論語には故事成語にもなった名言、格言が多数あります。そのすばらしい章句のなかから8つを紹介したいと思います。
「論語とは」
「論語」は孔子の没後、いくらかの年月をへたあと、紀元前四百数十年ごろ門人たちによって編纂されたものです。
「論語」がはじめて日本に伝来したのは応神天皇の時代ですが、それが刊行されたのは約一千年後の後醍醐天皇の元亨二年です。まず宮廷貴族の思想に影響を与え、つぎに武家に及びました。そして、明治維新にいたるまでの約千五百年間に、国民生活の精神的よりどころとなりました。
学而第一 1
「子曰く、学びて時に之を習ふ、亦た説(よろこ)ばしからずや 朋有り遠方より来たる、亦た楽しからずや 人知らずして慍(うら)みず、亦た君子ならずや」
訳
先生がいわれた
「古の聖人の道を学び、やれる時には何度でも繰り返して自分のものにする。なんと喜ばしいことだろう。友が遠方より共に学びに来てくれる。なんと楽しいことだろう。学んだ自分が認められなくても世間を恨まない。これこそ君子の名に値するのではないか」
論語の冒頭の章句です。
為政第二 4
子曰いわく、吾十有五にして学に志す。三十にして立たつ。四十にして惑わず。五十にして天命を知しる。六十にして耳(みみ)順(したが)う。七十にして心の欲する所に従がいて、矩(のり)を踰(こ)えず。
先生は言った
「私は十五歳で学問に志した。三十歳で自分というものをしっかりと持てるようになった。四十歳で自分の道に迷いがなくなった。五十歳で天から授かった使命を悟った。六十歳で言葉を素直に聞くことができるようになった。七十歳になって、やりたいことをやっても道徳にそむかなくなった」
15歳「志学(しがく)」
30歳「而立(じりつ)」
40歳「不惑(ふわく)」
50歳「知命(ちめい)」
60歳「耳順(じじゅん)」
70歳「従心(じゅうしん)」
の出典になります。
この章句は人は年とともに人格的に完成していく、と普通は解釈するところでしょう。
しかし、宮崎一定という論語学者は、
「論語の為政篇のこの節は、50歳までは力があふれていて天命を知るまでになったが、それ後は衰えて、60歳になったら人の言うことには従うようになったり、70歳になったらやりたいことをやってもたいしたことは出来なくなってしまった、という孔子の嘆きだ」
と言っていました。
雍也第六 9
子曰わく、賢なるかな回や。一箪(いったん)の食(し)、一瓢(いっぴょう)の飲(いん)、陋巷(ろうこう)に在り。人は其の憂(うれ)いに堪えず。回や其の楽しみを改めず。賢なるかな回や
訳
先生は言った
「回はなんと賢者だろう。一杯の飯に一杯の水で、あばら家生活をしていれば、普通の人はいやになってしまう。だが回はその生活を楽しみ不満がないようだ。回はなんという賢者だろう」
回とは顔回という孔子の一番弟子のことです。
一箪(いったん)の食(し)、一瓢(いっぴょう)の飲(いん) は有名な部分です。
一瓢(いっぴょう)の飲(いん)は普通、一杯の水と訳しますが、下村湖人は「一杯の水」ではあまりに顔回がかわいそうだと考えたのか、「一杯の酒」と訳しています。
先進第十一 8
顔淵死す。子曰く、噫(ああ)、天予(われ)を喪(ほろぼ)せり。天予(われ)を喪(ほろぼ)せり
訳
顔淵が死んだ。先生は言った。「ああ、天は私の希望を奪った。天は私の希望を奪った」
顔淵とは顔回のことです。愛する一番弟子を失った孔子の嘆きが伝わってきます。
季氏第十六 4
孔子曰く、益者三友(えきしゃさんゆう)、損者三友(そんしゃさんゆう) 直(ちょく)を友とし、諒(りょう)を友とし、多聞を友とするは、益なり。便辟(べんぺき)を友ともとし、善柔(ぜんじゅう)を友とし、便佞(べんねい)を友とするは、損なり
訳
孔子は言った。
「正直な人、誠実な人、博識な人は益にる友である。体裁をとりつくって正直でない人、愛想がよいだけの人、口先だけでうまいことを言う人は損になる友である」
益者三友の後に損者三友とあるのがポイントだと思います。益者三友でなくても、損者三友でさえなければ友達として付き合うのは問題ないという孔子のメッセージでしょう。
里仁第四 15
子曰わく、参(しん)よ、吾(わ)が道は一(いち)以(もっ)てこれを貫く。
曽子(そうし)曰わく、唯(い)。
子出(い)ず。
門人問いて曰わく、何の謂(いい)ぞや。
曾子曰わく、夫子(ふうし)の道は忠恕(ちゅうじょ)のみ
訳
孔子が言った
「参よ、私は一つの原理で自分を貫く」
曾子は答えた
「はい」
孔子は部屋を出て行った。ほかの門人たちが曾子にたずねた。
「今のはどのような意味でしょうか」
曾子は答えた。
「先生の道は強い誠実さだけということ」一(いち)以(もっ)てこれを貫く は故事成語になっています。
忠恕(ちゅうじょ)は誠という意味で、仁に近いものだと思います。
泰伯第八 6
曾子曰く、以(もっ)て六尺(りくせき)の孤(こ)を託すべく、以て百里の命(めい)を寄すべし。大節に臨みて奪うべからず。君子人か、君子人なり。
訳
曾子が言った
「幼君の補佐を頼むことができ、一つの国の政治をまかせることができる。大事に臨んで自分を見失ったりしない。このような人は君子人であるか。君子人である」
曾子には詩の才能があったのではないかと思います。
もう一つ曾子を。
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