magaminの雑記ブログ

カテゴリ:外国文学 > プラトン

現代世界の先進国は民主主義なのだけれど、プラトンは民主主義の後は独裁国家が出現するだろうと予告しているる

普通に考えれば、この世界は進歩する世界だし、民主主義はすばらしい制度だから、民主主義は永劫に続くだろうということになるのだが。

この世界に不満を持つ人は、根拠のない世界崩壊願望を持つこともありえるだろう。ところで本当のところはどうなのだろうか。もちろん私なんかに未来が見えるわけではない。ただし、プラトンの言説に従って未来を予測することは可能だ。

  繧「繝シ繧ュ繝・け繝√Ε, 繧「繝シ繝�, 譏弱k縺�, 濶イ, 譛牙錐縺ェ, 譌・譛ャ縺ョ譁・喧, 譌・譛ャ縺ョ莠ャ驛ス


【プラトンの予言】


プラトンが語るには、国家とは名誉国家、寡頭国家、民主国家、僭主国家、この順番で移行するというか堕落するという。

プラトンは「国家」という本の中で、国家は名誉国家、寡頭国家、民主国家へと移行すると2500年前に断言し、2500年後に実際そうなった。では民主国家はどうなるのかというと、プラトンが言うには僭主国家になるという。僭主国家とは正統ではない支配者による独裁国家のことだ。僭主国家における独裁者の形成とはどのようなものか、プラトンの言説を聞いてみよう。 

「民衆の指導者から独裁者への変貌は、いつどのようにして始まるのだろうか? それは同胞の血を流し、こうして一人の人間の生命を消し去り、その穢れた口と舌で同族の血を味わい、さらに人を追放したり死刑にしたりしながら、負債の切捨てや土地の再配分のことをほのめかすとするならば、このような人間は殺されるか人間から狼に変身するかの選択を迫られるのではないだろうか」  レーム。  

「敵対者達は彼を追放することができず、力づくで彼を暗殺しようとたくらむだろう。そこで独裁者の道をここまで進んできたものは全て例外なく、このような状況に対処するために、かの有名な「僭主の要求」というものを思いつくことになる。すなわち身体を護ってくれる護衛隊を民衆に要求するのだ」  親衛隊。  

「金をもちしかも金と共に民衆の敵という悪評をもつ者がこの事態を目にすると、そのときこそ、そのようなひとは、友よ、かのクロイソスに下された神託のとおりになるのだ」  ホロコースト  

「かの指導者その人は、他の数ある敵たちをなぎ倒して、国家という戦車の上にすっくと立つ。その時彼は、もはや民衆の指導者であることをやめて、完全に僭主となってしまっているのだ」  

これはヒットラーのことだろう。  

プラトンの言説は続く。 

「いったんそとなる敵たちとの関係において、その気遣いから解放されてしまうとまず第一に彼のすることは、絶えず何らかの戦争を引き起こすということなのだ。民衆にとって指導者を必要とする状態に置くためにね」  

ラインラント進駐、オーストリア併合、ズデーテン、ポーランド侵攻、結局は第二次世界大戦となった。ドイツのソビエト侵攻は奇妙だとは思わないだろうか。独ソ不可侵条約もあったんだし、常識的に巨大な同盟国を攻める必要もない。ここのところは様々な見解がある、ヒットラーはソ連を冬までに片付ける予定だった、ヒットラーは気が狂っていた、奇妙なところでは、ヒットラーは破滅を望んでいたというのもある。

プラトンの言説を利用するなら、ヒットラーは戦争状態を必要としていた、ということになるだろう。

プラトンはヒットラーを推論しようとしたのではなく、民主主義の次の世界を推論しようとしたということだ。第一次大戦後のワイマールドイツという加圧された世界でヒットラーは現れたけれど、普通の民主主義世界でも必然的に僭主国家に移行するという。

