今回は「孟子」の公孫丑下第二章について考えます。

孟子は斉の王様に呼ばれます。
「私(王様)はちょっと今体調が悪いので、孟子さん、あなたの方から私のところに来てもらえませんか」
斉の王様、かなり謙虚です。

孟子は呼びつけにされたのが気に入らないのです。
「私も病気ですから行けません」
と仮病を使います。斉の王様は孟子の所に医者を送ったりします。孟子は自分の家にいてはまずい、ということで友達の家に隠れてしまいます。
その友達は孟子に言うのです。
「王様がせっかく呼んでくれてるんだから、素直に行けばいいんじゃないのか。そもそも臣下が君主のところに行くというは、当たり前の礼儀ではないのか」

それは言われるよ。

それに対して孟子は、
「君臣の秩序とか言うけど、世の中にはいろんな秩序があるのだよ。年齢による秩序だってある、師匠と弟子との秩序関係だってある。君臣の秩序だけが秩序ではない」
と言います。
こんなことを言ってしまったら、秩序重視とか言いながらその本質は「自由」になってしまうのではないでしょうか。秩序の枠組みを自分で選べる、ということになるわけですから。


この話に対する吉田松陰の箚記をみてみましょう。
松蔭はまず年齢の秩序についてこだわります。水戸や熊本の人は歯(し)を尊ぶのに、わが長州はダメ。そんなことを長々と言った後に、

召さざるところの臣あり (呼びつけに出来ない臣下というものがいる)

という孟子の言葉に賛意を示します。劉備が三顧の礼で諸葛孔明を迎えたことや斉の管仲などを引き合いに出しています。
普通に考えれば、孟子のわがまま振りを指摘してもおかしくない場面だとは思うのですが、我らが松蔭は今回もかなり孟子の肩を持っています。

吉田松陰の精神も「自由」であると言う事なのでしょう。