村上春樹はドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」をオマージュしているらしい。

村上春樹訳「グレート・ギャツビー」のあとがきで村上春樹は、

もしこれまでの人生で巡り会ったもっとも重要な本を三冊あげろと言われたら、考えるまでなく答えは決まっている。この」「グレート・ギャツビー」と、ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」と、レイモンド・チャンドラー「ロング・グッドバイ」である。

と語っている。

「グレート・ギャツビー」とレイモンド・チャンドラー「ロング・グッドバイ」は分かるけど、「カラマーゾフの兄弟」は村上春樹の小説世界からはかなり遠いと思うけれど。


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村上春樹はよくメタファーと言う。メタファーだけだと隠喩という意味だけれど、メタファーのメタファーとか、世界はメタファーだ、とまで言ったとしたら、もうそれは夢の世界でしょう。根拠の言葉のない隠喩だけの世界があるとしたら、それは夢でしょう。

それに対してカラマーゾフの世界は本当にリアルだ。
例えば、「カラマーゾフの兄弟」のエピローグで、アリョーシャが子供たちの前で行った演説をあげてみよう。

「子供のころのなにかすばらしい思い出以上に、尊く、力強く、健康で、ためになるものは何一つないのです。たった一つのすばらしい思い出しか心に残らなかったにしても、それがいつか僕たちの救いに役立ちうるのです。もしかすると、まさにそのひとつの思い出が大きな悪から彼をひきとめてくれ、彼は思い直して、
そうだ、僕はあのころ、善良で、大胆で、正直だった
と言うかもしれません。内心ひそかに苦笑するとしてもそれはかまわない。みなさん、保証してもいいけれど、その人は苦笑したとたん、すぐ心の中でこう言うはずです。
いや、苦笑なぞして、いけないことをした。なぜって、こういうものを笑ってはいけないからだ、と」

メタファーのかけらもないと思う。

ただ、村上春樹と「カラマーゾフの兄弟」の共通点として、アンチ近代というのはあるかもしれない。
近代という時代は夢と現実を峻別する世界だし、巨大な整合性の中に個というものを回収する社会だ。

夢と現実を峻別する世界というのはどういうことかというと、夢と現実を区別できないようなヤツは病院送りみたいな感じ。今の世界のことだ。フーコーによると、精神病院と精神病患者というのは同時に発生したという。
村上春樹は、夢と現実を峻別する現代社会に反抗してメタファー世界と言っているのだろう。

巨大な整合性の中に個というものを回収する社会というのはどういう意味かというと、巨大な知識体系が存在する社会では、個人はその知識体系に寄り掛かって生きるほかないという社会。まさに現代だろう。
左翼リベラルの人たちは反論をするときに、「まず何々という本を読んでから語りなさい」みたいな言い方をよくする。これは巨大な知識体系に寄り掛かって生きるほかない人間の叫びだろう。
このような近代世界に対して、ドストエフスキーは個々人がそれぞれに独立して語り合う世界というものを取り戻そうとした。

村上春樹と「カラマーゾフの兄弟」はアンチ近代という点では一致しているかもしれないが、その後の目指す方向性というのは180度異なっているだろう。


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