magaminの雑記ブログ

カテゴリ: 未婚社会

【貧困は社会の問題なのに、未婚は自己責任である理由】

結論から言うと、女性にも男を選ぶ権利があるわけだから、今の社会状況のままでモテナイ男に女性をあてがうことは出来ないからだ。
貧しい人を救うことは出来るけれども、結婚できない男を救うことは出来ない。


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【未婚による社会システムの変動】

こうなってしまうと、モテナイ男はかなり早い段階で、自分はたぶん結婚は出来ないだろうと悟ることになるだろう。このように悟られてしまうと、意欲的に労働しようという気持ちは減退してくるだろう。どうせ結婚できないのだから、無理して一人前のふりをする必要はない。出来ることを出来る範囲でやれは十分だ、ということになるだろう。

かつてこのようなやる気のなさというは排除されていたのだけれど、結婚できない男がある一定数を超えてくると、若年層において「無理な仕事はお断り」という雰囲気が生まれてくるだろう。下層労働者の50代以下年齢層では、すでにこの傾向が顕著だ。


未婚男性というが最後どうなるかというと、当たり前なのだけれど孤独死みたいなことになる。私の職場というのは社会の底辺みたいな感じのところで、50歳を過ぎても独身という男が昔から一定数いた。

小さい会社なのだけれど、この二十年の間に二人死んでいる。無断欠勤するから家に呼びに行ったら死んでいたというのが2回あった。どちらも独身のおじさんだった。

葬式とかはない。

兄弟という人が来て、骨を焼いて持ち帰るだけだよ。きわめてあっさりしたものであって、人が死んだら葬式をするというは、当たり前ではないというのを知った。

これは10年ぐらい前の話で、60才になって独身男というのは、当時まだ少なかった。これが現在生涯未婚率は25%、30%に向けて上昇中だという。

若いうちはいいんだよ。しかし、50、60になると親も死んでくるからね。

気楽に遊んでの独身で死ぬのだからしょうがないんじゃないの、なんて職場では話される。働いているから、そのつながりで死んで1週間程度で発見してもらえるけれど、本当にそれだけ。他にどうしようもない。 

男って女に比べて精神的に弱いから、高齢独身の孤独って、なかなか男には耐え難いのではないかと思う。

日本というのは助け合いの社会だったと思う。助け合いの社会の根底を支えていたのは皆婚制度だろう。結婚して子供を育てることで、個人は社会に貢献できるということをアピールする。社会もそれを受け入れて、個人に社会的立場を提供する。そんな循環があったと思う。

ところが現代において、皆婚制度は急速に崩れた。日本における皆婚制度の起源というのは室町時代末までさかのぼる。500年来の制度が崩れつつあるのだからこれは大変なこと。



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現代日本では生涯未婚率が上昇している。1965年において男性の生涯未婚率1.50%女性の生涯未婚率2.53%から、2015年において男性の生涯未婚率23.37%女性の生涯未婚率14.06%、となっている。

この数字で驚くのは、現代のオジサンの未婚率の高さではなくかつての日本の既婚率の高さだ。男性の生涯未婚率1.50%?!! とにかくでもとりあえずでも結婚しろみたいな強力な社会的雰囲気があったと推測される。そういえば私が子供のころ1980年代、まわりのオジサンオバサンはほぼ例外なく結婚していた。

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【日本はいつから皆婚社会になったのか】


日本における皆婚社会というものがいつごろ成立したのか。この本によると、どうやら16世紀頃らしい。先進地域である畿内では1500年ごろから、畿内の周辺としての尾張、播磨では1550年ごろから、その外側では1600年ごろから皆婚社会に移行した。だからこの皆婚社会というのが中世と近世の境目といえるだろう。

諏訪地方おいて17世紀後半の平均世帯規模は7.04人だったのが、幕末においては4.25人になっている。世帯内の奴属農民や傍系親族が独立したり消滅したりして世帯規模が縮小した。
どういう変化が起こったのかというと、労働へのモチベーションの低い昔ながらの作男や結婚の見込みのない次男や三男を抱えた大家族で労働するより、そのようなものを独立させてそれぞれが労働する方がトータルとして生産性が高くなるという、さらにその合理性が社会の雰囲気となって結婚が強制力となっていったのだろう。

