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カテゴリ: 伊坂幸太郎のおすすめ小説 > 伊坂幸太郎

「ジャイロスコープ」は7つの短編から成る短編集です。

【目次】

1 浜田青年ホントスカ
2 ギア
3 二月下旬から三月上旬
4 if
5 一人では無理がある
6 彗星さんたち
7 後ろの声が聞こえる

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【1 浜田青年ホントスカ】

スーパーの無駄に広い駐車場の有効活用として、稲垣という人物が駐車場にプレハブを建てて、「相談屋」をしています。
稲垣に誘われて、放浪青年の浜田は「相談屋」でバイトを始めるのですが、稲垣が浜田青年を誘った理由とは? 浜田青年の正体とは? というオチにつながっていきます。
この短編はオチに期待というより、「相談屋」での稲垣と客との掛け合いが面白さのメインでしょう。

【2 ギア】

近未来荒廃世界を舞台に、謎の生物セミンゴについて語られていきます。セミンゴは、3mもある銀色のほとんど未知の生物で、一匹いると、その巣には必ず9匹がみっしりと詰まっているという奇怪ぶりです。

【3 二月下旬から三月上旬】

主人公とその幼馴染坂本ジョンとの腐れ縁話です。
小説の時系列があいまいになっていて、その結果、主人公にとって、父母や妻子もいるかいないか分からない存在として書かれています。主人公にとって多くの知り合いが曖昧模糊とする中、坂本ジョンだけは存在したという確信が残ります。

【4 if】

主人公のいつも乗る通勤バスでバスジャックが起こりました。主人公は犯人に対して何もできなかったことが残念で......
バタフライエフェクトのようなタイムリープ物かと思わせておいての逆転が見事です。
「ジャイロスコープ」の7つ中で最も出来のよい短編でしょう。

【5 一人では無理がある】

クリスマスの夜に不幸な子供の元へプレゼントを届ける業務を行っている会社がありまして、そこで働く松田さんは、ちょっとおっちょこちょいです。
松田さんのミスでクリスマスの夜に「ドライバー」をプレゼントされた子供が、本当に必要としていた物はやっぱりドライバーだった、みたいなことになります。

【6 彗星さんたち】

東北新幹線内を掃除する人たちの話でした。7分間の掃除時間に出会う一期一会のお客さんたちの人生をファンタジックに想像してみるという話です。

【7 後ろの声が聞こえる】

これまでの6つの短編のまとめ的な話です。
「ジャイロスコープ」はバラバラの短編集なのですが、この「後ろの声が聞こえる」の中で、これまでの短編に出てきた人が登場します。
役者が勢ぞろいしてお客さんにあいさつするカーテンコールのような短編です。


【「ジャイロスコープ」 意味の解説】

「ジャイロスコープ」の解説に、伊坂幸太郎の15年を振り返って、というインタビュー記事があります。その中で「オー!ファーザー」を書き終え、同じようなものを書き続けてもしょうがないと考え、「ゴールデンスランバー」以降は好き勝手やっていこうと決めたとあります。

伊坂幸太郎の初期作品は、伏線を強力に回収することで作品にまとまりをつけるというものでしたが、「オー!ファーザー」以降は、作品にまとまりをつけるという作業が嫌になったのだと思います。

まとまりをつけるのが嫌になるという作家の倦怠期的なものはありえます。

森鴎外も明治天皇崩御以降はまとまりのある小説を書くのが嫌になり、「安倍一族」以降は勧善懲悪を拒否するような時代小説に移行しています。

近代世界はまとまりや整合性が重要視されていて、強い気持ちで頑張って、と応援されるような世界です。こういう世界観が嫌になって、まとまりのない世界にあこがれる、というのは日本近代文学によくあるパターンではあります。
しかし多くの読者が望んでいる小説は、まとまりのある小説世界だと思います。

伊坂幸太郎は「ガソリン生活」では、読者が読んで楽しめる小説を目指した、とありますから、またまとまりのある長編小説を出してくるのではないかと予想します。


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ネタバレあります

【「火星に住むつもりかい?」 あらすじ】

舞台はいつものように仙台です。警察内部に「平和警察」という部署が新設されています。平和警察は、昔の特高や今の公安をもっとたちの悪くしたような部署です。
平和警察は市民を互いに密告させあい、密告を手掛かりに証拠も不十分なまま逮捕し、容疑者を拷問によって自白させます。犯罪者とされた者は、裁判も受けることもなく公開で処刑されることになります。

平和警察を告発するために、3人の男たちが清掃員に化けて、平和警察内部に隠しカメラをつけようとするのですがバレて捕まってしまいます。

捕まった男たちが拷問されようとしているところに、一人の「正義の味方」が現れます。強力な磁石の玉を使って相手の気をそらせている間に木刀でやっつけるという戦い方で、平和警察の職員を10人ほど叩きのめし、捕まった男たちを救出します。

平和警察は「正義の味方」をおびき出すために、公開処刑大会を開催します。

処刑大会当日、平和警察は「正義の味方」が名乗り出ないのならば、その場にいた罪のない人々を何十人か処刑すると宣言します。

名乗り出た「正義の味方」が処刑されそうになった時、平和警察内部の反平和警察派が「正義の味方」を助けることによって、平和警察内のたちの悪い高級官僚を陥れるという結末になります。