プラトンは、世界の仕組みを説明したいから説明したというのではない。「正義」というものを説明したいから、つい世界の仕組みを説明してしまったというスタンスだ。  

関連記事
プラトン「国家」詳細レビュー


プラトンの語る民主制批判について、その言説を追ってみる。

   繝医・繝ゥ繧ケ, 譌・譛ャ, 逾樒、セ, 魑・螻�, 鮟偵→逋ス, 繝ゥ繝ウ繝峨・繝シ繧ッ, 螳玲蕗, 繧イ繝シ繝�


【プラトンの民主制批判】

プラトンは民主制を語り始める。

「ここの人々は自由であり、またこの国家には自由が支配していて、何でも話せる言論の自由がいきわたっている」  

そうその通り、今もそう。 

「これは様々な国制のなかでもいちばん美しいものかもしれないね。あらゆる習俗によって多彩にいろどられているのでこの上なく美しく見えるだろう」 
 
民主主義とは現代において最高の価値であると思われている。人類進歩の行き着いた理想と考えられているといっても言い過ぎではないだろう。果たしてプラトンもこの現代の言説に同意してくれるだろうか?  プラトンはこう語る。 

「民主国家に暮らす彼は、もろもろの快楽を平等の権利のもとに置いたうえで暮らしていくことになるだろう。ただし真実の言論だけは決して受け入れず、仮に誰かが彼に向かって、ある快楽は立派で、ある快楽は悪い欲望からもたらされるといっても、そういう全ての場合において彼は、首を横に振って、あらゆる快楽は同じような資格のものであり、どれもみな平等に尊重しなければならないと、こう主張するのだ」  

この世界でも、生きる意味を失うという人は多いだろうと思う。その根源というのはどこにあるのだろうか?  

「こうして彼は、その時々に訪れる欲望に耽ってこれを満足させながら、その日その日を送っていくだろう。あるときは酒に酔いしれて笛の音にききほれるかと思えば、つぎには水しか飲まずに身体を痩せさせ、あるときは哲学に没頭し時を忘れるような様子をみせる、というふうに。しばしばまた彼は国の政治に参加し、壇に駆け上がって、たまたま思いついたことを言ったり行ったりする。こうして彼の生活には秩序もなければ必然性もない。しかし彼はこのような生活を快く自由で幸福な生活と呼んで、一生涯この生き方を守り続けるのだ」   

まさに現代だ。ここまで言われてみると、果たしてこれが人類史上最高の人間のあり方なのだろうかという疑問はわいてくるだろう。ではその疑問はどこからわいてくるのか? プラトンはこう語る。 

「さまざまな欲望は青年の魂のアクロポリスを占領するにいたるだろう。そこには学問や美しい仕事や真実の言論がなくて、欲望がアクロポリスの空虚さを察知するからだ。これらのものこそは、神に愛される人々の心の内を守る、もっともすぐれた監視者であり守護者であるのに」   

民主国家とは、本当に人類進歩の到達点なのだろうか。プラトンの答えは、国家とは名誉国家、寡頭国家、民主国家、僭主国家、この順番で移行するというか堕落するという。


関連記事
プラトン「国家」詳細レビュー


プラトンが語るには「国家」についての考察とは、国家は名誉国家、寡頭国家、民主国家、僭主国家、この順番で移行するというか堕落するというものだ。

譯懊・闃ア, 譯懊・譛ィ, 譌・譛ャ, 鄒弱@縺�, 繝斐Φ繧ッ, 闃ア


【プラトンの言説から近代日本を考える】


国家が寡頭制国家(金持ち支配国家)から民主国家にどのように移行するのかということについてのプラトンの言説を書き出してみる。

「思うに寡頭制国家の支配者達がその任にあるのは、多くの富を所有しているおかげなのであるから、彼らは、若者達のうちに放埓な人間が出てきても、法によって取り締まって、自分の財産を浪費して失うことができないように禁止することを欲しない。というのは、この支配者達には、そういうものたちの財産を買い取ったりしてもっと富を増やし、もっと尊重されようという気があるからだ」  

日露戦争後、日本は輸入超過になってしまう。外貨が海外に流出して、外貨準備が底をつくことも危惧されていた。このような時は輸入制限なんていうこともありえると思うのだけれど、そんな話は聞いた事がない。結局、第一次世界大戦の好景気で、めでたしということになった。プラトンの言説は続く。   

「寡頭制国家においてその支配者達は、まさにそのような怠慢な態度で、放埓な消費を許しておくことによって、しばしば凡庸ならざる生まれの人々を貧困へと追い込むのだ」 
「こうして貧乏になった人々は、針で身を武装して、この国の中でなすことなく坐していることになるだろう。彼らは憎しみを抱き、陰謀をたくらみ、革命に思いを寄せているのだ」  

