年)1月11日、浜口内閣の井上準之助大蔵大臣の主導で、日本は金本位制に復帰した。

近代における金本位制とは何かというと、各国が通貨発行量分の金を保有しつつ通貨の価値を金とリンクさせ、なおかつ金の輸出入は完全自由というものだ。
この体制は、現代と比べて各国の通貨政策が制限される代わりに、各国が互いにインフレに対して監視しあうという特性を持っている。
たから金本位制システムというのは、通貨政策上の一つのあり方にすぎない。しかし、これは何にでもよくあることなのだけれど、当時の金本位制にはさまざまな価値が上乗せされていた。
金本位制を採用している状況こそが一等国の証であるとか、さまざまな学術論文が金本位制の優秀さを喧伝したりとか。

当時の金本位制は、単なる通貨政策ではなく、一つの価値体系一つの世界観を形成していた。井上準之助は、金本位制世界観の日本における喧伝者であった。もちろん彼はこの世界観を真理だと思っていただろう。
金本位制世界観とはそもそもイギリスの世界戦略であって、金本位制、イギリス追従、協調外交、中国不介入というのは思想的につながっている。このような思想系列を最もよく体現したのは、昭和天皇、西園寺公望、憲政会、大財閥というラインだ。
第2次若槻内閣もこのラインに沿って成立している。

この第2次若槻内閣は昭和6年12月13日に崩壊。その原因というのは、内務大臣安達謙蔵のサボタージュだった。
よく言われるのが、安達謙蔵は政友会とグルだったというやつ。しかしこれは歴史を簡単に考えすぎている。「安達謙蔵自叙伝」にこのような部分がある。

「昭和6年9月21日、朝日新聞は大活字をもって英国が禁輸出再禁止を断行せる旨特報した。予はこの報道に少なからず驚倒し、英国がかかる政策を執る以上は、我が国独り金解禁政策を維持することは不可能なりとの信念浮動して、これを若槻総理に勧告せんと決意した」

さらにこのようにある。

 「翌22日、総理官邸に若槻と面会して曰く、財政政策の大家に対し全くの素人考えかも知れぬが、予は深憂に堪えず。そは他にあらず金問題についてなり。昨日ロンドンの電報は英国が再禁止を断行する旨報じたり。英国再びこの挙に出ずる以上、我が国独り解禁を継続するの力なきは明瞭」

これに対して若槻は、

「右手を振り声を低くして曰く、これは秘中の秘だが君の意見の通りと思う」 

と発言したという。

おそらく若槻は日本の金輸出再禁止について井上準之助や幣原喜重郎に相談したところ反対されたんだろう。これに対して安達謙蔵は態度を硬化させたのだろう。
イギリスがいきなり金輸出再禁止をするってヒドイよね。これによって日本の自由主義世界観の根拠は失われた。これ以降、日本の自由主義は力を失い、自由主義と総力戦思想は太平洋戦争の敗戦に向けて壮大な死のダンスを踊ることになる。

血盟団事件の最初のテロというのは、小沼正の井上準之助暗殺だ。
昭和7年2月9日 小沼正は演説会会場に向かう井上準之助を、後ろからブローニング小型三号自動拳銃で3発撃った。1発目は左でん部、2発目は右肺を貫通、3発目は脊髄骨を粉砕した。井上準之助は病院に運ばれたが、ほとんど絶望状態だったという。

このレベルの事件になると、テロが悪いとかそのような話でもないと思うんだよね。暗殺された井上準之助はかわいそうな被害者だと考えるなら、それは井上準之助に失礼だろう。
この事件は、日本の歴史における世界観同士の相克の結果であり、井上準之助はこの事件により日本の歴史にその名を刻んだ。