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【「火星に住むつもりかい?」 意味の解説】

この作品は伊坂幸太郎の失敗作だと思います。

小さい瑕疵から説明します。

「正義の味方」の武器が磁石というのはどうかな、と思います。敵が身に着けている物の鉄の部分や拳銃などが磁石に引き寄せられて、敵がバランスを崩したり拳銃が無効化したりするのですが、磁石程度のものが、戦闘で簡単に有効活用できるものでしょうか。

「正義の味方」の正体は一般人の床屋です。格闘技経験は、昔、剣道を習っていた程度です。しかしこの床屋が、平和警察内部に単身乗り込んで、10人の警官を叩きのめして3人を救出します。普通に考えたら無理ではないかと思われます。いくら磁石の助けがあると言っても、所詮は磁石ですから。

「火星に住むつもりかい?」は文庫本で500ページあるのですが、これは無駄に長いように思われます。単純にページ稼ぎではないかと思われるところもありますし、さらに、「正義の味方」は平和警察に対抗するための予行演習として、いじめられていた中学生と強姦されそうになっていた女子高生の二人を助けます。

二人も助ける必要はないでしょう。

「正義の味方」が何人助けてもかまわないのですが、小説内では1例をあげれば十分なのではないかと思います。

大きい方の瑕疵を説明します。

「火星に住むつもりかい?」は平和警察支配のデストピアを表現していますが、本文の中で官僚支配の恐ろしさを小林多喜二の拷問死を例にして説明しています。
小林多喜二は拷問死した昭和8年時点では、作家というよりすでに共産党の中核構成員として特高にマークされていました。「火星に住むつもりかい?」で処刑されていく一般市民と小林多喜二とでは、覚悟という点で全く異なります。

「火星に住むつもりかい?」では疑わしいというだけで公開処刑されていく人々を、民衆はただ面白そうに眺めるだけとありますが、現実にはあり得ないでしょう。日本人はそんなにおとなしくはないです。

ネットでは、失敗した人を多くの匿名の人たちが叩くという場面が多くありますが、それは弱い者たちがさらに弱い者たちを叩くという現象であって、弱い者たちの背後には無言で控える強い者たちが存在しています。罪のない人たちが公開処刑をされそうになったのなら間違いなく暴動が起こるでしょう。

太平洋戦争の原因を、反戦という正しいことを正しいと言えなかったからだと考えてしまうと、悪の権化である軍部官僚制が日本を泥沼の戦争に引きずり込んだということになってしまうのですが、実際はそのようなものではないです。
戦争という悪の目的のために、軍部高級官僚が国民を悪の方向に先導したというのではやはり無理があります。
もう一つ。

「火星に住むつもりかい?」で、偽善とは特定の人だけ助けて全員を救わないこと、みたいな定義になっています。
誰かを助けたなら、困っている人すべてを救わないと、最初に救った人に対する善は偽善であるという論理なのでしょう。

「火星に住むつもりかい?」の主人公は、一人を救ったなら他の全ての困っている人を救わなくては、のようなプレッシャーがあるようですが、弱いくせにとてつもないヒーローになろうとする気持ちの持ちように無理があります。

できる範囲で人を助けたのなら、自分の力及ばない所は人に任せるというような考え方で十分に善は実行できるでしょう。自分がすべての善を実行できないからと言って、自分のなした善が偽善であるなんて、

自分の能力を買いかぶるなよ

という話になるでしょう。
そもそも偽善とは、行動と気持ちの差を意味する言葉であって、いいことをしようと思っていいことをするならば、それは直ちに善でしょう。

作家が善について難しく考える必要はなくて、ただそれぞれの人ができる範囲で他人に優しくすればいいだけの話です。

【結論】

伊坂幸太郎は、社会の秩序の崩壊を心配するあまり、無理に正義のヒーローを作らなくてはならないという強迫観念にとらわれてしまっているのではないでしょうか。

そのような無理なことを考えないで、殺し屋が主人公のような読者を喜ばす方向に転換してほしいです。



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「首折り男のための協奏曲」は、題名に協奏曲とあるし、文庫本の裏の解説に、

「二人の男を軸に物語は絡み、繋がり、やがて驚きへと至る」

と書いてあるので、伊坂幸太郎らしい連作短編集なのかと思っていたのですが、実際に読んでみると、短編を寄せ集めた「短編集」でした。





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【「首折り男のための協奏曲」 あらすじと流れ】

「首折り男のための協奏曲」は以下の7つの短編から成っています。

1 首折り男の周辺
2 濡れ衣の話
3 僕の舟
4 人間らしく
5 月曜日から逃げろ
6 相談役の話
7 合コンの話

短編集ですから、「首折り男のための協奏曲」には、7つの短編を合わせた全体としての意味とかはないです。

首折り男というのは、首を折って人を殺すという技を持った殺し屋のことです。この首折り男がメインで出てくるのは、1 首折り男の周辺 2 濡れ衣の話 の二つの短編だけです。