まず思い浮かぶのは、幸徳秋水だろう。次に、一人一殺、血盟団だ。515も226もこの流れの中にあるのは明らかだろう。  

プラトンの言説はさらに続く。 

「そして自分たち自身を、金儲け以外のことはいっさい心を向けないような人間となし、徳への配慮においても、貧しい人々に比べて、なんらまさることのない人間にしてしまうのではないかね」
  
「そしてそのような状態になる支配者達と被支配者達とがおたがいのそばに居合わせることがあったとしよう。危険のさなかにあって、お互いを観察しあうような機会があったとしたなら、貧乏人が金持ちたちから軽蔑されることは決してないだろう。むしろ逆に、しばしば痩せて日焼けした貧乏人が、戦闘に際して、日陰で育ち贅肉を沢山つけた金持ちのそばに配置されたとき、貧乏人は金持ちがすっかり息切れして、なすすべもなく困り果てているのを目にするだろう」
 
「このような場合、彼は、そんな連中が金持ちでいるのは自分たち貧乏人が臆病だからだ、というように考えるとは思わないかね?」  

満州事変以降、軍部には下克上なるものが蔓延し、シビリアンコントロールというものは崩壊した。軍部の暴走といわれるものだけれども、これはよく統帥権の独立という明治憲法の欠陥なるものの責任される。 

はたしてそうだろうか。 

伊藤博文がもう少し気を利かせて明治憲法を作っていたら、太平洋戦争はなかっただろうなんていう、そんなふざけきった言論で歴史を判断していいものだろうか?  

参謀なるものが贅肉タプタプだったから、下級将校に足元を見られ、鼻ずらを引きずりまわされたという、寡頭制国家における歴史の必然と考えた方が普通だろう。  

2500年前のプラトンの言説が、近代日本をも説明してしまうという。どんな近代日本研究家の言説よりも、プラトンの言説の方がはるかに突き抜けているという。 これってどういうことなのだろうか。不思議というのは、このような話の事をいうのだと思う。

関連記事
プラトン「国家」詳細レビュー


簡単なことを難しい言葉で書くヤツはいっぱいいるんだけど、難しいことを簡単な言葉で書くというのはプラトンが最高峰だろう。

プラトンの誠実さというのはすばらしい。

この世界には、物事は進歩するみたいな考え方がある。確かにテクノロジーとか生物の複雑さなんていうものは、時間と共に複雑系に移行しているだろうけれど、「真実の言論」というものにおいては、進歩というものは認められないと思う。

現代の哲学者や評論家が語ることなんて、結局はプラトンや孟子に及ばない。嘘だと思うなら、実際に「国家」を読んでみればいい。文庫本で1000ページの本だけれども、全篇問答形式で、読みやすいことこのうえない。実際、中学生でも読めるような感じだ。   

西洋哲学はプラトンの脚注に過ぎない、なんてホワイトヘッドが言っていたけれど、プラトンの脚注にしては、難しい言葉を使うやつが多すぎる。

プラトンより簡単な事象をプラトンより難しい言葉で表現して、これが進歩だなんて何様だというのか。恥を知れって思う。

関連記事
プラトン「国家」詳細レビュー


プラトンが語るには、国家とは、哲人国家、名誉国家、寡頭国家、民主国家、僭主国家、この順番で移行するというか堕落するという。これだけ単純化してしまうと、昔の人がとぼけたことを言っているみたいなことになるんだけれど、決してそのようなものではない。

 螻ア, 貉�, 螟懊・遨コ, 譌・豐。, 鬚ィ譎ッ, 閾ェ辟カ, 遨コ, 螻句、�, 螻ア縺ョ貉�, 鬚ィ蜈画・蟐壹↑


分かりやすいところで名誉国家から寡頭国家への移行についてのプラトンの言説を聞いてみる。まず寡頭国家というのは金持ち支配国家というものだ。名誉国家を江戸幕府、寡頭国家を明治国家とリンクさせながら読んでみてほしい。  

「寡頭国家における最大の悪とは何か? それは自分の持ち物をすべて売り払うことが出来て、他人がそれを手に入れることが出来るということ。そして売り尽した後、国家の構成員としてなんらの役割を果たすこともなしに、国家のうちに住み続けられるという点だ。ただ貧民、困窮者と呼ばれながらね」    

明治初期以降に現れた都市貧民層とは何なのか、というのは問題になるところだろう。ある人はプロレタリアートの始まりであるというし、ある人は松方デフレによる資本主義の本源的蓄積だという。

