梶井基次郎の「Kの昇天」は、K君が海で溺死した理由を「私」があれこれ考える、という内容の短編小説です。

ストーリーを追いながら、ゆっくり「Kの昇天」を読んでいきましょう。


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【Kの昇天を読む】


私が夜の浜辺を散歩している時に、私は奇妙な人を見つけます。その人は満月を背にして、うつむきながら前に進んだり後ずさりしたり立ち止まったりしていました。私は思い切って声を掛けました。これが私とK君との出会いでした。

私がK君に最初に抱いた印象は、

「のっぺらぼう」

というものでした。

K君が浜辺で何をしていたのかというと、月の光でつくられた自分の影を見ていたそうです。
本文にこうあります。

『影をじーっと視凝みつめておると、そのなかにだんだん生物の相があらわれて来る。ほかでもない自分自身の姿なのだが。それは電燈の光線のようなものでは駄目だ。月の光が一番いい。』

K君は奇妙なことを言い出しました。さらにこうかぶせてきます。

『影の自分は彼自身の人格を持ちはじめ、それにつれてこちらの自分はだんだん気持がはるかになって、ある瞬間から月へ向かって、スースーッと昇って行く。それはなんとも言えぬ気持で、昇天してゆくのです。』

月の光によってできる影に自分というものが移って、肉体という重しを失った自分は月に登っていくだろう、ということになるでしょう。
そしてK君は、この月への昇天にいつも失敗しているとも告白します。

k君は影にこだわります。

『ちょうど太陽の光の反射のなかへ漕ぎ入った船を見たとき、
「あの逆光線の船は完全に影絵じゃありませんか」
 と突然私に反問しました。』

もう一つ、K君の思い出話。

『「私が高等学校の寄宿舎にいたとき、よその部屋でしたが、一人美少年がいましてね、それが机に向かっている姿を誰が描いたのか、部屋の壁へ、電燈で写したシルウェットですね。その上を墨でなすって描いてあるのです。それがとてもヴィヴィッドでしてね、私はよくその部屋へ行ったものです」』

K君が溺死して、私は、

「K君は月へ登ってしまったのだ」

と感じます。

これで「Kの昇天」という話はだいたい終わりです。


【解釈】


この小説の解釈なのですが、K君は私のドッペルゲンガーである、とか、K君とは梶井基次郎自身の意味である、とか考えてしまうと、少し小説を読者視点に引き付けすぎだと思います。梶井基次郎の小説のいいところは、病という倦怠のなかにあってもチリチリと燃える生きる意志が垣間見えるところであって、あまり無理な読解をする必要もないでしょう。

この小説はファンタジーを読むような感じで接すれば、かなり楽しめます。



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