3 僕の舟 は、首折り男のアパートの隣に住んでいた初老夫婦のかつての恋愛話でした。夫婦の奥さんの方が、探偵黒澤に自分の昔の初恋の人を探してもらうという内容です。
「僕の船」は、首折り男のスピンオフみたいな話なのですが、重要なキャラクターのスピンオフなら分かるのですが、首折り男の隣に住んでいたオバサンのスピンオフですから、話全体がどうしても地味になってしまっています。

4 人間らしく は、クワガタ好きの作家が、探偵黒澤にクワガタの生態についていろいろ語るという内容です。
クワガタはひっくり返ってしまうとなかなか元に戻れないらしいです。クワガタを飼っている作家は、クワガタゲージをたまに見て回って、ひっくり返ったクワガタを元に戻します。

作家は思うのです。

自分は、クワガタにとってどこからともなく現れて助けてくれる神のような存在だろう。だから、人間にも勧善懲悪の神のようなものがいるのではないか?

簡単に考えすぎでしょう。人間とクワガタは違うでしょう。

5 月曜日から逃げろ は、7つの短編の中で唯一なぞ解きミステリー形式になっていて、読む価値があります。

6 相談役の話 は、ちょっと感じの悪い金持ちの二代目を怨霊がとっちめる、という話でした。ただ、金持ちの二代目が感じが悪いと言っても、金持ちだから周りからチヤホヤされて育ったとか、イケメンだから女の子にもてるだとかで、しょぼい主人公にとって感じが悪いというだけです。

しょぼい主人公は、金持ちの二代目が羨ましくて、探偵黒澤を使って彼の不倫の現場を押さえようとするのですが、感じが悪いというだけでお金を使って人を陥れるというのはどうなのでしょうか。

伊坂幸太郎は、女性の不倫には寛大ですが、男性の不倫には厳しい傾向があります。

7 合コンの話 は、3対3のマジ物の合コンの話です。合コン現場に首折り男がニアミスするのですが、あとから書き加えたのではないのかというレベルのニアミスで、首折り男は「合コンの話」と関係はないです。

合コンで、人間の価値は見た目か中身か、という話になります。見た目というところで話が落ち着きます。しかし3人の男の中で一番さえない男が、実はプロのピアニストで、ピアノを弾いたら滅茶苦茶うまくてみんなを感動させます。やっぱり人間の価値は中身だよね、という所に話が落ち着くわけです。

おかしくないですか?

ピアノがうまいということが、人間の見た目の価値なのか中身の価値なのかの検証が必要でしょう。見た目はショボいけれど、ピアノを弾かせたらすごいかもしれないから、人は見かけで判断してはいけません、というのでは、世界を簡単に判断しすぎでしょう。


7つの短編を順に説明しましたが、分かるように、7つの短編はほとんど独立していて、互いの関連性はかなり希薄です。

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PKは、「PK」「超人」「密使」の3つの短編から成る連作短編集です。「PK」と「密使」では同じ時期の同じ人物が書かれています。しかし2つの世界は微妙に異なっています。その異なっている理由が、「密使」で語られる、という構成になっています。

【「PK」あらすじ】

1 
サッカーワールドカップアジア予選で、小津は何らかの組織によってPKを外すように圧力をかけられます。しかし小津は、子供のころに見たヒーローを思い出し、自分もあのヒーローにたいして恥ずかしくない行動をとらなくてはならないと考えPKを決めました。
2
小津が見たヒーローとは、マンションの4階から落ちた子供を受け止めた、ある国会議員でした。子供を助けた出来事から27年がたって、当の国会議員は大臣にまでなっています。国会議員は何らかの組織によって、一人の男を陥れるように圧力がかけられています。
3
国会議員が子供のころ、父親の浮気相手が家に電話してくるという事件がありました。母親は、台所にゴキブリが出たということで二階に避難していたので、浮気相手の電話を父親がとることができました。
4
ある小説家は、書いた原稿を意味不明に訂正するようにと、何らかの組織によって圧力がかけられています。

解説
国会議員と小説家は兄弟であると推測します。国会議員の父親は小説家であった、とあるので、圧力をかけられている小説家は国会議員の父親であると考えたくなりますが、時代の設定が合わないです。

国会議員の父親には子供が二人いたこと。
国会議員が弟の家に行こうとする場面があること。
国会議員の弟は田園都市線の沿線の一軒家に住んでいること。
「超人」に出てくる小説家が二子多摩川の一軒家に住んでいること。
国会議員の父親が語っていた「次郎君」に関する話を、小説家も自分の子供に語っていること。

以上の理由から、国会議員と小説家は兄弟であると推測しました。

【「超人」あらすじ】

1
国会議員に助けられた子供である本田は、事件から27年たって、警備会社のセールスの仕事をしています。本田は、三島という小説家の家を訪ねて、

「自分には未来の事件を予言するメールが送られてきて、自分は事件を未然に防ぐために、未来の犯人を殺して回っている」

と告白します。
2
本田青年の携帯に、かつて自分を救ってくれた国会議員のせいで1万人が死ぬというメールが送られてきます。
3
国会議員は、かつて助けた子供に27年ぶりに会うことにします。かつて助けた子供とは、未来の事件を予告するメールを受け取る本田青年です。
4
国会議員の父親は、昔、浮気相手からの電話を妻に出られて浮気がばれたことがあります。
5
本田青年は国会議員との会食中に、国会議員を殺そうとします。しかしギリギリのところで、国会議員のせいで1万人が死ぬというのは誤報であるというメールが届きます。