しかしね、プロレタリアートだとか本源的蓄積だとか、ただ新しい現象に新しい言葉を押し込んで分かっているような気になっているだけなのではないのか。このプラトンの言説こそ、明治国家に都市貧民層が急激に増えた理由を説明しているのではないだろうか。

明治大正は立憲国家といいながら、制限選挙制だった。制限選挙とはある一定以上の納税がないと選挙権も被選挙権もないというものだ。ある意味奇妙な制度だ。

江戸時代には貧農にも村の意思決定に参加する道があったし、昭和以降は普通選挙だ。なぜ明治大正のみ制限選挙なるねじくれた制度だったのか。プラトンに言わせれば、それは寡頭制国家だったから、金持ち支配制国家だったからということにな。きわめて明快だよね。  

ではもう一つ、分かりやすいところでプラトンの寡頭国家についての言説を紹介してみる。名誉国家から寡頭国家に移行するということはどういうことなのかについての説明。   

「名誉支配制的な人間に子供がいたとして、父親が重要な役職にあったりしたのだが、やがて法廷に引き出されるような羽目に陥り、中傷者に痛めつけられたあげく、死刑にされたり、追放されたり、全財産を失ったりしまったりするわけだ」 
「息子のほうは、こういったことを目にし、自分でもつらい目にあい、財産を失ってしまうと、恐れをなしてただちに自分の魂の内なる王座からそれまでの名誉愛や気概の部分をまっさかさまに突き落とすだろう。そして貧乏のために卑下した心になって、金を儲けることに転向し、けちけちと少しずつ節約したり、せっせと働いて金をかき集めるようになる。そのような人は、金銭を愛する欲望的部分を魂の王座にすえ、自分の内なる大王としてたてまつることになるのだと、君は思わないかね?」  

明治に入り、「立身出世」というのが一大ブームメントになるのだが、立身出世なる意識がどこから現れたのか、明確に説明されてはこなかっただろう。プラトンの言説を応用すれば、それは没落士族の子弟の意識から生まれたということになるだろう。なんせ当時の武士は一時金を貰う代わりに年金カットみたいなことになったから。プラトンはきわめて巧妙に明治の立身出世熱の根源を説明してくれる。  

ここまで来ると、プラトンなるものは哲学者というより、預言者だろう。日本人ですら説明できない現象を、2500年前のアテネ人が言い当てるわけだから。   

さらにプラトンの恐ろしいところは、民主国家の後に僭主国家が現れると説明しているところだ。今の西側が民主国家群だとして、この後に僭主国家が現れるという。ここまで言うと、預言というり予言だよね。プラトンの「国家」のなかには、民主国家が、どのようにして僭主国家に移行するかというのが明確に書かれている。 

 関連記事
プラトン「国家」詳細レビュー



ホワイトヘッドは
「近代西洋哲学は全てプラトンの脚注に過ぎない」
何て言っていたけれど、これについていろいろぐだぐだ考える。

今日なんか、総力戦思想とファシズムってどう違うなかなーって。ファシズムというと全くひどいイメージで、思想を均一化して同調できないものは排除するという。

ナチスのユダヤ人虐殺はひどいよね。総力戦思想というのは、日本なら日本の一体性の中で誰もがやるべきことをやるというもので、微妙なんだけれどやっぱり総力戦思想とファシズムというのは違うのではないかと思う。

戦中の日本がファシズムだったというのは、言いすぎなのではないかなー。ナチスドイツは突き抜けたマキャベリズム的なものがあって、そこがひどいところなんだろうけど、戦前の日本にはそこまでの非人間的なことはなかったのではないかな。中国で日本軍がひどいことをしたとして、それは日本人の非人道性ということではなく、日本人の弱さだったと思うというか思いたい。  

例えばここにニートがいたとする。まあニートだからダメ人間だよね。社会の役に立たないからダメ人間は死ねという論理もありえるし、社会の役に立つように国家がそいつを引きずり出すという論理もありえる。どちらの体制がより強力な秩序を形成するのかというのは分からないんだよね。どうせ分からないのなら、全ての人が救われるなんていう可能性のある方がいいと思うんだよね。自由主義って自由っていいながら、よろしく自由を享受できない人間は死んでよしみたいなところがあるよ。これってもうファシズムではないのかな。全ての人が救われるなんていうことがありえないものかと思う。   

