物語の形式というのは以下の4つになります。

1 神話

2 悲劇

3 ポリフォニー(多声的)小説

4 モノローグ(独白的)小説


それぞれにそれなりの面白さがあります。

歴史的に小説世界は、1から4の形式に順次移行していったと考えられます。これが物語の進歩であるか、堕落であるかは葉判断の分かれるところだとは思いますが、進歩と考えるのが常識的でしょう。

様々な物語や小説は
1 神話
2 悲劇
3 ポリフォニー(多声的)小説
4 モノローグ(独白的)小説
に分類できると思います。

人間というのは面白いものを面白いと感じます。しかし、なぜ面白いものが面白いのか、面白いとは何なのか、ということは難しい問題になってきます。

その辺のところに切り込んでいこうと思います。

伊坂幸太郎の「オーデュボンの祈り」という小説を例にして、面白いとは何なのか、について考えていきます。

「オーデュボンの祈り」は伊坂幸太郎のデビュー作なのですが、「オーデュボンの祈り」を読んだことのない人のためにあらすじを説明します。



「オーデュボンの祈り」あらすじ

まず主人公の青年が、他所と交流を絶って久しい島に連れてこられる。青年は島を歩き回っていろんな人と知り合いになる。最重要のキャラクターは、未来を知ることができる喋るカカシだ。田んぼの真ん中に立っている。
このカカシって結構最初の方で殺される。殺されるといってもカカシなんだけれど。カカシ殺しの犯人が強力に追及されるのかというと別にそうでもない。主人公はペンキ屋の青年と一緒に天気を予報するネコを見に行ったりとか、ペンキ屋の青年が憧れの女性とデートしたりとか、主人公が知らない女の子からフライパンとバターをもらったりとか、少女が道端で寝転んでいたりとか、船長が川原でブロックを集めていたりとか、意味があるとも思えない出来事がバラバラに起こり続ける。多少重要だろうと思われることは、嫌われ者のさえないオヤジが殺されたことだ。しかしこのオヤジは島にごく最近来ただけで、島民はほとんど無関心。

460ページの本も残り100ページを切って、これ後どうするの? と心配になってくる。

ところが伏線は強引に回収された。
カカシは、未来を予言するカカシではなく、未来をコントロールするカカシだった。小説内の無意味と思われる出来事は、じつはカカシが望む未来の一事象のためのカカシによる誘導だった。
そしてカカシが望む未来の一事象とは何かというと、これが何と鳩のつがいの保護だった。

まさか二羽の鳩のために世界が回っていたとは!

そういえばみんなチョイチョイ鳩のことを語っていた。この小説の題名「オーデュボンの祈り」のオーデュボンも100年ほど前のアメリカの鳩学者らしい。かつてアメリカにはある種の鳩が20億羽いたらしい。この鳩が集団で飛ぶと何日も空が暗くなったという。
崇高な二羽の鳩のために伏線は回収され、世界が整合性を持って立ち現れる。


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あらすじだけではなく小説の意味の説明までしてしまいましたね。

未来をコントロールするカカシが「神」ということで、カカシが喋って生きている間は、「オーデュボンの祈り」は神話と判断できます。このカカシは小説の3分の1ぐらいのところで殺されるのですが、そのあと物語世界は混沌に落ち込むかというと、そういうわけではありません。神であるカカシの余光みたいなものが残っていて、運命にコントロールされる人間の話に移行します。

すなわち、神話から悲劇に物語が移行していきます。

「オーデュボンの祈り」では、予定調和的に、たちの悪いサイコパス警官が成敗されてめでたしめでたしということになって、
「これ、悲劇なの?」
という意見の人もいるかもしれませんが、サイコパス警官にとっては悲劇です。

神話において神が死んだので混沌世界に移行するのかというと、実際には世界は悲劇世界で踏みとどまる、みたいなことになるわけです。

私たちが物語を面白いと感じる理由がちょっと見えてきてませんか?

神が死んで世界が崩壊するかもしれないという不安が、悲劇という形式の登場で解消されるという点が「オーデュボンの祈り」の面白さを支えているんだと思うのです。

量子物理学的に考えると、神話という高い位相から悲劇という一段低い位相に移行することによってエネルギーが出て、そのエネルギーを面白さを感じる受容体が感受して、私たちは面白く感じるということになるのではないでしょうか。

よくわからない例えを出してしまったのですが。

結局、
1 神話
2 悲劇
3 ポリフォニー(多声的)小説
4 モノローグ(独白的)小説
への移行は、進歩という物ではなく堕落と考えるのが妥当ではないかと思います。



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