【「密使」のあらすじ】

過去に「特殊なゴキブリ」を送って現在をコントロールしようというSF的国家プロジェクトが存在します。そのゴキブリを送ることによって、国家の破滅が救えるという計算らしいです。

しかしどうやらこのSF的国家プロジェクトを超える別のSF的国家プロジェクトがあるらしいです。この超SF的国家プロジェクトチームは、特殊なゴキブリを奪うことによってゴキブリの過去転送を阻止することに成功します。

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【「PK」 意味の解説】

「PK」の3つの連作短編では、
「PK」で、SF的国家プロジェクトの実現しようとした世界が、
「超人」で、SF的国家プロジェクトの
実現した世界が、
「密使」で、二つの世界の差の種明かしが語られています。

しかし、この話の全体の意味とは何なのでしょうか? この話の何を面白いととらえればいいのでしょうか? 伊坂幸太郎は、どのようなつもりでこのような小説を書いたのでしょうか?

「PK」の中で、作家がこのようにあります。

「彼が心配しているのは、ミサイルが落ちて物理的な被害が出ること以上に、社会の秩序が失われることが、守ってきた法律や道徳が、実は張りぼてに過ぎない、と露わになることが、怖かった」

この社会の秩序は何によって与えられているのか、という問題になります。

宗教によって社会の秩序が与えられると考えられれば話は簡単です。一神教の巨大な神が道徳の根拠であるなら話は終わりです。

ヨーロッパ社会では近代に入り、神の存在が徐々に失われて、社会秩序の根拠が問題化してきました。フーコーは、パノプティコンという相互監視社会をグロテスクながらも理想社会であると提示しました。

伊坂幸太郎も、社会秩序の根拠が分からない以上、今ある社会秩序は張りぼてではないかと疑うわけです。

しかし、社会秩序が張りぼてだというのでは不安なので、
「いやいや、社会秩序はSF的国家プロジェクトによって維持されているのだ」
「いやいやいや、社会秩序は超SF的国家プロジェクトによって維持されているのだ」

ということを語る必要が出てきます。

このようなおとぎ話を聞いて、読者は社会秩序に幻想的安心感を持つわけです。

伊坂幸太郎の小説の主題というのは、社会秩序は何によって与えられているのか、というところに集約できます。

「オーデュボンの祈り」では、カカシによって社会はコントロールされていました。
「ラッシュライフ」では、高橋さんという宗教家が秩序の鍵を握っているらしいことがほのめかされます。
「モダンタイムス」では、無人格の国家が社会秩序を保証する根拠でした。

そして本作「PK」では、SF的国家プロジェクトが秩序の根拠であるとSF的回答がなされています。

伊坂幸太郎の小説はエンターテイメント性の中に哲学を秘めているのが面白いところです。

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「ポテチ」は短編集「フィッシュストーリー」に掲載されています。

【「ポテチ」 あらすじ】

今村と大西は恋人同士で、コンビで空き巣を生業としています。今村が男性で、大西が女性です。物語は、今村の視点で進んでいきます。

今村は、母親の血液型がAB型で、自分の血液型もAB型であることを知ってしまいます。メンデルの法則によれば、AB型の親からはAB型の子供は生まれないことになっています。

今村は、自分の生まれた病院で、自分に関する「赤ん坊のとりちがえ」が起こったのではないかと疑います。自分と同日に同じ病院で生まれた男たちを探し出し、業者に頼んでDNA鑑定をしてもらいました。

自分の母親だと思っていた女性の本当の子供は尾崎といい、プロ野球選手になっていました。
尾崎は現在、チームで控えに甘んじています。

今村の空き巣の師匠である黒澤はすべてを察します。黒澤は、尾崎が当日の試合にいい場面で代打に出られるように細工をして、今村とその母親、そして大西をプロ野球の試合に誘います。

今村は、子供がべそをかくように尾崎を応援します。そして尾崎は.......


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【「ポテチ」 意味の解説】

今村の人格描写の一点で優れた短編です。

今村は、チラシの裏にたわむれに三角形をいくつか描いていくうちに、三角形の内角の和が180度であることを発見します。
「車輪の再発見」のレベルを超えています。
自分の大発見を大西に伝えて、彼女に呆れられたりします。今村は万有引力の法則もかつて再発見したことがあるらしいです。

馬鹿なのかかしこいのか分からない所が面白いです。

今村は、自分が母親の本当の子供ではないことで運命を呪うのではなく、母親に同情します。取り違えさえなかったら、母親はプロ野球選手の子供を持つことができたのに、というわけです。

みんなで球場に尾崎を見に行っても、今村は尾崎がプロ野球選手であることを羨ましがったり、尾崎が今は控えに甘んじていることを冷笑したりすることはありません。

「おざきー、おざきー」

と叫び、尾崎の活躍を一心に願います。
すがすがしいです。

形から入る、という人がよくいます。この言葉は誰それという有名な哲学者が語っているから正しいんだ、とか、私と議論するためには聞いたこともない作家の見たこともない本を読んでこい、などというタイプの人です。