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社会保障の淵源は戦中にさかのぼる。 すなわち戦前というのは自己責任の世界だった。  平和な時代が続けば、自己責任が貫徹する社会というありかたも成り立つ。現代において自己責任論を主張しても、基本的に反論不可能なことからも、そのことは分かるだろう。  この自己責任の反論不可能性というが崩れ始めたのが、日露戦争からだ。日露戦争というのは、日本側の死傷者24万という、当時としては大戦争だった。勇敢に死んだものには勲章か何かあっただろう。しかし死ぬ可能性のあったものには何の保証もないわけで、これでもし次に大戦争が起こったときに、国民が国のために戦うなんていうことがありえるだろうかと、心あるものは、このようなことを考えただろう。 当時、与謝野晶子は「あゝをとうとよ、君を泣く、 君死にたまふことなかれ」 と歌って共感をよぶと同時に問題とされた。北一輝は、一将功成りて万骨枯る の垂れ幕を掲げて日露戦争帰還兵を出迎え、その後憲兵に付けねらわれた。  かれらの語ったことは、確かに一理ある。  大正維新とか昭和維新とかいうのも、この国と国民の一体性のあり方というのがメインテーマだったろう。ではいったいどうすればいいのか?   そしてついに太平洋戦争のさなか、国が戦うという総力戦のための政策として試行錯誤的に年金というものが始まった。   すなわち年金とは、国のために血を流す運命にあるものに、国が用意した補償だろう。国のために血を流したものではなく、国のために血を流す運命にあるものに、だよ。だから年金は、払ったからもらえるとか、世代間の助け合いだとか、きれいごとの上に成立した制度ではない。日本国と国民の一体性への歴史の結果立ち現れた、血の代償としての制度だ。言っておくけれど、汗の代償ではない。  血の代償。

都民ファーストの会が都議会選で大勝した。安倍政権が左にウイングを広げる中、安倍の右に出て自らの場所を確保したということだろう。  自民大敗の原因は安倍政権のスキャンダルだといわれているが、私はそうは思わない。そもそもの都議会自民党の体質が古すぎたということだろう。都議会のドンなる人物を中心に利益を引っ張ろうという、今どきそんな考え方は許されない。長い目で見れば、古い体質の自民都議会を切れたのは、安倍的政権にってはプラスだろう。  安倍は日本の総力体制を呼号しているが、日本が総力戦体制に移行するのは、歴史の必然だと思う。安倍総理の祖父に岸信介がいる。  岸信介は戦前、革新官僚として満州に入り、満州の「産業開発5ヵ年計画」を主導した。革新官僚というのは、当時の総力戦における先兵だ。その後、太平洋戦争開戦時の東條内閣で商工大臣となった。  普通に考えれば戦争責任を問われてしかるべきだろうと思う。ところが戦後総理大臣にまで上り詰めている。  これは結局どういうことなのか。   戦後のインタビューで、岸信介は自らの開戦責任について、「あの戦争に至る過程というのは、山から巨大な石が転げ落ちてきているようなもので、個人としての誰かが止められるというものではなかった」 と極めて率直に語っている。  総力戦を志向する日本の精神的な力みたいなものが、明治維新を引き起こし、太平洋戦争に引きずり込んだ。いま総力戦の歯車が三度回り始めようとしている。  この世界にはどうしようもないことというのがあると思う。  自由意志なるもので世界がコントロールできるなんていうのは、夢見るもののおとぎばなしのレベルだ。

現代においては、「頭がいい」とは「頭の回転が速い」ということに還元される。  頭の回転を早くするためには、実はコツみたいなものがある。リアルというものは、観念と物質というものが分ちががたく結びついていると思うのだけれど、このリアルから観念のみを取り出して思考すると、思考のスピードが劇的に速くなる。物質という重りを切り離した観念が空を飛べるようになった、みたいなことになる。  すなわち、「頭の回転が速い」というのは、無条件に思考のスピードが速くなっているわけではない。観念と物質が癒合したリアルを失うこととの引き換えなんだよね。 本来は等価交換のはずなのだけれど、現代では、最初に言ったのだけれど、「頭の回転が速い」というのは「頭がいい」ということになっていて、ぶっちゃけて言えば、現代という世界は「頭の回転が速い」ということに過剰に価値を付与している。  観念と物質を分けて考えることを推奨しているということになる。では観念と物質を分けて考えることによってリアルを失うという損失は、現代世界においてどのように扱われているのか。  これは誰もが知るように「自己責任」ということになる。さらに、個人で解決できないようになったら「精神科学」という病院を用意してあるので、そちらへどうぞ。まじめな人ほどうつ病になるというのは、この世界の必然だよ。この世界は様々に可能性があったところからの一つの帰結にすぎない。常識とか法律とか仕事とか、そんなものはクソまじめに受け入れていかなくてはならないというほどのものではない。   観念と物質を分離するということを、最初に大々的にやったのがプラトンだ。プラトンにはプラトンの事情があったのだろうとは思うけれど、観念と物質を分離するという思考法は思いのほか強力で、プラトンの言説がほぼ省みられなくなった現代においても、枠組みのみの亡霊として、現代世界に暮らす誰もが体感しているように絶大な力を発揮している。 いくら相手が強大でも、自分の最後のリアルというものは守っていかなくてはいけないと思う。