プラトンの「国家」という本に、国は堕落するという言説があった。哲人国家、名誉国家、金持ち貧乏国家、民主国家、僭主国家。国家はこの順番に堕落するという。哲人国家って結局は独裁制の僭主国家みたいなものではないのか、なんていう批判はありえると思う。この差というのは外側から見ればまったく微妙だとは思う。でもその中で暮らす人にとってはどうだろうか、意味がないとして殺されるのと、意味があるとして生きるのと、やっぱり違うだろう。   

まあこんなことを考えて、結論みたいなものもないんだけれど。  

正月にプラトンでもじっくり読んでみようか。近代西洋哲学は全てプラトンの脚注に過ぎないなんて、誰か言っていたよね。   

全く正しいと思う。

関連記事
プラトン「国家」詳細レビュー


プラトンと孔子というのは、こんなことを言うとなんなのだけれど、言っていることにそう差がないなと思う。
その中での最大の共通点というのは、両者とも社会の起源において理想国家的なものを設定しているということだ。

プラトンは「国家」という本の中で、人間の社会は名誉制、寡頭制、民主制、僭主制度、と移行していくと語っているが、名誉制の前段階として哲人制というものを設定した。
孔子の場合はもっと分かりやすい。理想の社会ははるか昔、尭、舜(ぎょう しゅん)の時代だといってはばからない。孔子のいうはるか昔といったって、孔子じたいが古代人かなのだから、尭、舜なんていうのは伝説だよ。

何故プラトンも孔子も過去に理想社会を設定したのか? さらに言うと、過去に理想社会を設定したプラトンと孔子の言説が世界の西と東でそのメインストリームとして生き残っているのかということ。 現代において過去に理想世界を設定すると、必然的に現代は堕落した世界であるということになる。

この世界観にたいして、21世紀の現代は過去に理想世界を設定していない。 21世紀の現代は過去に理想世界を設定を拒否して、世界は進歩発展するものだとしている。 おそらく古代ギリシャ世界や中国の春秋戦国時代にも、過去に理想世界を設定せず世界は進歩発展するという言説が存在しただろう。そのような言説は滅び、プラトンや孔子のような言説が生き残ったことを、私たちはどのように考えればいいのだろうか。

プラトンや孔子を聖人視して人類の進歩というイデオロギーが間違っているなんていう簡単な論理は採用したくない。おそらく、人類は進歩するという簡単な論理の中に、なんらかの罠があるのだと思う。

ではその罠とはいかなるものか? 

それはフーコーの言う過剰なる権力というものだろし、ドストエフスキーの大審問官でもあるだろう。まあ、フーコーやドストエフスキーを持ち出すまでもなく、以下のプラトンの言説にそれはぴったりと表現されている。

「そこでの言論というのは、主人に向かって同じ奴隷仲間のことを云々する言論なのです。しばしばその競争は生命をかけて争われることがあるのです。そしてこれらの全ての結果として彼らには緊張と鋭敏とが生まれるのです。主人に阿諛するにはいかなる言論によるべきかという知識が生まれるのです。とはいえ、これによって彼らの精神は矮小になり、また不正直となるのです。つまりそれは必然的に曲がったことをさせるからなのです。それというのは、まだ若くてやわらかい彼らの精神の上には大きな危険が投げかけられて、はなはだしい危惧を覚えさせるからなのであって、それは彼らには、正しさや真実を失うことなしには持ちこたえることが出来ないものなのです。そのために彼らは幾度も幾度も捻じ曲げられたり折りくじかれたれたりして、ついには少しも健全なところをもつことなしに子供から大人になってしまうのです。そしてそれを自分達は、智恵者になったとか一目おかれるような人物になったとか思っているわけなのです」


関連記事
プラトン「国家」詳細レビュー





2500年前、ソクラテスとプラタゴラスは、「徳」とは教えることが出来るのか出来ないのか議論した。

ソクラテスは徳は教えることが出来ないと主張した。徳があるとされている人たちの子供が必ずしも徳があるとは限らない。徳が教えることが出来るのなら、例えばペリクレスの子供は必ず有徳な人物になったはずではないか。

