ノブレス・オブリージュとでも言えばいいのでしょうか。上に立つものはそれなりの責任がある、これをもっと突き詰めれば、戦争になれば上のものから死ななければならない。

これは「正義」だと思うのです。

明治維新も、戦わなくなった武士たちからの権利奪還運動だったのだと思います。日露戦争あたりまでは、伊藤博文や山県有朋が生きていて、彼らは維新の元勲、自ら命をかけて白刃の下をくぐりぬけた者達の生き残りですから、支配者としての合理性はあります。しかし日露戦争ではっきりした事ですが、徴兵制下の戦争で死ぬのは庶民、儲けるのは財閥、というのでは、維新の元勲が死んでしまえば明治国家はもたない。そこに正義がないから。

明治末期の地方改良運動、大正維新、昭和維新、など大日本帝国経済が恐慌になるたびに反自由主義的な運動が起こるのは、ある意味当然です。日本人は貧富の格差には耐えられるけど、命の格差には耐えられない。

昭和になっての最後の元老、西園寺公望。総理大臣は彼が指名します。原田日記を読むと、元老西園寺とその周りのみが賢くて、あとは馬鹿みたいに書いてあります。

本当にそうなんでしょうか。

西園寺は理解していないんですよ。正義を求める日本人の心を。明治末において、日本の一人当たりのGDPというのは、イギリスの8分の1、ドイツの5分の1、イタリアの3分の1です。西園寺にはヨーロッパがまぶしすぎて、日本の人民の事がよく見えていなかったのでしょう。だから、彼はうまく立ち回ったようで、しかし徐々に政治力を失っていきます。

総力戦の時代に自由主義体制なんていうのは、当時の日本の経済レベルから言えば無理だったんですよ。