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カテゴリ:純文読書日記 > 坂口安吾

坂口安吾「デカダン文学論」は昭和21年発表。

「デカダン文学論」の中で、坂口安吾の島崎藤村の煽り方が強烈。

島崎藤村は近代日本文学を代表する大作家だと思う。藤村の何がすごいかというと、近代文学のメインフレームである三人称客観形式というものを「破戒」の時点でほぼ完全にマスターしている点だ。「破戒」の発表は明治39年。

外部の視点で登場人物たちの内面を描きながら物語をまとめるという近代小説的作業というのは難しいのだけれど、藤村はこれを苦も無くこなしている。
夏目漱石だってなかなか藤村のようにはいかなかった。例えば「こころ」は一人称主観形式だし、「吾輩は猫である」は一人称猫観だ。

だから藤村の小説のすごさというのは、その内容にあるのではなく形式にある。

評論家の平野謙が藤村の「新生」を評論したものに、安吾はこう咬みつく。


『「新生」の中で主人公が自分の手をためつすかしつ眺めて、この手だな、とか思い入れよろしくわが身の罪の深さを思うところが人生の深処にふれているとか、鬼気せまるものがあるとか、平野君、フザけたもうな。人生の深処がそんなアンドンの灯の翳みたいなボヤけたところにころがっていて、たまるものか。そんなところは藤村の人を甘く見たゴマ化し技法で、一番よくないところだ。』



これは平野謙が悪い。藤村の小説の内容を誉めてしまったのではきつい。
安吾はさらにこのように藤村批判を展開する。


『島崎藤村は誠実な作家だというけれども、実際は大いに不誠実な作家で、それは藤村自身と彼の文章(小説)との距離というものを見れば分る。藤村と小説とは距りがあって、彼の分りにくい文章というものはこの距離をごまかすための小手先の悪戦苦闘で魂の悪戦苦闘というものではない。

藤村とその文章との距離というものが、藤村の三人称客観小説世界を形成しているわけで、藤村独自の距離感を「小手先の悪戦苦闘」とまで言ってしまったのでは、これちょっと言いすぎなのではないかというのはある。』


安吾の言いたいこともわかる。安吾は大文字の「文学」とは形式ではなく内実だと言いたいのだろう。

安吾はさらにかぶせてくる。


『彼がどうして姪という肉親の小娘と情慾を結ぶに至るかというと、彼みたいに心にもない取澄し方をしていると、知らない女の人を口説く手掛りがつかめなくなる。彼が取澄せば女の方はよけい取澄して応じるものであるから、彼は自分のポーズを突きぬけて失敗するかも知れぬ口説にのりだすだけの勇気がないのだ。肉親の女にはその障壁がないので、藤村はポーズを崩す怖れなしにかなり自由に又自然にポーズから情慾へ移行することが出来易かったのだと思う。』


これには参った。形式とか言っているから、藤村お前は女にもてないんだと言っているわけだ。滅茶苦茶なんだけれど、オタクよりもヤンキーのほうが女の子にもてたというかつての時代状況を考えれば、安吾の言うことは一理ある。
安吾の剛腕、炸裂だ。


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坂口安吾「日本文化私観 」は昭和17年発表。

「日本文化私観」は

一 「日本的」ということ
二 俗悪について(人間は人間を)
三 家について
四 美について
という構成になっていて、それぞれに安吾らしい文章がつづられている。

「家について」の中にこのようにある。

「僕はもうこの十年来、たいがい一人で住んでいる。何もない旅先から帰ってきたりする。すると、必ず、悔いがある。叱る母もいないし、怒る女房も子供もいない。それでいて、家へ帰る、という時には、いつも変な悲しさと、後ろめたさから逃げることができない。帰るということの中には、必ず、振り返る魔物がいる。そうして、文学は、こういうところから生まれてくるのだ、と僕は思っている」

本当にこういう感覚ってある。私は結婚するまで何年か一人暮らしをしていたけれど、夜中、ドアを開けてから、誰もいない真っ暗な部屋に入り電灯のひもを引っ張るまでは、何だか薄らさみしいような気持になった。

エリア88という漫画で、一人暮らしの部屋に帰った時に真っ暗なのが嫌だから、部屋を出るときはいつも電気をつけっぱなしにするというヤツがいた。そいつが乗る戦闘機がもうダメだというときに、彼は親友に無線でこのように言う。