日本の皆婚社会の歴史というのは、実は400年の歴史があった。

時代と関係なく、男と女の互いに互いを求め合う情熱は同じであるという。男女間の情熱を満たしつつより合理性の高い社会体制に移行したのが、室町末期以降の日本だったということなのだろう。


【生涯未婚率上昇の理由について】


しかし、日本の400年の伝統であった皆婚社会は、現代において完全に崩れた。この理由なのだけれど、私の観察するところ結婚したくないヤツは結婚しなくなったというのはある。もっと遊びたいから結婚お断りみたいな。このパターンは、男性の場合10%弱はいるのではないだろうか。
そして残りの10%強の男性が、結婚したくてもできないというパターンだと思う。

生涯未婚率において男性より女性の方が9%も低い。とにかく女性優位なんだよね。ここ20年ぐらいで女性も当たり前に仕事をするようになって、変な男と一緒になるよりは一人で生きていく方がマシだと考えるようになったのだろう。
常識的な判断だと思う。能力のある女性が、この世界で自分には何がどれだけできるのか試したいと考えるのなら、それは実行されなくてはならない。

男性未婚者は下層に多い。私はトラックの運転手をしているのだけれど、周りの30代40代の男性の半分は未婚だ。こいつらに多いパターンは、女性に対して過度な期待をしているということだ。一番多いのが、親の面倒をみてほしいということ。女性にとって、この要求はかなりきついものなのではないだろうか。
男性にとっては、昔の女性は嫁ぎ先の親の面倒をみるのが当たり前だったのだから、今の女性もお願いしますということだと思うのだけれど、今と昔は平均寿命が違う。
大正期においては、結婚時の夫婦の平均期待寿命は夫61.5歳妻61.0歳だった。1990年時点では、夫77.1歳妻82.7歳となっている。現状ではもっと伸びているだろう。かつては女性にとって、夫の引退した両親との同居は6.7年だったのだけれど、現代では20年以上にもなる。アリ地獄に落ちる可能性があるなら、女性が尻込みするというのは女性の責任ではない。


【生涯未婚率上昇の結果について】


未婚率が上昇して出生率が低い結果、日本の人口が減少しているのだけれど、どこかの時点で均衡するだろうとは思う。
400年前に皆婚社会となり人口の増加が始まり、日本は中世から近世へと時代のフェーズが変わった。本当の時代の変化というのは、明治維新とか太平洋戦争とかそういうイベントにではなくて、未婚率とか人口の変化とかそのようなものにこそあるのかもしれない。
日本の人口がどこかの時点で均衡した時には、今とは違う別の世界が現れているだろう。


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職種によって未婚率に差があるという現実は、職業に貴賤はあるのか?という疑問に直結してしまう。

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【職種によって未婚率に差があるという残酷さ】


職業に貴賎はあるか?なんていうとキツイ感じがするから、職業に価値の濃淡があるか?というマイルドな言い方をしてもいい。  

職業の価値の濃淡というのは何によって決定されるのか。

最も簡単な答えというのは、「稼ぐお金の量によって」ということになるだろう。しかしこのような簡単な答えというのは、一見正しいように思われるのだけれど、いくらでも反論可能。もう少しマシな仮説が必要だ。 

ではこういうのはどうだろうか。  

「その職業集団が再生産可能かどうか」   

例えば江戸時代を考えてみる。江戸時代においては、武士と農民というのは、職業としての価値の序列があったかのように見える。

しかし武士と農民とのそれぞれの集団は、それぞれに再生産して集団を未来につなげているわけで、武士と農民は職業に貴賎があったというより、その暮らす世界を住み分けていたという方が正確だろう。

