太平洋戦争前は日本人の共同体願望は近代天皇制に凝固しました。しかし、近代天皇制は日本国内のみに通用する論理で、朝鮮や中国のなかで天皇なんていっても相手にされないのは当たり前です。いくら大日本帝国がアジア共同体を熱望しても、その旗頭が天皇では相手にされる可能性は低いです。

その一敗地にまみれた日本人の共同体願望が、アメリカが与えてくれた日本国憲法の中で再び蘇るわけです。

それが憲法9条。

戦争を放棄するということを世界が受け入れてくれれば、それは世界連邦、世界丸ごと共同体です。日本人の共同体願望への希望は明治国家天皇のかわりに憲法9条が牽引役になるわけです。天皇なんていうローカルなシンボルよりも「戦争放棄」という普遍的なスローガンの方が、日本人の共同体への渇望を満たしてくれる可能性が高いだろうというのは、戦後においては常識的な考えだったと思います。

しかし、あの戦争から70年。世界連邦なんていうのは明らかにムリというのが分かってきました。ですから、共同体願望を持つ日本人は、憲法9条というタームから嫌韓というタームに移動しているということでしょう。憲法9条というものと嫌韓というものは、右と左に遠く離れているように見えて、共同体願望と言う地下道でつながっているのです。

しかしもう明らかなのです。人間同士のつながりを求めるのであれば、日々誠実に努力するしかないのです。天皇だとか、9条だとか、韓国だとかに何かを求めても今さらそれは効果のあることなのでしょうか。町に出てお尻の大きな女の子に優しくするほうが、はるかに自分の共同体願望を満たす事につながるのではないでしょうか。