「オレの部屋の電気は消しておいてくれ」

分かるわー、と思って。
誰もいない部屋に帰った時のあの感覚って何だろう。気圧が外より低いような、地面がちょっとゆるいような、そんな場所に迷い込んだような。
それを安吾は、

「帰るということの中には、必ず、振り返る魔物がいる」

とか、さらには、

「文学は、こういうところから生まれてくるのだ」

とか、本当にうまいことをいうと思って。久しぶりに「日本文化私観」を読み返して感心した次第。

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坂口安吾の恋愛論を読みながらくだらないことを考えた話

デブの食べ物にたいする執念というのはすごい。すごいからデブなのだろうけれど。例えば、焼肉ならどこどこの焼肉屋のなんとかのカルビみたいに、こだわり満載銘柄指定だから。

私なんかは、焼肉だったらどこでもいいんじゃないの? 安楽亭でいいんじゃないの? なんて思ってしまうのだけれど、こだわりは譲れないらしいよ。  

そもそも個別の店やメニューにこだわるというのがよくない。はっきり言って一線を越えている。肉質なんて相対的なものなのに、自分の中で絶対的なものに変換されている。物にとらわれている。

男性は女性のお尻が好きなものだけれど、一般的なお尻好きなだけなら、彼女と仲良くするのもいいしソープに行くのもいい。そうたいしてお金もかからない。ところが、あのキャバクラのあの子のお尻と特定されてしまうと、これ、いくらお金がかかるかわからんよ。

強い気持ちで一線を越えないようにした方がいいと思う。物にとらわれた方が幸せだとか、自分のお金をどのように使おうが自由だとか、そのような意見もあると思う。

ただ、とらわれた瞬間に驚くほど知能は低下する。ぼんやりした幸せが「幸せなるもの」だと、私は思わない。


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坂口安吾「古都」は昭和16年発表。

安吾の戦中の自伝小説というのはすばらしい。近代以降の日本文学最高峰だろう。

安吾が戦前に京都に下宿していた時の素朴な人たちの人間模様みたいな話。素朴な人というとなんだかいいように聞こえるのだけれど、救いようのない人といったほうが正確だろう。

欲望と思い込みを抱えて、社会の底辺に張り付いているような人たちだ。

この欲望と思い込みが、彼らの世界観を支えているわけで、もし合理主義で彼らを救おうとするなら、彼ら彼女らの世界観がまず崩壊してしまって、救うどころではなくなってしまうという。  

近代以降の合理性や啓蒙主義というのは、人を救うという美しい旗印を掲げているけれども、啓蒙程度で人を救うというのは特殊な場合を除いて難しいと思う。  

私個人は啓蒙によって救われたいと、子供のころから強く思っていたのだけれど、誰もがそうではないだろう。  

その人の人生を受け入れて生きてそして死んで、それで別に何の問題もない。この人はこうすればもっとよろしくやれるのに、みたいなことがあったとしても、そっとしておいたほうがいい場合だってあるだろう。非合理な愛が世界を支えているとするなら、合理性が正しいとは限らない。  

「古都」の最後にこのようにある。  

「ほんまに、そうや。と、親爺は酒を飲む僕を見上げて、ヒヒヒヒと笑った。それは神々しいくらい無邪気であった」  

誰もが合理性というけれども、誰もがこの親爺と変わらない所にいると思う。  

どうしようもないことっていうのはあるし、何も知りたくなくなるっていうこともありえる。ただ愛したり愛されたりということがあるだけだ。

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昔、筒井康隆が作家協会を脱退した時、中上健治と柄谷コウジンと一緒だったんだけど、あれってたまたま3人が坂口安吾の記念講演で一緒になったときに、話がまとまったということがあった。

今から考えると、坂口安吾と筒井康隆ってつながるものがある。坂口安吾は評論はすばらしいのだけれど、小説はその力を生かしきれなかったというところがあると思う。

「不連続殺人事件」なんて、あれを推理小説の枠組みを使わないで書けたなら、もっとよかったと思うのだけれど、個人の力が足りなかったというのはしょうがない。個人が評論も小説も何でも出来るとは限らないから。

筒井康隆は坂口安吾の足りないところを突き詰めたということはあるんじゃないだろうか。   

読書って、山登りとかマラソンとかと似たような感じがあって、なんだか駆り立てられてやるなんていうのがあると思う。
楽して暇を潰すなら、映画を見たり、ゲームやったりで十分だ。あえて歩いたり走ったり、目で文字を追ったりとか正直疲れる。

