坂口安吾は、太宰治が昭和23年6月13日に玉川上水で愛人山崎富栄と入水死した理由を「太宰治情死考」で語っています。

人が自殺した場合、その理由は残された者には分からないものです。告白するべき人は死に、分からないから残されたものは苦しむ。
しかし、坂口安吾は「太宰治情死考」の中で、太宰治の死を一時的メランコリーの結果だと断言しています。

まず、一部公開されている、太宰の妻にあてた遺書を以下に見てみます。

『子供は皆、あまり出来ないやうですけど陽気に育ててやって下さい たのみます。あなたを きらひになったから死ぬのでは無いのです。小説を書くのがいやになったからです。みんないやしい欲張りばかり。井伏さんは悪人です。』

「小説を書くのがいやになったのです」
というところは、文豪の悩みのように聞こえますし、
「井伏さんは悪人です」
というところは、思わせぶりな謎を残すような感じです。

ですから太宰治の自殺については、様々な推測が行われていますが、「太宰治情死考」の中で坂口安吾の語る太宰治の死の理由を見ていきましょう。

まず坂口安吾は相撲取り話から始めます。相撲取りは社会的な知識は全くないが、こと相撲に関しては大変な知識を有していると言います。実際このように語ります。

『角力トリのある人々は目に一丁字もないかも知れぬが、彼らは、否、すぐれた力士は高度の文化人である。なぜなら、角力の技術に通達し、技術によって時代に通じているからだ。角力技の深奥に通じる彼らは、時代の最も高度の技術専門家の一人であり、文化人でもあるのである。』

相撲取りは高度の技術専門家であるがゆえに社会的には非常識であると、坂口安吾は言います。これは作家も同じで、優れた作家というのは高度の記述専門家であるから、太宰治も社会的には非常識であったということです。

太宰治は山崎富栄という女性と心中しました。坂口安吾は、山崎富栄はあまり魅力的な女性とはいえなかったと言っています。「太宰治情死考」にこうあります。

『然し、こんな筋の通らない情死はない。太宰はスタコラサッちゃんに惚れているようには見えなかった。サッちゃん、というのは元々の女の人のよび名であるが、スタコラサッちゃんとは、太宰が命名したものであった。利巧な人ではない。編輯者が、みんな呆れかえっていたような頭の悪い女であった。』


wikiより

さっちゃんはなかなかの美人に見えますが、安吾の評価は低いですね。

安吾は、太宰が酔っ払って一時的にメランコリーになり、一緒に死のうと「すたこらさっちゃん」に言ったら、彼女は真に受けて丁寧に彼女の遺書を書き、よろこんで太宰の首っ玉にしがみついて共に玉川に入水したのだろう、と推測しています。

「太宰治情死考」にはこのようにあります。

『太宰は小説が書けなくなったと遺書を残しているが、小説が書けない、というのは一時的なもので、絶対のものではない。こういう一時的なメランコリを絶対のメランコリにおきかえてはいけない。それぐらいのことを知らない太宰ではないから、一時的なメランコリで、ふと死んだにすぎなかろう。』

芸道というものは常に崖の上を歩いているような厳しいものだから、太宰ほどの作家になると一時的な不調でメランコリーになって、つい自殺のまねごとをしてみるということはありえるということです。
ですから太宰の死をあれこれ考えて、その死因を確定するということはあまり意味がないということになります。

「太宰治情死考」の最期にはこうあります。

『芸道は常時に於て戦争だから、平チャラな顔をしていても、ヘソの奥では常にキャッと悲鳴をあげ、穴ボコへにげこまずにいられなくなり、意味もない女と情死し、世の終りに至るまで、生き方死に方をなさなくなる。こんなことは、問題とするに足りない。作品がすべてゞある。』



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