magaminの雑記ブログ

カテゴリ:中国思想 > 漢詩


琴瑟(きんしつ)  

琴瑟 端なくも五十弦  一弦一柱 華年を思う 
(きんしつという弦楽器は弦が五十ある 五十ある弦のまさに一つの弦、その弦を支える一つの柱 使い込んであるそれぞれを目前に感じるたびに かつての華やかだった時を思い出す)  

荘生の暁夢 胡蝶に迷い 望帝の春心 杜鵑(とけん 意味ホトトギス)に託す 
(荘子の胡蝶の夢 夢で胡蝶になるか胡蝶が私の夢を見るか 古代の望帝がホトトギスに生まれ変わり 血を吐きながら歌ったという伝説か)  

この情 追憶を成すを待つべけんや 只だ是れ当時 すでに茫然 
(かつての思いは、今でもおぼろげなのに、未来においてはっきりと思い出すなんてことができるだろうか)    

現在過去未来があいまいに交錯するする中、荘子の胡蝶とか望帝とかを積み上げていく感覚がたまらない。あなたの人生が夢だとしても、胡蝶の夢は歴史的言説でしょう? という逆説的な感覚がたまらない。さに私達は何を確信して生きているのかと思い悩む。夢の中ですら、胡蝶や望帝を積み重ねていこうとする、東アジアのギリギリの粘り腰すら感じる。  ここまで言うと言いすぎかもしれないのだけれど、ローマ帝国は滅びても秦漢帝国は継続した理由というのは、漢詩の理念というかさらに言えば、漢字にあると思う。日本は漢字を失ってはダメだ。

琵琶行は白楽天の有名な詩らしい。漢詩の素養とか全然ないから、そんなことは知らなかった。読んでみると、ただただすごいと思った。明治以前の教養というのは漢文だったということなのだけれど、これはありえる選択だったとしみじみ思う。明治以降は、西洋論理優先ということになったのだけれど、これもよしわるしだろう。

では「琵琶行」 

軸を転じ 絃を発す 三両声 
(琵琶の軸や絃を調整しながら 三度琵琶をかき鳴らす) 

未だ曲調をなさずして 先に情あり 
(琵琶の曲は始まっていない、琵琶の情は始まっている) 

絃絃掩抑(えんよく)し声声思い 
(絃をはじく一音に思いをこめ) 

平生 意を得ざるを訴うるに似る 
(日常で表現しきれないことを琵琶にこめようとする) 

眉をたれ手にまかせて続々と弾き 
(頭をたれ手にまかせて続々と弾き) 

説き尽くす心中無限の事 
(表現しつくす 心の中で気づきもしなかったことまでも)  

たまらんよね。

個人の言論がここまで持ち上げられてあるというのは並大抵ではない。まあ、私のこのような表現自体が西洋合理主義的でつまらないとは思う。ただ黙って「琵琶行」を読めばいい。

  魂よ帰り来れ 南方は以って止まるべからず  ( 楚辞 招魂 )  そして日本の話。 靖国神社の前身というのは、長州の招魂祭的なものだったと記憶している。故郷を離れて死んだ人間の魂は、再び故郷に戻ってくるべきだという、このちょっとねっとりとした観念というのは日本にありがちだとは思う。ここでいう魂とは、論理的な死後の認識ではなく、一体性も怪しい情念みたいなものだろう。  楚辞(そじ)は中国戦国時代の楚地方に於いて謡われた詩の様式のこと。戦国時代は紀元前3世紀ごろ、楚とは戦国時代に揚子江中流域にあった有力国家名。  戦国時代の南方国家の楚と幕末から明治初期にかけての靖国神社形成にいたる日本が、招魂という言葉で重なっているというのはどうなのだろうか。  もちろん何の関係もないということもありえる。  ただ、「 魂よ帰り来れ 」っていうこの言葉が、なんだか引っかかる。楚と近代日本が、魂よ帰り来れなんていう言葉で2000年の時を越えてつながっていたとしたら、それはもうロマンだよね。

杜甫の「春望」がまたすごい。国破れて山河あり、っていうやつ。   唐が全盛期の時、玄宗皇帝が楊貴妃に耽溺している間に安禄山の乱がおこって、長安の都がひっくり返されたっていう内乱状態が存在した。  杜甫はこの経験をてこに、強力な言説を展開した。その一つが、「春望」だ。  国破れて、というこの続きを見てみようと思う。      