人前で本を読むなんてかっこつけているだけだ、なんていう言説も広い意味では正しいだろう。

今日本屋に言ったら、筒井康隆の「虚構船団」があって買っちゃった。懐かしい。虚構船団はもう25年ぐらい前の発表作だろう。私が二十歳のころ読んだ。中学生のころ、筒井康隆が好きで、東海道戦争とか笑うなとか読んでいた。ただし、30年前に読んだ小説をもう一度年末年始にゆっくり読むというのは、もう駆り立てられる世界からすこしずれているところにあるだろうとは思う。


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坂口安吾は芥川龍之介の甥である葛巻という人物と仲が良く、芥川の死後、その遺稿を見せてもらうことができた。

坂口安吾は、芥川龍之介の晩年の手記にこのようなものがあるという。

ある時、農民作家なる人が芥川の家を訪ねてきて、生まれた子供を殺していっと缶に詰めて埋めたという話をする。
「あんた、これをひどいと思うかね。口減らしのために殺すというのを、あんたひどいとおもうかね」
芥川は、この話を聞いて世界に突き放されるような感覚を持ったという。  

角度を持った世界に順応していけば世界が助けてくれるだろう、なんていうのは甘えた考えであるだろう。真の世界、リアルの世界においては、角度とか関係なく突き放されるということがありえる。頑張ったからといって報われるわけでもない、死んだからといって同情されるわけでもない、そのような世界は存在する。

この世界に生まれたからには、何か頑張らなくてはいけないという空気みたいなものはある。おまけにその頑張るべき角度みたいなものすらあって、頑張りすぎると逆に引かれててしまうなんていうこともありえる。程よい角度で頑張るのが一番いいらしい。この角度についていけないと、「うつ」だとか引きこもりとか、まあ精神病扱いだ。  

このね、程よい角度なるものはなんなのかという。もし角度のない世界があるとするなら、それはどのようなものか。 

傾いた世界と傾いていない世界と、どちらが正義だとかどちらが進歩しているとか、そのようなものはない。正義を信じて角度のある世界で頑張ることを選択したのなら、その世界で頑張るしかないという、まあなんというか道があるだけだ。


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坂口安吾が「ふるさと」という言葉を語りだすのは、昭和17年発表の「文学のふるさと」あたりからだ。しかし昭和23年発表の「死と影」で、坂口安吾は昭和12年ぐらいの時の自伝的なものを書いていている。

その中で三平という、まあほとんどホームレスみたいな人間と坂口安吾は友達になる。
三平は言う。

「センセイ、いっしょに旅に出ようよ。村々の木賃宿に泊まるんだ。物をもつという根性がオレは嫌いなんだ。旅に出るとオレの言うことがわかるよ。センセイはまだとらわれているんだ。オレみたいな才能のないやつが何を分かったってダメなんだ。センセイに分かってもらって、そしてそれを書いてもらいたいんだ。旅にでれば必ず分かる、人間のふるさとがね。オヤジもオフクロもウソなんだ。そんなケチなもんじゃないんだ。人間にはふるさとがあるんだ。そしてセンセイもそれがきっと見える」  

私は太平洋戦争の総力戦の状況が、坂口安吾をここまで押し上げたと思う。人間のふるさとを見てそれを書き記すなんていうのは、ふつうありえない。私も日本文学をかなり読んだけれども、この坂口安吾のふるさと論が近代日本文学最高の到達点だと思う。   

そして荘子にも同じような言説がある。  

「会えば離れ、成すれば壊れ、角は砕け、貴は辱められ、愚は堕ちる。知を積み重ねても、それは悲しい。弟子よ、これを記せ。ただ道徳の郷があるだけだと」  

荘子をここまで押し上げた何かが、戦国末期の中国にはあったと思う。坂口安吾をあそこまで、あの時代が押し上げたように。  

これは全く微妙な話で、語っている自分でさえ、その論理に自信がない。しかし、中国戦国というのは2000年以上過去の事象だし、中国戦国ファンというのも日本に一定数いると思う。

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坂口安吾「デカダン文学論」は昭和21年」発表。

この中で坂口安吾は、
夏目漱石の「心」と「門」を評してこのように書いている。

「人間本来の欲求などは始めから彼の文学の問題ではなかった。彼の作中人物は学生時代のつまらぬことに自責して、二三十年後になって自殺する。奇想天外なことをやる。悩んで禅の門を叩く。別に悟りらしいものはないので、そんなら仕方がないと諦める。物それ自体の実質に就いて、ギリギリのところまで突き止めはせず、宗教の方へでかけて、そっちに悟りがないというので、物それ自体の方も諦めるのである。こういう馬鹿げたことが悩む人間の誠実な態度だと考えて疑ることがないのである」