昭和初期までは、世界は金本位制だった。金本位制というのは、列強各国の通貨を金にリンクさせるというもので、実質の固定相場制というものだ。当時のヘゲモニー国家はイギリスだった。イギリスはポンドを基軸通貨として、世界をコントロールするという方式をとらず、ポンドを金とリンクさせて、「列強の皆さん、皆さんの通貨も金と連動させてくださいね」という方式をとった。だんだんと金本位制に参加するというのが、列強の証となってくるわけだ。 金本位制という、本来は多くの選択肢の一つであるところの通貨制度に、徐々に価値が付与されてくる。経済学の論文等で、金本位制というものがどれほど立派なものであるのかということが喧伝されてくる。何十年かをかけて、そのような価値が金本位制に積み重ねられてくると、金本位制こそが守るべき価値であると考えられるようになってくる。  昭和初期から100年近くたった現在、世界は変動相場制だ。あの金本位制とは何だったのだろうかと私なりに考える。  結局、金本位制とは、列強のブルジョアが自分の資産を守るための方便だったということではないだろうか。ひどいインフレになって金融資産を失うことの恐怖心が、通貨と金をリンクさせるという、まあなんというか、世界の金融政策をある種の偏狭に押し込んだということだろう。  金本位制とは、金持ち達の必要性に迫られた結果の一つのあり方であって、それでなくてはならないという必然性の結果ではなかった。   今の金融体制も、同じようなことが言える可能性もあると思う。私達は今、変動相場制の世界の中にいるから、明確にこの世界の金融体制を相対化することは出来ない。かつて金本位制の世界に暮らした人々が、金本位制を相対化できなかったことと同じだ。  金融相場制に参加する各国の中央銀行は、金を操る権限を国家という枠の中で与えられているのだから、借金をほぼ永遠に先送りできるなどという権能が存在するなどという論理がある。このような論理を有名な学者なるものが、海外の権威なるものが補強しつつあるのだろう。  このような知の押し売りは、信じるに足らない。変動相場制における各国の債務の先送り理論というのは、もしかしたら誰かの必要性によって生じている可能性がある。  かつてのように。

昭和6年12月、第二次若槻内閣は総辞職した。その理由というのが、内務大臣安達謙蔵が辞表も出さず家に引きこもった結果の内閣不一致というものだ。若槻の手記を読んでもこの辺はあいまいだし、戦前の歴史書を読んでみても、若槻、幣原、井上、そして西園寺の自由主義ラインに対する安達の陰謀のような書かれ方をしている。 ところが「安達謙蔵自叙伝」にこのような部分がある。  「昭和6年9月21日、朝日新聞は大活字をもって英国が禁輸出再禁止を断行せる旨特報した。予はこの報道に少なからず驚倒し、英国がかかる政策を執る以上は、我が国独り金解禁政策を維持することは不可能なりとの信念浮動して、これを若槻総理に勧告せんと決意した」  日本は昭和4年12月、列強の後を追って、金輸出禁止を解除し、金本位制の国際秩序に復帰したばかりだった。金本位制とは巨大資本に有利な制度であるということを考えに入れなくてはいけない。イギリスという自由主義の支柱が失われたなら、日本において自由主義的な政策を維持することは不可能であるという安達謙蔵の直感は正しい。さらに安達はこう語る。  「翌22日、総理官邸に若槻と面会して曰く、財政政策の大家に対し全くの素人考えかも知れぬが、予は深憂に堪えず。そは他にあらず金問題についてなり。昨日ロンドンの電報は英国が再禁止を断行する旨報じたり。英国再びこの挙に出ずる以上、我が国独り解禁を継続するの力なきは明瞭」 これに対して若槻は「右手を振り声を低くして曰く、これは秘中の秘だが君の意見の通りと思う」 と発言したという。  安達の回想は話の筋は通っている。自分の醜い真理は語っていないだろうが、美しい真理のほうは語っているだろう。若槻がこれを井上準之助や幣原喜重郎に相談したところ反対されたんだろうということは容易に想像がつく。結局この後間もなく若槻内閣は崩壊する。  しかしこれは若槻の政治力不足というものを越えた問題だと思う。世界の近代自由主義を支えた諸言説の体系が崩れようとするとき、個人がそれを支えようとすることは不可能だ。   