国破れて山河あり      
城春にして草木深し      
時に感じては花にも涙をそそぎ     
別れを恨んでは鳥にも心を驚かす     

戦争という非常時に、惰性の生活世界が崩れて、リアルな感覚が立ち昇ってきたということになるだろうが、まあそんな説明の必要もないだろう。生活の奥にあるリアルを言葉で固定するというの、並大抵ではない、普通ではムリだ。それを、別れを恨んでは鳥にも心を驚かす ときた。すごいよ。さすが詩聖だね。これが例えば小説だったりすれば、鳥に心を驚かす主人公が、なぜ鳥に心を驚かすに至ったのかを延々と論述したりするだろう。そんなのを読みたい人は読めばいいのだけれど、個人的には正直うんざりなんだよね。杜甫の場合は、鳥に心を驚かす ことの前ふりというのが、国破れて山河あり 城春にして草木深し これだけだという。

漢文とか漢詩とか、興味ある人なんて極めて少数だと思う。 私は、子供のころから文学好きだった。ただどうしても西洋文学、西洋哲学みたいなことになった。この世界を知るには西洋の文学を知る必要があるだろう、みたいな強力なバイアスがあったのだろう。30年以上、西洋文学みたいなものを読んでみて、こんなことを言うと傲慢みたいなのだけれど、西洋の論理構成みたいなものはだいたい分かった。私程度の人間が理解できるのだから、西洋合理性なんていうのも、そうたいしたものでもない。この世界で、それぞれがそれぞれの合理性をより切磋琢磨していけばいい。それによって、お金を儲けたり人から尊敬されたら、よりよい人生なるものを享受できたりするだろう。 そんなことはどうでもいいと思う。大事なのは結局、言葉の迫力、言葉の厚みだろう。意味のための言葉、そんなのじゃない。意味としての意味、言葉としての言葉、積み重ねようとする意志。      そういう意味で、王 之渙のこの詩はたまらないものがある。   「千里の目を極めんと欲して、さらに登る一層の楼」   これだけなんだけれど。しかし、あらゆるものが凝縮されていてすばらしいよ。  千里の目を極めよう、この世界を理解しようとして、合理性の歴史の階段を登っていくという。しかしそもそも、この楼閣、この合理の世界というのはいったい誰が作ったんだ。一人の天才程度のものが作った楼閣に登ったからといって、千里の目は極められるのだろうか。積み重ねに寄りかかるような、諦めるような、王 之渙の世界観がたまらない。    次元が違う。    今の世界意識とは次元が違う。

此の地 燕丹に別る (このち、えんたんにわかる) 壮士 髪 冠を衝く (そうし、かみ、かんをつく) 昔時 人 すでに没し (せきじ、ひと、すでにぼっし) 今日 水 なお寒し (こんにち、みず、なおさむし)    この漢詩をじっくり読む。そうすると思い出すべき歴史がある。そおそお、あれあれ、伝説のテロリスト荊軻(けいか)。 毒の塗られた短刀で秦の始皇帝を殺そうとした、何度もいうけど、伝説のテロリスト。 荊軻が秦の始皇帝を殺そうと咸陽に行こうとして易水という川を渡ろうとしたときに読んだ歌がこれ。    「風しょうしょうとして易水寒し、壮士ひとたび去りてまた還らず」   起源というものがあるとするなら、このように厳然としてあるだろうと思う。駱賓王は、則天武后に対するクーデターに参加するにあたって、荊軻の詩にかぶせる詩を詠んだという。  始皇帝と則天武后、荊軻と駱賓王。 歴史を積み上げるというのは、このようなことを言うのだと思う。   此の地 燕丹に別る(中国の戦国時代、燕という国の太子の丹というやつに荊軻は口説かれた。始皇帝、何とかならないかって) 壮士 髪 冠を衝く(荊軻は太子の丹の思い入れに、髪が逆毛だって冠を衝くほどになったという) 昔時 人 すでに没し(何百年も前の話だ。始皇帝も荊軻も燕の皇太子も、歴史の彼方に没してしまった) 今日 水 なお寒し(ただ、則天武后と刺し違えようとしている私の前に流れている易水が、昔と同じような冷たい水をたたえているだけだ)   たまらんよね。この積み上げる感じが、本当にたまらんよね。

西洋哲学もだいたい分かってきた。もういいかげん、いいだろう。ここからは漢詩をメインに読んでいきたい。    老驥 櫪に伏するも 志は千里に在り (ろうき、れきにふするも、こころざしはせんりにあり)  烈士の暮年、壮心、止まず(れっしのぼねん、そうしん、やまず)  曹操の詩。 老驥は年とった馬、櫪はかいば桶。  たまらんよね。様々な熱い思いの積み重ねをギリギリの言葉で濃縮したような、その感覚がたまらない。私なりに曹操の詩のこの部分を訳してみる。 「歳とった馬は、今疲れきって、かいば桶に首をたれているように見えるが、その魂は、昔千里を走った頃のことを、今も同じことが出来るかもしれないと思い返している。人とて同じことだ。烈士の暮年も、壮心は止まない」  丁寧に訳すと、これだけの言葉の量がいるのに、「老驥 櫪に伏するも 志は千里に在り」   これだけ。  漢詩、曹操、すごい、たまらん。

このページのトップヘ