ソクラテスの意見に対して、プラタゴラスは徳は教えることが出来ると主張した。
そしてこのプラタゴラスの論理がすばらしい。

「彼らは子供達を教育せず、十分な配慮もしていないというのだろうか? いや、ソクラテス、していると考えるべきだよ。
彼らはね、まだ子供が小さい頃から始めて、子供が人生を歩み続ける限り、教育としつけを行っているのだ。
それでは、父親が優れているのに、その息子の多くがつまらない人間になってしまうのはどうしてか?  
それでは、われわれ全員が笛の演奏家でないと、国は成り立つことができず、各人は可能な限りの演奏力をもたなければならないと仮定してみよう。私的にも公的にも、全ての人が誰にでもその技術を教えてやり、技術を与えるのを惜しむもの等いないとする。ソクラテス、その場合きみは、すぐれた笛の演奏家であれば、劣った演奏家の息子よりも、優れた演奏家になる見込みが少しでも高くなると思うかね? 私はそうだと思わない。にもかかわらず、これらの息子達が、みな十分な笛の演奏家であることも事実なのだ。何も知らない素人と比較するならね」

これほど力強く簡明な啓蒙の論理は聞いた事がない。この論理は万能だ。この万能さは、例えば現代で発展途上国がいつまでも発展途上国なのは、教育が足りないから啓蒙の力が足りないからという先進国の受け入れやすい論理に簡単に帰着する。

繧ッ繝「, Web, 閾ェ辟カ, 譏・勠, 豌怜袖謔ェ縺�, 繝医Λ繝・・, 蜍慕黄, 豌キ豐ウ, 蝗ス螳カ

【プラトンは巨大な謎を解いたよ】

エヴァンゲリオンの破で、使徒に食われた綾波をしんじが助ける場面がある。「翼をください」のバックコーラスで、エヴァンゲリオン史上最高の場面だ。

綾波はなぜ救われたのか?

しんじが結界を乗り越えたこと、そして綾波がしんじに対して手を伸ばしたこと。
これは一つの奇跡だ。奇跡が私たちを浄化する。

ソクラテスはこの簡単な啓蒙主義に疑念を抱いた。そして私は綾波としんじとのあの「翼をください」の場面を思い出す。啓蒙などという単純な論理でしんじは使徒のあの赤い膜を突き抜けることが出来ただろうか。啓蒙などという単純な情念で綾波はしんじに手を差し伸べただろうか。

プラトンは見事にこの謎を解いたよ。果たしてエヴァンゲリオンには解けるだろうか?

 
巨大な謎の解決編
プラトン「国家」詳細レビュー






プラトンの「テアイテトス」のなかにこのような言説がある。

「そこでの言論というのは、主人に向かって同じ奴隷仲間のことを云々する言論なのです。しばしばその競争は生命をかけて争われることがあるのです。そしてこれらの全ての結果として彼らには緊張と鋭敏とが生まれるのです。主人に阿諛するにはいかなる言論によるべきかという知識が生まれるのです。とはいえ、これによって彼らの精神は矮小になり、また不正直となるのです。つまりそれは必然的に曲がったことをさせるからなのです。それというのは、まだ若くてやわらかい彼らの精神の上には大きな危険が投げかけられて、はなはだしい危惧を覚えさせるからなのであって、それは彼らには、正しさや真実を失うことなしには持ちこたえることが出来ないものなのです。そのために彼らは幾度も幾度も捻じ曲げられたり折りくじかれたれたりして、ついには少しも健全なところをもつことなしに子供から大人になってしまうのです。そしてそれを自分達は、智恵者になったとか一目おかれるような人物になったとか思っているわけなのです」

現代においてここまで真っ直ぐな言説がはたしてあるだろうか。あまりに真っ直ぐな故に心に突き刺さる。ここまで本当の事を言わなくてもいいだろうと思ってしまう。


繧、繧ィ繝ュ繝シ繧ケ繝医・繝ウ縺ョ繧ォ繝翫Μ繧「譏・, 繝槭Φ繝「繧ケ, 繝帙ャ繝�, 譏・, 繝・Λ繧ケ


【ポケモンGOでもやってまったりと生きましょう】


日経新聞のポケモンGO開発者インタビューで、ポケモンGOにはうつ病を癒す効果があると発言していた。

これはあるなと思う。
引きこもりがポケモン目当てに外出するようになって元気になるとか、これはそういう単純な話ではない。そもそも外出したぐらいで元気になるのならうつ病ではないだろう、最初から健康だろう。