このような人たちというのはかわいそうではあります。この世界では、何かの知の体系に寄り掛かっていないとバカと判断されてしまいます。形から入る人たちは、バカだと思われることを酷く恐れています。

今村はこのような「形から入る人たち」とは対極にあります。
坂幸太郎の見事なフォルム批判(形から入る世界批判)だと思います。


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短編集の「フィッシュストーリー」から、表題作のフィッシュストーリーを紹介します

【フィッシュストーリーあらすじ】

小説内では、時系列がバラバラに、4つの物語が語られていてます。
時間を古い順番に並べなおして、あらすじを書きます。

35年前
一応プロなのですが売れないロックバンドがありまして、三枚目のアルバムがほとんど最後のアルバムになるだろうという予感が漂います。
最期のアルバムの最後の曲の収録で、時間がなくて一発撮りということになりました。ライブ感覚でやればいいか、ということで、みんなで盛り上がったのですが、バンドメンバーの一人が感極まって、
「この曲が誰かに届けばいいのに」
みたいな独り言を収録中に語ってしまいます。録り直しをすることもなく、独り言の1分ほどの部分を無音にしてレコードは発売されました。

20数年前
雅史は、このロックバンドのアルバムを車を運転しながら、窓を開けて大音量で聞いていました。アルバムが無音の部分になった時、ちょうど女性の悲鳴が聞こえました。
雅史は車を止め、悲鳴の聞こえたあたりに徒歩で戻ってみると、女性が襲われているところでした。正義感の強い雅史は、ビビりながらも女性を助けます。

現在
自殺願望のあるハイジャッカーたちにジャンボジェットがハイジャックされます。そこに乗り合わせた瀬川は、子供のころから親に
「正義をなせ」
と教育されていました。正義をなすにおいて大事なことは日ごろからの心の準備だと言われて、瀬川は育ちました。
瀬川はおそらく、車に乗ってロックを聴いていた男性と襲われていた女性との子供なのでしょう。
瀬川はハイジャッカーたちを華麗に叩きのめしました。

10年後
10年前にハイジャックされそうになったジャンボに乗っていた橘麻美は、自身のITスキルを生かして、大きなハッカー事件を未然に防ぎます。非常に多くの人たちが麻美の活躍で救われたらしていです。

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【「フィッシュストーリー」 意味の解説】

話の意味としては、あるロックバンドの歌に込めた想いみたいなものが受け継がれ、時とともにおおきくなって、最後は多くの人を救うに至るという話にはなると思います。

しかし正直言うと、多くの人が救われたと言っても結果論みたいな話ですよね。最初のロックバンドが1分間の無音を作ったことによって多くの人が救われた、と言っても、100%の関連性とかはないでしょう。最後の女性の橘麻美さんも、自分が気が付いていないだけで命の危険みたいなこともあったと思います。彼女が今まで生きてきたのは、ハイジャック犯を叩きのめした瀬川だけのおかげというわけでもないでしょう。

作者が、物語は運命の必然だと主張しても、神様みたいなみのがない限り「必然」なてありえない、というしらけた意見を完全に排除するのは難しいです。

伊坂幸太郎のデビュー作である「オーデュボンの祈り」では、運命をコントロールするカカシを登場させることによって「必然」を担保しましたが、「フィッシュストーリー」では何も設定されていないので、必然を期待する人間の話になってしまっています。

必然を期待する人間の話、というのでは、「フィッシュストーリー」は平均的な出来の現代小説ということになるでしょう。

伊坂幸太郎は、作中に喋るカカシや死神を登場させたり自由自在なわけで、あえて運命をコントロールするような存在を登場させない小説は、伊坂幸太郎の小説に対するチャレンジだと受け取りたいです。



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物語の形式というのは以下の4つになります。

1 神話

2 悲劇

3 ポリフォニー(多声的)小説

4 モノローグ(独白的)小説


それぞれにそれなりの面白さがあります。

歴史的に小説世界は、1から4の形式に順次移行していったと考えられます。これが物語の進歩であるか、堕落であるかは葉判断の分かれるところだとは思いますが、進歩と考えるのが常識的でしょう。