1931年9月、イギリスが金本位制から離脱して、近代を支えた「金本位制」は、ここで崩壊したのだろうが、そもそも「金本位制」とはなんだったのだろうか。ウィキ的に言えば、金の価値にそれぞれの国の通貨の価値を連動させるという、固定相場制みたいなものになるのだろう。近代先進国は金本位制をたまたま選択したというのなら話は終わってしまうのだけれど、現実はそうではないだろう。さまざまな通貨体制が存在するであろうなかで、「近代の精精神」は金本位制を選択した、という歴史があると思う。その選択する過程で、金本位制がいかに合理的な制度であるかという知の体系のようなものが形成されたであろう。 では、金本位制を支えたところの近代の精神とはなんなのか、その辺のところを意識しながら、「昭和恐慌と経済政策」を読めば、それは極めて興味深い。「昭和恐慌と経済政策」という本は、そんな知的圧力に十分耐える内容をもっている。   第一次大戦以降、ヨーロッパ主要国は国力が疲弊して、金本位を離脱して日本もそれに合わせて離脱した。しかし、アメリカは1919年、ドイツは1924年、イギリスは1925年、フランスは平価を切り下げて1928年に、それぞれ金本位制に復帰した。日本も、大正末から金本位制に復帰という議論は高まってくる。それを主導したのは憲政会だ。当時の日本は、憲政会と政友会との二大政党制時代で、憲政会は金本位復帰賛成、政友会は金本位復帰慎重という立場だった。金本位復帰というのは、今で言う円高政策のようなもので、円高でゾンビ企業を淘汰して日本経済の再生を主張するみたいなものだった。これで得をするのは当時の大財閥で、中小を吸収することによって寡占化を進められるわけだ。その大財閥の支援を受けて成立していたのが憲政会という政党であるという側面はあったろう。 このようなものを自由主義という。自由主義というと、いかにも自由で現代から見るとよさげな感じがするのだけれど、じつはそうではない。現代の自由とは精神の自由であるが、近代の自由とはお金に関する自由だ。精神の自由とお金の自由とは、同じ自由とはいえ対立する概念だ。現代は、精神の自由が優先される世界だから、お金の自由というのはある程度制限されている。税金が高い代わりに、社会保障が整備されている.近代の自由というのは、お金を儲ける能力、条件のある人がお金を儲けるという意味での自由だ。  最後の元老、西園寺公望はこのような自由主義者だった。大正末~金本位制離脱まで、西園寺は憲政会を中心に首相を奏上している。例外は政友会の田中義一のみ。  憲政会、自由主義、西園寺、皇室、英米、金本位、財閥、などの意味は、近代という金持ち優先日本資本主義世界を支える概念体系であって、当時の金本位制を支えた経済理論などはこの概念体系を支える似非科学のようなものだろう。こう考えてみると、昭和初期の自由主義勢力というものは、線が細いと判断するしかない。英米のイデオロギー的援助がなければ、長期にわたっては成立しえないものだろう。   憲政会なんていうのは、財閥に利用されただけだと考えることもできる。当時の大蔵大臣井上準之助が強力に金本位復帰を推し進めたのも、当時の経済理論を信じていたのもあるだろうが、財閥の側面援助というのは大きい。そもそも当時の経済理論だって、英米の金持ちの都合のいい論理体系ナわけで、井上準之助は大きい意味で財閥の手先だったともいえるだろう。残念なことではあるのだが。  実際、井上準之助は、昭和7年4月、血盟団の一人によって暗殺される。それに対し三井の池田 成彬は北一輝などに金をばら撒くなどして暗殺を回避する。まあ財閥といえども、戦争に引きずり込まれ、戦後に解体というのだから、全くおめでたい結末ではなかったけれど。

