ネタバレ注意です。

「死神の浮力」は「死神の精度」の続編になります。
「死神の精度」は6つの連作の短編集でしたが、「死神の浮力」は長編です。

「死神の精度」でおなじみの死神千葉の今回の調査対象は、

人気作家山野辺です。千葉は山野辺に一週間接触して、この人気作家が八日目に死ぬのが可であるか、それとも「死の見送り」が適当であるかを判断することになります。
千葉の場合、だいたい「対象者の死は可」なのですが。

人気作家山野辺の小学生だった娘が毒殺されました。しかし犯人の本城は証拠不十分のために無罪判決を受け釈放されました。山野辺は本城が真犯人である証拠を持っているのですが、自分の手で仇うちを計画していました。

そんな時に、千葉が死神としての仕事のために山野辺の家を訪れ、結果的に山野辺を助けるという流れです。

本城という若者は頭のいいサイコパスで、恨みもない山野辺をいかに苦しめるかに真剣になるという、最悪の犯罪者です。山野辺は娘の復讐をしようと本城を追いますが、本城に裏をかかれて何度も窮地に陥ります。しかし死神千葉のの能力に助けられてピンチを脱していきます。


本城にも山野辺と同じく死神がついています。千葉の同僚であるこの死神は、本城の死を見送りさらには20年の余生をプレゼントします。
山野辺は何日か後に死ぬのに、悪人である本城が20年以上確実に生きるわけです。理不尽な雰囲気が盛り上がってきます。もう神も仏もいないのかという、まあ死神はいるんですけど。

本城はダムに青酸カリを撒こうとするのですが、山野辺は疾走する車の中で青酸カリを奪い車から飛び降ります。本城は崖の手前でブレーキを踏もうとするのですが、山野辺の娘の形見のぬいぐるみがブレーキの下に挟まってしまいます。本城は車ごとダムに落ちてしまい浮き上がることができません。本城は死んだのかというと、20年のボーナス余生を与えられてしまっていて死ぬことができず、20年の時間をダムの底で生きることになります。

山野辺は予定通り八日目に、女の子を助ける代償に死んでしまいます。

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【「死神の浮力」意味の説明】

伊坂幸太郎の作品にはサイコパスの悪人がよく出てきます。このサイコパスは登場人物の頑張りによってヤッツケられるというのではなく、運命をつかさどる何者かによって破滅させられます。

「オーデュボンの祈り」では、悪徳警官は花壇の草を踏むことによって、「島の調停者」にいきなり股間を撃たれてしまいます。

「ラッシュライフ」では、たちの悪い画商の賭けが運命のいたずらによって外れてしまいます。

「重力ピエロ」では、連続強姦魔を殺したのは、主人公の弟というより、遺伝子という運命のようなものと言えます。

「死神の浮力」でも、本城を破滅させたのはブレーキの下にはまり込んだぬいぐるみです。ぬいぐるみは殺された山野辺の娘の情念によってはまり込んだのではなく、周到な運命の女神によってその場に配置されていました。

伊坂幸太郎の作品では、サイコパスと「運命をつかさどる神」とはセットです。サイコパスは社会の規範に従うのではなく、運命の復讐による規範に従うのです。

日本などの東アジアの世界では唯一の神というのは存在せず、互いが互いの善意を信じることによって社会を維持しています。法律によって社会が維持されているように見えますが、その法律の根拠は互いの善意への確信によります。ですから東アジアではサイコパスという存在は前提されていません。

サイコパスを設定するなら、サイコパスの魂への罰は社会ではなく、用意された運命によってなされなくてはならないという考えかたはありえます。
運命の神と言われても普通ピンときません。ですら伊坂幸太郎の作品では、そのあたりがぼかされているわけです。

運命をつかさどる神の手先の死神は音楽が好きで、いつもCDショップに入り浸っていてリアリティーがあります。しかしその上の死神事務局になると途端にぼんやりとし、死神事務局のさらに上には、おそらく運命をつかさどるシステムが推測されるのみです。

伊坂幸太郎の作品では、人間が関われるのはせいぜい運命をつかさどる神の手先まで、ということになっています。