フーコーは
神経症が隔離され保護された幼児期の産物であって、そのような文化にしか発生しない
と指摘している。
これをもっとよく考えてみると、神経症と精神分析学との関係も見直さなくてはいけない。神経症という病が存在するから精神分析学が必要だと考えてしまいやすい。物理法則があるから物理学が存在するみたいな。しかし近代において神経症が発生したとなると、近代の知の体系の一つである精神分析学は神経症の存在の結果存在するのではなく、神経症と精神分析学はコインの裏表なのではないのかということ。

まあ、このようなことを言うと精神科医は怒るだろうし、また逆にそんな言説は昔からあるとどや顔で言うヤツもいるだろうと思う。べつにそんなことはどうでもいいのだよね。

ポケモンGOのいいところは、リアルな画面にポケモンがふらふら浮いていて、なんだか素直な気持ちで子供に戻れるということだと思う。この世界での捻じ曲げられた大人と子供の関係を矯正してくれる様な、、だからこそ
うつ病に効果があるなんてうことにもなるのだと思う。
ポケモンGOにはこのプラトンの言説と似たものがある。だからより苦しい人がはまるような気がする。ブルーカラーよりホワイトカラーとか。

まあでも私、デスクトップのパソコンを一台持っているだけで携帯電話すら持っていない人間なので、スマほゲームの未来を占うなんてえらそうなことはそもそも言えないのだけれど。

関連記事
プラトン「国家」詳細レビュー


プラトンは民主制を至上のものとは考えていない。

プラトンは「国家」の中で国制というのは、理想国家、名誉国家、寡頭制国家、民主国家、独裁国家の順番に堕落していく書いている。

繝ィ繧サ繝溘ユ, 蜈ャ蝨�, 閾ェ辟カ, 蝗ス螳カ, 繧ォ繝ェ繝輔か繝ォ繝九い蟾�, 譌・。�, 譽ョ譫�


【プラトンにとって民主制は理想ではない】


別にプラトンの書いたことが全て正しいとも思わないけれども、民主国家というものが理想国家からの堕落である、それも3段落ちの堕落であるという仮説はものすごく斬新だと思う。

なぜ国家は堕落してしまうのかということを私なりに考えた。

その私なりの仮説というのは、
国家というのは一段階堕落する時に力のようなものを発散するのではないかということ。

例えをあげでみよう。

江戸時代というのは名誉国家体制だった。それなりにうまくいっていた。しかし幕末になるとウエスタンインパクトがきつくなってきて、今までのあり方では日本の独立を維持するのが難しくなってきた。日本はその一体性を維持するためにどこからか力を引っ張ってこなくてはならなかった。だから名誉国家から寡頭制国家に移行する時に生じるエネルギーを利用して日本は一体性を維持した。

もう一つ例をあげよう。

昭和初期、日本は日中戦争やアメリカの圧力に対抗するために、元手なしの力を必要としていた。そこで利用したのが、寡頭制国家から民主国家な堕落する時に得られるエネルギーだ。戦争自体は途中で降参したので終わってしまったのだけれど、残ったエネルギーを戦後の経済復興に振り向けて、まがりなりに今の経済大国があるというわけ。

このような考えは仮説に仮説を重ねているわけで、どこまで真実なのかは正直分からない。ただね、私の人生の中で最も出来のいい仮説だね。
子供のころから思うのだけれど、奇妙な知の体系に寄りかかって生きていくよりも、自分なりの仮説を作って生きていく方がより真理に近い生き方だと思うんだよね。

先進国にはもう一段階残されている。民主制国家から独裁性国家へ移行 した時、また莫大なエネルギーが手に入ると思うよ。
現在の安倍総理が展開しようとしているヘリコプターマネー政策は、結局この民主制国家から独裁性国家への移行時のエネルギーを無意識に当てにしているのではないのか。このようなことをせずに苦しくても出来るだけ謙虚に民主制にしがみついていたほうがいいのではないか。プラトンによると、民主制の次は人民が最も惨めに生活する「僭主制」国家だということになる。

中国に「王道と覇道」という言葉がある。王道とは徳によって統一すること。覇道とは力によって統一すること。覇道とは秦の始皇帝の道だ。苦しくてもね、王道によって物事を判断した方がいい。

関連記事
プラトン「国家」詳細レビュー





このページのトップヘ