様々な物語や小説は
1 神話
2 悲劇
3 ポリフォニー(多声的)小説
4 モノローグ(独白的)小説
に分類できると思います。

人間というのは面白いものを面白いと感じます。しかし、なぜ面白いものが面白いのか、面白いとは何なのか、ということは難しい問題になってきます。

その辺のところに切り込んでいこうと思います。

伊坂幸太郎の「オーデュボンの祈り」という小説を例にして、面白いとは何なのか、について考えていきます。

「オーデュボンの祈り」は伊坂幸太郎のデビュー作なのですが、「オーデュボンの祈り」を読んだことのない人のためにあらすじを説明します。



「オーデュボンの祈り」あらすじ

まず主人公の青年が、他所と交流を絶って久しい島に連れてこられる。青年は島を歩き回っていろんな人と知り合いになる。最重要のキャラクターは、未来を知ることができる喋るカカシだ。田んぼの真ん中に立っている。
このカカシって結構最初の方で殺される。殺されるといってもカカシなんだけれど。カカシ殺しの犯人が強力に追及されるのかというと別にそうでもない。主人公はペンキ屋の青年と一緒に天気を予報するネコを見に行ったりとか、ペンキ屋の青年が憧れの女性とデートしたりとか、主人公が知らない女の子からフライパンとバターをもらったりとか、少女が道端で寝転んでいたりとか、船長が川原でブロックを集めていたりとか、意味があるとも思えない出来事がバラバラに起こり続ける。多少重要だろうと思われることは、嫌われ者のさえないオヤジが殺されたことだ。しかしこのオヤジは島にごく最近来ただけで、島民はほとんど無関心。

460ページの本も残り100ページを切って、これ後どうするの? と心配になってくる。

ところが伏線は強引に回収された。
カカシは、未来を予言するカカシではなく、未来をコントロールするカカシだった。小説内の無意味と思われる出来事は、じつはカカシが望む未来の一事象のためのカカシによる誘導だった。
そしてカカシが望む未来の一事象とは何かというと、これが何と鳩のつがいの保護だった。

まさか二羽の鳩のために世界が回っていたとは!

そういえばみんなチョイチョイ鳩のことを語っていた。この小説の題名「オーデュボンの祈り」のオーデュボンも100年ほど前のアメリカの鳩学者らしい。かつてアメリカにはある種の鳩が20億羽いたらしい。この鳩が集団で飛ぶと何日も空が暗くなったという。
崇高な二羽の鳩のために伏線は回収され、世界が整合性を持って立ち現れる。


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あらすじだけではなく小説の意味の説明までしてしまいましたね。

未来をコントロールするカカシが「神」ということで、カカシが喋って生きている間は、「オーデュボンの祈り」は神話と判断できます。このカカシは小説の3分の1ぐらいのところで殺されるのですが、そのあと物語世界は混沌に落ち込むかというと、そういうわけではありません。神であるカカシの余光みたいなものが残っていて、運命にコントロールされる人間の話に移行します。

すなわち、神話から悲劇に物語が移行していきます。

「オーデュボンの祈り」では、予定調和的に、たちの悪いサイコパス警官が成敗されてめでたしめでたしということになって、
「これ、悲劇なの?」
という意見の人もいるかもしれませんが、サイコパス警官にとっては悲劇です。

神話において神が死んだので混沌世界に移行するのかというと、実際には世界は悲劇世界で踏みとどまる、みたいなことになるわけです。

私たちが物語を面白いと感じる理由がちょっと見えてきてませんか?

神が死んで世界が崩壊するかもしれないという不安が、悲劇という形式の登場で解消されるという点が「オーデュボンの祈り」の面白さを支えているんだと思うのです。

量子物理学的に考えると、神話という高い位相から悲劇という一段低い位相に移行することによってエネルギーが出て、そのエネルギーを面白さを感じる受容体が感受して、私たちは面白く感じるということになるのではないでしょうか。

よくわからない例えを出してしまったのですが。

結局、
1 神話
2 悲劇
3 ポリフォニー(多声的)小説
4 モノローグ(独白的)小説
への移行は、進歩という物ではなく堕落と考えるのが妥当ではないかと思います。



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ネタバレありです

「バイバイ、ブラックバード」は太宰治の「グッド・バイ」の伊坂幸太郎流の続編として書かれています。


【「バイバイ、ブラックバード」あらすじ】

「バイバイ、ブラックバード」は5編+αからなる連作短編集です。

主人公の星野一彦はなんらかの理由で「あのバス」に乗せられてどこか遠くに連れていかれることになってしまいます。星野の監視役として組織から繭子という女性が派遣されます。

繭子なのですが、マツコ・デラックスをイメージしてもらえればいいと思います。

星野はバスに乗せられてどこか遠くに連れていかれる前に、今付き合っている5人の女性に一人ずつ別れを告げることが認められます。

バイバイブラックバードⅠ 廣瀬あかり

星野と廣瀬あかりはいちご狩りで出会いました。キチンとした格好の星野が一人でいちご狩りに来ていることに、廣瀬あかりが興味を持ったのが二人が付き合うきっかけでした。
繭子の提案で、星野が巨大ラーメンを食べきったら、廣瀬あかりはスッパリ星野と別れるということになります。出会いがいちごの食べ放題だったから、別れは巨大ラーメンなのが運命だ、というよくわからない理由が語られます。

バイバイブラックバードⅡ 霜月りさ子

星野が車を刑事に乗っていかれて呆然としていたところに、霜月りさ子が通りかかりました。彼女が星野に同情したことをきっかけに二人は付き合い始めました。
星野は突然の別れの償いとして、霜月りさ子の車を当て逃げしていった犯人を捕まえることにします。

バイバイブラックバードⅢ 如月ユミ

深夜にロープを抱えて歩いている如月ユミに星野が話しかけたことが、二人の付き合うきっかけでした。
如月ユミは星野と別れることをあっさりと承諾します。そのお礼というわけではないのですが、星野と繭子は、如月ユミとその友人との狂言強盗ごっこを手伝うことにします。

バイバイブラックバードⅣ 神田美奈子

星野と神田美奈子は耳鼻科病院で出会いました。耳鼻科医院というのは全国に1万軒ぐらいあるらしく、2人がであったのは運命だったみたいな考え方もあります。
別れを告げるために訪ねてきた星野に、神田美奈子は「自分は乳癌かもしれない」と告げます。精密検査の結果が明後日明らかになるというのです。星野はその結果を知りたいと思うのですが......

