PKは、「PK」「超人」「密使」の3つの短編から成る連作短編集です。「PK」と「密使」では同じ時期の同じ人物が書かれています。しかし2つの世界は微妙に異なっています。その異なっている理由が、「密使」で語られる、という構成になっています。

【「PK」あらすじ】

1 
サッカーワールドカップアジア予選で、小津は何らかの組織によってPKを外すように圧力をかけられます。しかし小津は、子供のころに見たヒーローを思い出し、自分もあのヒーローにたいして恥ずかしくない行動をとらなくてはならないと考えPKを決めました。
2
小津が見たヒーローとは、マンションの4階から落ちた子供を受け止めた、ある国会議員でした。子供を助けた出来事から27年がたって、当の国会議員は大臣にまでなっています。国会議員は何らかの組織によって、一人の男を陥れるように圧力がかけられています。
3
国会議員が子供のころ、父親の浮気相手が家に電話してくるという事件がありました。母親は、台所にゴキブリが出たということで二階に避難していたので、浮気相手の電話を父親がとることができました。
4
ある小説家は、書いた原稿を意味不明に訂正するようにと、何らかの組織によって圧力がかけられています。

解説
国会議員と小説家は兄弟であると推測します。国会議員の父親は小説家であった、とあるので、圧力をかけられている小説家は国会議員の父親であると考えたくなりますが、時代の設定が合わないです。

国会議員の父親には子供が二人いたこと。
国会議員が弟の家に行こうとする場面があること。
国会議員の弟は田園都市線の沿線の一軒家に住んでいること。
「超人」に出てくる小説家が二子多摩川の一軒家に住んでいること。
国会議員の父親が語っていた「次郎君」に関する話を、小説家も自分の子供に語っていること。

以上の理由から、国会議員と小説家は兄弟であると推測しました。

【「超人」あらすじ】

1
国会議員に助けられた子供である本田は、事件から27年たって、警備会社のセールスの仕事をしています。本田は、三島という小説家の家を訪ねて、

「自分には未来の事件を予言するメールが送られてきて、自分は事件を未然に防ぐために、未来の犯人を殺して回っている」

と告白します。
2
本田青年の携帯に、かつて自分を救ってくれた国会議員のせいで1万人が死ぬというメールが送られてきます。
3
国会議員は、かつて助けた子供に27年ぶりに会うことにします。かつて助けた子供とは、未来の事件を予告するメールを受け取る本田青年です。
4
国会議員の父親は、昔、浮気相手からの電話を妻に出られて浮気がばれたことがあります。
5
本田青年は国会議員との会食中に、国会議員を殺そうとします。しかしギリギリのところで、国会議員のせいで1万人が死ぬというのは誤報であるというメールが届きます。

【「密使」のあらすじ】

過去に「特殊なゴキブリ」を送って現在をコントロールしようというSF的国家プロジェクトが存在します。そのゴキブリを送ることによって、国家の破滅が救えるという計算らしいです。

しかしどうやらこのSF的国家プロジェクトを超える別のSF的国家プロジェクトがあるらしいです。この超SF的国家プロジェクトチームは、特殊なゴキブリを奪うことによってゴキブリの過去転送を阻止することに成功します。

PK (講談社文庫)



【「PK」 意味の解説】

「PK」の3つの連作短編では、
「PK」で、SF的国家プロジェクトの実現しようとした世界が、
「超人」で、SF的国家プロジェクトの
実現した世界が、
「密使」で、二つの世界の差の種明かしが語られています。

しかし、この話の全体の意味とは何なのでしょうか? この話の何を面白いととらえればいいのでしょうか? 伊坂幸太郎は、どのようなつもりでこのような小説を書いたのでしょうか?

「PK」の中で、作家がこのようにあります。

「彼が心配しているのは、ミサイルが落ちて物理的な被害が出ること以上に、社会の秩序が失われることが、守ってきた法律や道徳が、実は張りぼてに過ぎない、と露わになることが、怖かった」

この社会の秩序は何によって与えられているのか、という問題になります。

宗教によって社会の秩序が与えられると考えられれば話は簡単です。一神教の巨大な神が道徳の根拠であるなら話は終わりです。

ヨーロッパ社会では近代に入り、神の存在が徐々に失われて、社会秩序の根拠が問題化してきました。フーコーは、パノプティコンという相互監視社会をグロテスクながらも理想社会であると提示しました。

伊坂幸太郎も、社会秩序の根拠が分からない以上、今ある社会秩序は張りぼてではないかと疑うわけです。

しかし、社会秩序が張りぼてだというのでは不安なので、
「いやいや、社会秩序はSF的国家プロジェクトによって維持されているのだ」
「いやいやいや、社会秩序は超SF的国家プロジェクトによって維持されているのだ」

ということを語る必要が出てきます。

このようなおとぎ話を聞いて、読者は社会秩序に幻想的安心感を持つわけです。

伊坂幸太郎の小説の主題というのは、社会秩序は何によって与えられているのか、というところに集約できます。

「オーデュボンの祈り」では、カカシによって社会はコントロールされていました。
「ラッシュライフ」では、高橋さんという宗教家が秩序の鍵を握っているらしいことがほのめかされます。
「モダンタイムス」では、無人格の国家が社会秩序を保証する根拠でした。

そして本作「PK」では、SF的国家プロジェクトが秩序の根拠であるとSF的回答がなされています。

伊坂幸太郎の小説はエンターテイメント性の中に哲学を秘めているのが面白いところです。

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