私はいくつかの夏目漱石論を読んだけれども、この坂口安吾の夏目漱石論ほど現代的であると思ったものはない。言っていることが全くの正論に聞こえて、さらに「奇想天外なことをやる」とか「こういう馬鹿げたことが」なんていう言葉遣いが私の心を引き付ける。坂口安吾がこれを書いたのが昭和21年だという。
現代よりも現代的な昭和21年の坂口安吾。そして何度でもよみがえる夏目漱石。

すばらしい。

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坂口安吾「日本文化私観」、昭和17年発表。

この中で坂口安吾は美について書いている。日本的美、例えば金閣寺や法隆寺なんていうものは美しいといえば美しい。ただそれは歴史というものを念頭に入れて初めて納得する程度の美しさである。金閣寺などの美しさはこのはらわたに食い込んでくるようなものではない。では真に美しいものは存在するのか? 坂口安吾はあるという。そしてその真に美しいものとはなにか? ここで彼は驚くべき発言をする。

東京の聖路加病院の近くにあるドライアイス工場

このドライアイス工場は一切の美的考慮がなく、ただ必要に応じた設備だけで一つの建築が成り立っている。そしてこの工場の緊密な質量感が僕の胸に食い入りはるか郷愁にまでつづく美しさを立ちあらわせるという。
これはよく分かる。
風景的なぼんやりとした美なんていうのはウンザリなのです。漫画の例えで申し訳ないのだけど、「ナウシカ」のドルクの浮砲台や「ぼくらの....」のジ・アースの方が僕らの胸に食い込んでくるのと同じでしょう。さらにいえば、この世界に生まれてお金を稼いでいい生活をして死んでいった人間と、この世界に生まれて自分なりの戦いをして死んでいった人間と、どちらの方が近代人の共感を呼ぶ人生かという事だと思う。

坂口安吾はいうのだよ。金閣寺とドライアイス工場とどちらが美しいかと。この問いを坂口安吾が発したのが昭和17年。今の時代は73年前にやっと追いつきつつあるという程度ではないのか。

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坂口安吾の言う「ふるさと」というのは、一般的なふるさとというのとは違います。懐かしいとか愛しているとかそういうもののもっと向こう側にある、グロテスクで巨大な何ものかです。
分かりやすい例でいうと、3.11のあの津波なんて坂口安吾的なふるさとだと思います。あの地震は金曜の3時ごろでしたよね。仕事から帰宅するのに電車が止まっちゃて私も歩いて帰りました。帰る途中、電気屋があってテレビで津波の様子を放送していました。水田地帯をどこまでも津波が遡っていくのです。どこまでも、どこまでも。サラリーマン風の人たちが何人か黙ってその映像を見ています。何分も立ち止まって、じっと見ているのです。彼らは世界の根源から、なんだか突き放されるような、そんな感覚を持ったのだと思います。

その突き放すところの者、それが坂口安吾のいう「ふるさと」です。

坂口安吾が「ふるさと」という言葉を語りだすのは、昭和17年発表の「文学のふるさと」あたりからだと思います。しかし昭和23年発表の「死と影」で、坂口安吾は昭和12年ぐらいの時の自伝的なものを書いていています。その中で三平という、まあほとんどホームレスみたいな人間と坂口安吾は友達になるのです。三平は言うのです。

「センセイ、いっしょに旅に出ようよ。村々の木賃宿に泊まるんだ。物をもつという根性がオレは嫌いなんだ。旅に出るとオレの言うことがわかるよ。センセイはまだとらわれているんだ。オレみたいな才能のないやつが何を分かったってダメなんだ。センセイに分かってもらって、そしてそれを書いてもらいたいんだ。旅にでれば必ず分かる、人間のふるさとがね。オヤジもオフクロもウソなんだ。そんなケチなもんじゃないんだ。人間にはふるさとがあるんだ。そしてセンセイもそれがきっと見える」

この三平という人物は実在したのだろうか。
私は実在したと思う。

三平なる人物の言う「ふるさと」とはオヤジもオフクロもウソくさく思えるほどのリアルなものなのです。三平の言葉と共に坂口安吾も転換したし、私も三平の言うリアルってあると思うのです。


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