バイバイブラックバードⅤ 有須睦子

有須睦子は有名女優です。彼女と星野が付き合うようになったのは、星野が有須睦子の撮影現場にたまたま訪ねてきていたから、というものでした。
一般人の星野と有名女優とは釣り合わないと。しかし、有須睦子が星野に興味を持った理由は、彼女も忘れてしまっていたかつての運命的な思い出にあって.......

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【「バイバイ、ブラックバード」 意味の解説】

「バイバイ、ブラックバード」は太宰治の「グッドバイ」の続編をイメージして書かれたらしいですが、言われなければ全く気が付かないでしょう。
「グッドバイ」でのキヌ子に当たる人物が繭美なのでしょうが、 キヌ子は「運命に軽やかに逆らう」キャラクターですが、繭美は運命をコントロールする側ですから。

星野は「あのバス」に乗せられてどこかに連れていかれ酷い目に合うらしいのですが、「あのバス」を運行する組織とは何か、どこに連れていかれてどのような酷い目に合うのか、は本文中では全く明らかにされません。
さらに星野が連れていかれる理由なのですが、本文中に「借金」とは書いてはあるのですが、どのような借金なのかは明らかにされません。
伊坂幸太郎は自作解説の中で、

「あのバスとは何か、という読者の期待に応えられていたかは、まあ読んでいただければと思うのですが、ちょっと申し訳ないです」

と語っています。

さらにバスの説明をしなかった理由として、

「ロシアの映画に『父、帰る』という作品があって、作中で登場人物のディテールへの言及がないという体裁がすごく神話っぽいなと思いまして、それと同じことをやりたくなったんですよ」

とあります。

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伊坂幸太郎は「神話っぽい」と言っていますが、正確に言葉を選べば「悲喜劇っぽい」ということになるでしょう。

近代以降の小説という形式は、小説世界の整合性はその世界内で完結している、というものです。それに対して悲劇の形式とは、悲劇世界の整合性は別の世界の意思のようなものによって担保されていて、悲劇世界の人間は、別の世界によって指定された運命に従って物語を紡いでいく、というものです。

悲劇世界においては、人間は世界の意味について知ることは出来ないし知る必要もない、という設定になっています。「バイバイ、ブラックバード」の読者が「あのバス」の意味を知ることができないのと同じです。

この流れで星野一彦が、なぜ「あのバス」で連れていかれなくてはならなかったのか、どこに連れていかれるのか、を説明してみましょう。

星野は5人の女性の運命をコントロールしてしまいました。正確に言うと、5人の女性は星野との出会いを運命だと思ってしまいました。
しかし悲劇世界で運命をコントロールできるのは、人間には知ることの出来ない別世界の意思だけです。星野は悲劇世界での禁忌を犯したと。星野は、この世界の運命をコントロールする意思に対して借金があるということになります。だから「あのバス」で連れていかれます。

星野がどこに連れていかれるかというと、悲劇世界をコントロールする意思の世界へでしょう。それがどのような世界かというのは語ることができません。これを語ってしまうと悲劇世界が壊れてしまいますから。

伊坂幸太郎の小説というのは、小説の形式ではなく悲劇の形式を踏襲しているでしょう。

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【「SOSの猿」 あらすじ】

「私の話」と「サルの話」が並行して進みます。

「私の話」での主人公は、弱いくせに人の不幸を見過ごすことができない遠藤二郎君です。職業は家電量販店での販売員なのですが、除霊のボランティアをやっています。

二郎君は昔イタリアに留学した時に、ちょっとしたきっかけで悪魔祓いをする神父に弟子入りしていた経験がありました。

二郎君が除霊ができるという噂を聞きつけられて、親戚のおばさんに、引きこもっている自分の息子の様子がおかしいので試しに除霊をしてほしい、と頼まれてしまいます。

気が進まない中、その息子(真人君)に会いに行くと、真君は、

「自分は孫悟空である」

と、さらにそのことを証明するために

「例えば窓の外を歩いているあの男の半年先の未来までを予言する」

というのです。

真人君が語った一人の男の半年間の物語が「猿の話」ということになります。


「猿の話」での主人公は五十嵐真です。小説の構造上、ここはネタバレになるのですが、真人君の部屋の窓の前を歩いている男の名前は五十嵐真であると、真人君自身が語りだすわけです。

五十嵐真はコンピューターのシステム開発会社に勤めているのですが、システムを納入した先の証券会社で、株の誤発注事件が起こります。

証券会社の社員が、『20万円1株売り』の注文を間違えて『1円20万株売り』とやってしまい、気が付いて注文を取り消そうとしてもコンピューターシステムに受け付けてもらえず訂正できませんでした。結果、証券会社は300億円の損害を被ります。