武士と農民との貴賎というよりも、武士世界内、農民世界内の貴賎のほうが、そこに暮らす人間にとってははるかに重要だろう。

具体的に言えば、長男と次男以下との区別ということになる。これは職業ではないが、集団と考えれば同じことだ。家父長社会において、長男集団と次男以下集団とはリアルに価値が違う。

なぜ価値が違うのか。残酷な質問には残酷な答えが待っている。長男集団には再生産が期待されているけれども、次男以下集団には再生産が期待されていないからだ。江戸時代において、武士と農民には貴賎は存在せず、それぞれの長男集団と次男以下集団には貴賎が存在した、と言ったとしても体感的にそう間違いでもないだろうと思う。

職業の貴賎などという価値の序列というものは、様々な社会体制においてそれぞれ決定されるものだろう。   

そして再び問う、現代日本において職業の貴賎は存在するか?  

戦後、正確に言うと戦中以降、日本においては社会保障や最低賃金なるものが存在した。総力戦を国家が呼号する中、最低限のカロリーを提供してもらわなければ、国民としても国家の総力戦に継続的に参加できないから。国家が最低賃金を補償して、さらにその国において皆婚状況であるとするなら、その国において職業の貴賎はないといえるだろう。国家に有用なあらゆる職業集団が再生産可能だからだ。  

ところが時代は変わって、現代の日本では生涯未婚率が3割に迫ろうかとしている。おそらく職業によって、結婚しにくいもの結婚しやすいものという色分けがあるだろう。結婚しにくい職業なるものが誰の目にも明らかになったときに、言い換えるなら、再生産しにくい職業が誰の目にも明らかになったときに、それでも職業に貴賎はないと強弁できるのかということになる。21世紀も17年もたって、その辺のところが明らかになりつつあると思う。

世界は2つに分裂するだろう。職業に貴賎はないと強弁するものと、職業に貴賎はあると開き直るものと。これらを総合するためには、おそらく新しい世界観が必要となるだろう。

自分で言っておいてなんなのだけれど、この新しい世界観とはどのようなものであるかというのは想像ができない。近代の人たちが、社会保障について想像が出来なかったのと同じ。

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結論から言うと、勘ちがいの威張りすぎということになるだろう。

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【独身団塊ジュニア男が結婚できなかった理由】


よく若い人がお金がないから結婚できないという意見があるけれど、これはちょっと違うと思う。

私が二十歳のときは、大学生でバブルの絶頂だったけれど、

「女に関してぼんやりしていたら、自分程度の男は結婚って危ないんじゃないのか」

なんて思ったことがあったよ。

1990年ではすでに、男も女も同じ教育を受けるというのが当たり前になっていた。男と女とは、勉強において得意分野に差はあるかもしれないが、知能レベルに差なんていうものは無い。教育レベルも知能レベルも同じ男群と女群が、自由恋愛市場において互いにパートナーを選びあおうするなら、余る男余る女というのがでてきてあたりまえだろう。
自然状態なら、そもそも皆婚というのはありえない。近代日本の皆婚社会というのは、女性に対する過度の抑圧によって成立していたと思う。


団塊ジュニア、すなわち今の40代の男というのは、その辺の女性に対する意識の転換が出来なくて未婚というのがかなりいると思う。団塊ジュニアは、日本の未婚率上昇に貢献したし、時代の転換をよくわからないまま適齢期を過ぎてしまったというのが1割はいるだろう。今の20代30代はその辺のところを修正してきていると思う。最近の未婚率の上昇が頭打ちになってきていることから、それはうかがえる。  

結婚するのがよくて、結婚しないのが悪いというわけではないけれど、結婚したいのならそのための女性に対する接し方というものがあるし、結婚したくないならそれなりの覚悟というものがある。
威張っていればそのうち結婚できるだろうという考えが、常軌を逸して甘すぎたというだけだ。 

そういう点で考えれば、今の若いやつらって馬鹿じゃないなと思う。

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【未婚社会では職種による男の選別が行われている】


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私は25年ほど前は帝国大学上位校にいっていたが、当時の部活の先輩同輩後輩もれなくみんな結婚している。出来る男というのは、女づきあいが苦手だとしても、女の方が放っておかない。  