丸山真男の「日本の思想」は有名な評論だと思う。その内容はというと、日本の思想は伝統的に座標軸が欠如していて、あらゆる外来思想を等価値に自分の中に抱え込み、時代にふさわしい価値観をそのつど取り出すというスタイルだという。結論として、このようなずるずるべったりの思考をしているから日本はだめなのであって、日本人は強力な自己制御力で価値観を序列化し主体を生み出すことが必要だ、というものだ。           これだけの解説だと分かりにくいかもしれない。                                      補足をしておく。一人前の人間とは何かというと、自らが自らを制御する人間ということだろう。では自らを何を手がかりに制御するのかというと、自ら信じるところの一つの観念によってだ。その観念によって自分の周りにある価値観を秩序づけるわけだ。ここで大事なことは何の観念で自分の世界観を秩序づけるかということ。その中心観念は出来るだけ正義に近い方がいい。お金とか世間体とか会社とか、その程度のものを中心観念にしてしまうと、それによって出来上がるであろう世界観は、福沢諭吉に言わせれば惑溺、プラトンに言わせれば思惑、まあそのような中途半端なものになるだろう。                                         そして丸山は、日本にはそのような自ら選択した観念によって世界を秩序付けようという伝統がなかったという。丸山が「日本の思想」を書いたのが昭和32年だから、昭和32年までは世界を秩序付けようとする努力が日本には乏しかったということだろう。丸山が言うには、明治以降に日本に世界を秩序付けようとする強力なイデオロギーが西洋から来たという。ひとつはキリスト教でもうひとつはマルクス主義だ。それは間違いではないだろうけれども、キリスト教とマルクス主義なんていうものが日本のこの世界を秩序付ける本流にだよ、常識的に考えてなりえるだろうかと思って。丸山が「日本の思想」の中で言外に言おうとしていることは、日本人は戦前、その世界観を秩序付けることが出来なかったからファシズムに喰われてしまった。キリスト教やマルクス主義によって日本人それぞれがだよ、自らの世界観を秩序づけて一人前の人間になっていたのならあのような太平洋戦争は起こらなかったという、まあそのようなことがいいたいのだと思う。確かに、日本人は戦前、その世界観を秩序付けることが出来なかったからファシズムに喰われてしまった、という論理には真理を含んだものがあると思う。ただ、キリスト教やマルクス主義によって日本の世界観を秩序付けるべきだという論理はどうだろうか。日本には日本の正義があってしかるべきだと思う。                                           さらにいえば、明治維新以降の日本の歴史は自らの世界を秩序付けようとする苦闘の歴史だったと思う。自らの正義を探して流離う日々だった。太平洋戦争の大敗北というのは、日本人が自らの世界を秩序付けることの失敗の結果だったろう。しかし失敗したからといって、日本には世界を秩序付けようという伝統がない等と簡単に言ってしまうのはどうだろうか。明治維新から太平洋戦争まで80年間、失敗したとはいえ世界を秩序付けようとした歴史があるわけで、ここまで来るとこれも一つの伝統ではないだろうか。

太平洋戦争のポイントオブノーリターンを探る意見は多い。

満州事変、盧溝橋、第二次上海事変、南部仏印進駐、昭和16年9月の御前会議、真珠湾。

まあ、様々だ、好きなところを選んでくださいみたいな。選ぶのが難しいのは、当時の日本が世界からどのように思われていたかというのがよく分からないということがある。戦争というのは自国だけの問題ではなく、他国との問題なわけだから、日本の立ちいちがどのようなものだったかというのは、太平洋戦争のポイントオブノーリターンを考える上で重要だろう。何でもそうなのだろうけれど、好かれていたやつがぼこぼこにされるのはその理由は直近にある。嫌われていたヤツがぼこぼこにされるのはその理由はかなりさかのぼられるだろう。で、戦前の日本がどうだったかというと、かなり嫌われていたらしい。                     

これがなぜ嫌われていたのかというと、徳富蘇峰によると中国が国際会議でかなり強力な反日プロパガンダをやったということらしい。これは中国がずるいとかそういう話ではなく、そのような戦術を当時の中華民国がとったというそういうこと。中国の努力によって日本が嫌われていたのなら、太平洋戦争のポイントオブノーリターンは普通に考えるより前倒しになるだろう。徳富蘇峰はそれを盧溝橋といっていた。満州事変によって望外に満州国なるものがいできたったのだから、本来なら満州国を抱えて10年世界の移ろいゆく様を見るべきだったという。そうだろう。石原莞爾も同じ思いだったのだろうが、歴史的な事実は、石原ができたのだから俺もできるだろうみたいな現地の戦線拡大派がヘゲモニーを握ってしまったという。                                     

