重力ピエロ」は映画化されています。

【ネタバレあります】

あらすじは単純です。


遺伝子の研究をしている大学院生の奥野泉水(いずみ)と、街の落書きを消すことを仕事にしている弟の春(はる)の兄弟が主人公です。
春は母親が強姦されて生まれた子供です。春は強姦魔であり血のつながりから言えば父親である男をおびき出すために、かつて連続強姦事件が起きた場所に火をつけていきます。

おびき出された男は、兄の泉水によってDNAから弟の春の父親であると証明されます。弟の春は強姦魔の実の父をバットで殴り殺します。

春は兄の説得もあって、警察に自首することなく話は終わります。

重力ピエロ

新品価格
¥300から
(2019/3/20 01:20時点)



【「重力ピエロ」の意味】

強姦魔とはいえ人を殺してそのままというのでは後味が悪い、という意見は当然あると思います。しかし「重力ピエロ」は、社会の規範とか家族愛の正義とかを前面に押し出すような作りの作品ではありません。

伊坂幸太郎の小説には、よくとんでもない極悪人が出てきます。この極悪人は、いつも運命のいたずらによって破滅します。主人公が極悪人をやっつけるという展開は、伊坂作品の場合はありません。

「オーデュボンの祈り」では、極悪警官は花壇の草を踏んだことにより、問答無用で股間を撃たれます。
「死神の浮力」では、サイコパス殺人鬼は乗っていた車のブレーキの下にぬいぐるみが挟まって、減速できずに車ごとダムの底に沈みます。
「グラスホッパー」では、たちの悪いヤクザの馬鹿息子は「押し屋」という謎の殺し屋によって殺されます。

この「重力ピエロ」のみ、極悪の強姦魔は主人公の春によって殺されています。

「重力ピエロ」だけを見れば、いかにも強姦魔が主人公「春」によって復讐されたように思えてしまいます。春は自分の意思で血のつながった父親を殺し、本当の家族の元に復帰するという、「重力ピエロ」は家族愛の物語のように見えます。

しかし伊坂作品のこれまでの流れからして、運命のいたずらの導きなしで正義が実現される、ということはありえないです。

「重力ピエロ」の中で、運命のいたずら役としてあてがわれているのが遺伝子ということになるでしょう。春の兄の泉水は遺伝子の研究をしている科学者という設定です。春の行っていた落書きも、あたかも遺伝子の導きによって書かされていたという表現もあります。
春は遺伝子によって操られていただけなので、彼が人を殺してもおとがめなしということなのでしょう。

もちろん現実の遺伝子なんていうものには、人間個人の意識の性向まで決定する力なんていうものはないです。少なくても現在の科学レベルでは、そのような遺伝子の力は証明されていません。

「重力ピエロ」は小説ですから、設定は自由です。
伊坂幸太郎の作品には超能力者なんて当たり前に出てきます。さらには人の生死を決定する死神とか、運命を予言する喋るカカシとかが出てきます。
「重力ピエロ」での遺伝子は、科学的な遺伝子というより、人間世界を勧善懲悪に導く運命の発動装置のようなものとして設定されていると判断できます。

これはいいとか悪いとかという問題ではなく小説としての設定ですから、その設定の延長線上で「重力ピエロ」を楽しむというのが、作家の期待する小説の楽しみ方でしょう。