私はブルーカラーの底辺会社に20年ほど勤めているのだが、下層階級としか表現できないような職人気質のやつも多数知っている。一見チンピラみたいなんだけど、元気で気のいいやつらなんだよ。どこでみつけてくるのだか、このようなやつらにも女がいる。下層階級には下層階級を再生産する仕組みがある。   

問題は中産階級下層だ。この層が最も結婚しにくい。つまり、メンタルが下層階級のそれにもかかわらず、自らは中産階級であると勘違いしている場合が結婚しにくいということ。

団塊の世代までは皆婚社会で、このような勘違いした中産階級下層も再生産できた。ところが社会的なプレッシャーがなくなり女性が解放されてくると、女性は真っ先にこの勘違いした中産階級下層から逃げ出すようになる。

普通に考えれば当たり前なんだよね。自分の欲求をコントロールできない下層メンタルが、全く勘違いして、自分が社会においてひとかどの何ものかであるという言説を四六時中撒き散らす男に添い遂げようなんていう女が今の時代に存在するわけない。勘違いで結婚できた団塊世代の子供達が、勘違いを当たり前だと思った結果、女性に恵まれなかったというのが、生涯未婚率30%の原因だと思う。   

世代が2回転もすれば、勘違いした中産階級下層というものは一掃されるだろう。  

例えを一つだそう。 

「ドラえもん」の「のびたの家族」いうのは、この勘違いした中産階級下層たろう。のびたは、自分の欲望をコントロールできない。
だからそのためのドラえもんだ。
のびたは、しずかちゃんと結婚するらしい。しかし普通に考えるなら、しずかちゃんにふさわしいのは、スネオかできすぎ君だろう。のびたはご飯をお代わりするとき、「ママお代わり」といって、ママを使っている。ママも当たり前のように子供にご飯をついでいる。のびたって小学高学年だよね。のびたは自分の欲望はコントロールできないくせに、ママをコントロールしようとする。のびたのような子供が大人になったとき、このような男と結婚しようなどという女が果たして現れるだろうか? 

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【なぜ30年前はみんな結婚していたのか?】
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今から思い出してみて、25年前、結婚というのは当たり前の事だった記憶がある。今ではとても結婚できないだろうなんていう男も普通に結婚していた。

私のオジサンは当時40歳職歴なし、自称詩人だったけれども、とりあえずバツイチだったし。

これ、当時何故皆婚時代だったのかというと、結局社会的プレッシャーがあったからだと思う。結婚プレッシャーといってしまうと話が簡単になってしまう。一方向から来るプレッシャーは認識できるのだけれど、全方向から来るプレッシャーというのは認識できないんだよね。          

1990年当時、私は20歳の健康な男性であって、もちろん性欲というのもあった。性欲というのは下半身の問題ではあるのだが、20歳のころの私はその性欲が胸の辺りまで来ていたような気がする。

今から考えると、私はそう性欲の強い方でもないし、当時から流行なんてものも大して興味はない。こんな私でさえ、好きな女性のパートナーを見つけなくてはいけないなんていう熱い欲求が胸辺りまで来ていた。          

当時の日本はあのバブルの絶頂だった。

当時私は名古屋に住んでいたが、あの名古屋にすらディスコというのがあった。男は高級ホテルを予約してクリスマスイブに彼女と夜をすごすというのが流行っていたというか、当たり前だった。大学の卒業式の日に、卒業する先輩の女の子に、あんたレンタカー借りて花束持って卒業式の会場の外で待っててくれない? なんていわれたこともある。丁重に断ったけれども。                        

結局、当時の彼彼女達の多くは、社会的なプレッシャーによってパートナーを得なくてはいけないという意識に頭のてっぺんまで覆われていたのだと思う。男だけではなく女も状況は同じなのだから、生涯未婚率も低くなる。 

時代にも雰囲気というのはある。かっこよく言えば、時代精神ということだろう。この時代精神に抗うというのは並大抵の事ではない。

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