歴史としてさかのぼれるのはここまでだろう。考えようによっては、統一感のない日本には満州事変すらムリだったということもありえるが、さらになぜ当時の日本には統一感がなかったのかというと、これはまた歴史と哲学とを混ぜ込んだ難しい問題になってくるだろう。
                                            
歴史に「たられば」なんていっても、これ全くしょうがないのだけれど、満州事変の成果を当時の日本政府が正統に回収してここで日本は地力を蓄えるのだというプロパガンダが国民に浸透することがありえたなら太平洋戦争の惨敗はなかっただろうとは思う。

いやでもこれかなりハードル高いよね。

当時の若槻内閣が満州事変の成果を回収できたとも思えないし、当時の日本人に、これは現代でも同じなのだけれど、地力を蓄えるために10年我慢しろなんていうプロパガンダが浸透するだろうか。現代の団塊の世代なんて10年我慢したら死んじゃうなんて言い出すだろう。歴史としてのポイントオブノーリターンとは結局このようなものだと思う。




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プラトンによると民主国家は必然的に独裁国家僭主制に堕落するという。

近代以降、先進国が独裁国家に転落した例としてナチスドイツがある。第一次大戦後のドイツの転落から、現代の日本の民主制がどの程度の危機なのかを考えてみたい。
まず1918年、第一次世界大戦の敗色濃厚ゆえにドイツは帝政が廃止されて共和制になる。日本で言えば天皇制が廃止されるようなものだと思う。帝政とか王政というのは、近代以降においてはある種の社会的セーフティーネットであると思う。平和な時間では王様とか天皇とか役に立っていないように思われるのだけれど、これが一国における秩序の危機という場面になると皇帝や王様というのが国民の結集点になりうる。このような権威を持たない国は、危機において際限ない無秩序状態に落ち込むという危険がありうる。
1923年、ワイマールドイツは、いまや伝説となったインフレに見舞われた。インフレは中産階級を破壊する。日本でもそうなのだけれど、下層階級の人というのは気のいい人たち。私の職場にもいるけど、稼いだら全部使っちゃって、会話の内容も起承転結とかない。思いついたことをそのまま喋る。親戚とか友達とかと寄りかかりあいながら生活し、地域の祭りを大事にする。
中産階級はそうではない。下層の馬鹿騒ぎからは距離をとり、ちゃんとした生活、ちゃんとした教育、ちゃんとした貯蓄。結局民主主義を支えているのは、このような中産階級だ。しかしインフレによってこの貯蓄がほとんど無価値になってしまったとしたらどうだろうか。知的権威とか常識とか、そのようなものに寄りかかって生きている中産階級が、その寄りかかるべきものを失ったとしたら、下層階級よりさらにその下に落ち込むということはありえる。かつて中産階級だった人が最後に寄りかかれる物というと、国家ということになる。極右、国家主義、まあそういうことになるだろう。現代日本に中国や韓国が嫌いという人がかなりいる。そのような人は、中産階級を維持できなかった人たちだということだろう。私はこのような人たちを批判するつもりもない。しょうがないということはあるよ。
1929年、アメリカ発の不況が全世界を覆った。特にドイツは酷かっただろうと思う。1930年、1932年の選挙でナチスは目覚しい議席増を成し遂げた。没落した中産階級は、「頑張ればもとの生活に戻れるのではないか」などと思って頑張っていたのに、あまりの不況ぶりに心が折れて国家に寄りかかることにしたということでしょう。

ここまでワイマールドイツを見てきて、では日本はどうかということについて考えてみる。
まず天皇制が存在しているということは大きい。天皇制が存在する限り、最低限の秩序の枠組みというものは維持される。
つぎに日本の中産階級がかなり痛んでいるというのはある。しかし彼らはまだ自分自身頑張れると思っているのではないか。
1929年のような壊滅的な不況はまだ来ていない。

現状の日本はまだ1923年以前のドイツの民主制レベルだと思う。安倍はヒットラーではないな。私はかなりの期間、日本は民主制を維持するとはおもう。
ただ、ベルサイユ条約のあまりの過酷さにドイツが短期間に独裁制に落ち込んだように、あまりにひどい経済対策を日本がやってしまうと、日本の民主制の時間が短縮されてしまうということはありえると思う。

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