株取引のコンピューターシステムに不都合があったのかなかったのかを調査するために送り込まれたのが五十嵐真でした。

五十嵐真の調査によると、誤発注した証券会社社員は寝不足であったと。寝不足であった理由は、前夜隣の部屋がうるさかったからだと。
何故うるさかったのかというと......  ここから先は孫悟空も現れて、五十嵐真と共に因果関係を探索していきます。

「五十嵐真の話」は真実を確かめる話です。
半年たって、遠藤二郎君とそのゆかいな仲間たちは、半年前に真人君の部屋の窓の外を歩いていた男を実際に捕まえて、真人君の話は真実であるのかどうかを確かめようとします。

結論から言うと、真人君の話はだいたい合っていました。男の名前が五十嵐真であるということ、株の誤発注事件が実際に起こったということ、などは合っていたのですが、誤発注を起こしてた証券会社の名前、証券会社の損失額というのは、真人君の話とは多少違っていました。

真人君の話によると、証券会社社員を寝不足にした隣の部屋には、とんでもなくタチの悪いDV男が住んでいるということでした。真人君の話がおおむね真実なら、よし今からみんなでそのDV男と対決しに行こうということになりました。

DV男は自滅します。そして株の誤発注事件を前もって知っていた真人君は株取引で大金を得ます。真人君はその儲けたお金でかわいそうな人たちを救い、話は終わります。

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「SOSの猿」意味の解説

本作にある株の誤発注事件というのは、2005年にみずほ証券がおこした「ジェイコム株大量誤発注事件」がモデルになっているでしょう。この事件で20億円の利益を得た個人投資家が「ジェイコム男」と命名されたりしました。

当時の個人投資家の話題はこのジェイコム男についてではなく、証券会社の空売りシステムについてでした。空売りとは、信用取引において持っていない株を売ることの証券用語です。当時個人投資家は日本証券金融が指定した銘柄しか空売りできなかったのですが、この事件によって、証券会社は新興市場に当日新規上場したような銘柄でも無限に空売りできるのだと明らかになりました。


伊坂幸太郎の小説は、個人の意思による勧善懲悪を排除して、運命をつかさどる神の采配としての勧善懲悪を目指す、という特徴があります。

伊坂幸太郎はジェイコム事件から、あぶく銭は運命をつかさどる神によって困窮している人に再配分されたら、のようなインスピレーションを得たのでしょう。

運命をつかさどる神の手下として、「孫悟空」が登場させられているのでしょう。


この「SOSの猿」は、五十嵐大介の「SARU 」とのコラボ企画です。「SARU 」を読めば、「SOSの猿」の伏線をより多く理解できるでしょう。

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ネタバレあります。

【「あるキング」 あらすじ】


仙醍市の万年最下位のプロ野球団「仙醍キングス」のかつての名選手で現在は監督の南雲慎平太が、最後の試合中に亡くなります。同じ夜に、主人公である山田王求(おうく)が産声を上げるところから物語は始まります。

山田王求は、熱狂的な仙醍キングスファンである両親のもとで野球に打ち込み、高校生になると素晴らしい才能を開花させていきます。

しかしこの両親の野球教育に対する熱血ぶりは異常で、野球の試合で王求を敬遠しないように相手チームに賄賂を渡したり、最後には王求に暴力をふるった少年を殺害さえしてしまいます。

父親が殺人犯となってしまった王求は高校野球を中退してしまうのですが、18歳の時に仙醍キングスのプロテストを受けて合格します。

王求はプロ1年目から活躍するのですが、殺人犯の息子という理由で、対戦相手だけではなくチーム内にも王求の活躍に不満を持つ人がいたりします。

試合中、仙醍キングスの打撃コーチに腹部を刺された王求は、激痛に耐えながらホームランを打った後に力尽き死んでいきます。その同じ時刻に、仙醍市内では熱狂的な仙醍キングスファンの両親のもとに一人の男の子が生まれようとしていました。


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【「あるキング」 意味の解説 】

この「あるキング」では、シェイクスピアのマクベスにでてくる魔女のセリフである「きれいはきたない、きたないはきれい」を全編で強調しています。

「きれいはきたない、きたないはきれい」を英語の原文では、Fair is foul、foul is fair と書きます。このフェアーとかファウルとかを野球に引き付けて、

「Fair is foul、foul is fair」を
「ファウルはフェアー、フェアーはファウル」

と、そのままで解釈していこうということですね。

「マクベス」において、予言する3人の魔女が国王マクベスに

「きれいはきたない、きたないはきれい」

とささやきます。

この意味なのですが、悲劇という運命の物語の中では合理的な言葉、例えば「きれいはきれい、きたないはきたない」などというものは価値がない。「きれいはきたない、きたないはきれい」などと意味不明な言葉を発するぐらいでちょうどいい、というぐらいの3人の魔女によるアピールでしょう。

この考えを「あるキング」に当てはめると、運命という物語の中では天才野球人である王求も、その才能が必ずしも報われるとは限らないということになりますか。
才能は王求固有の所有物ではなく、受け継ぎそして伝えていくものなのでしょうから。




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