知性の代弁人であるところの大手マスメディアのコメンテーターが立花孝志氏の論理に全く太刀打ちできないのは何故でしょうか。

NHKから国民を守る党の立場孝志氏が参院選で議席を得て、テレビに出演するようになりました。
結果、テレビのコメンテーターをなで斬り状態になっています。


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結論から言うと、大手マスメディアのコメンテーターが自らの世界観を明確に認識できていないからでしょう。
コメンテーターなるものの役割というのは真実らしきことを語るという単純なものではないです。


戦後日本社会の世界観というのは、真理や真実というものは確固として存在していて、その確定されているはずの真理をより理解している人が、真理を理解できていない人を啓蒙するというものです。

確定されているはずの真理により近い者が社会的に上位者となり、真理を啓蒙される立場の人は社会的に下位者となります。
ここが重要なのですが、少し前の日本社会は、そこに暮らすほとんどの人が自らを社会的上位者にしようと互いに競争するような場所だったのです。

受験勉強が典型的なのですが、受験勉強は確定されているはずの真理をめぐって、よりその真理に近づこうとする競争構造になっています。受験勉強で確定されているはずの真理により近づく能力があると認定された人は、社会に出たときにより高い発射台から真理をめぐる競争に参加するチケットを与えられるわけです。

結局、大手マスメディアのコメンテーターは、確定されているはずの真理により近いところにいると判断されているがゆえに、その発言に力が付与されているわけです。


このようなコメンテーター世界観というのは、今冷静に振り返ると奇怪に思えるようになった人も現れつつあるかもしれないのですが、十何年か前までは、誰もが反論不能レベルの力を持っていました。

確定された真理があるはずだという考えの根拠はなんなのでしょうか。


はっきり言ってしまえば、戦後日本に蔓延した「確定された真理が存在するはずだ」という思い込みの根拠は、戦後日本の経済成長でしょう。

経済が成長する日本に暮らす中で人々は、確定されているはずの真理に向かって頑張ることによって実際に豊かになれました。まじめに頑張っていれば結婚して子供をつくって、その子供を自分より上の学歴に押し上げることができました。
真理をめぐる競争の疲れの中で日本が世界二位の経済大国になったというニュースを聴けば、心地よい満足感を得ることができました。

しかしバブル崩壊以降、ゼロ成長が30年続いたことによって、「確定された真理が存在するはずだ」という思想の根拠は失われてしまいました。後には、「確定された真理が存在するはずだ」という空虚な深層心理が残っただけです。

現代のコメンテーターは、すでに一部の中産階級にしか共有されていない「確定された真理が存在するはずだ」というあいまいな認識に立って、その言論を展開しています。

思想の根拠が失われつつあるのに、その思想の認識があいまいであるというのでは、「真理は自分でつかみ取るべきだ」という明快に語る立花孝志氏に対抗できるわけないです。