顔回(がんかい 紀元前521年 - 紀元前481年)は、暮らしぶりが極めて質素で、名誉や栄達を求めず学問にいそしみ、孔子の信頼が最も厚かった弟子であると言われています。

論語の子路第十三 27

子曰く、剛毅(ごうき)木訥(ぼくとつ)は仁に近し


とあります。

生活が質素であったから仁に近づいた、とも言えるでしょうし、仁に近づいていたから生活が質素でも気にしなかった、とも言えるかもしれません。



実際に論語の中で顔回にふれられているところを見ていきます。

為政第二 9

子曰く、吾、回(かい)と言うこと終日、違(たが)わざること愚なるがごとし。退(しりぞ)きて其その私を省(かえり)みれば、亦(また)以(もっ)て発するに足る。回や愚ならず


先生は言った「と終日話しても、彼は私の言うことをおとなしく聞いているだけで、まるで愚者のようだ。ところが彼自身の生活を見ると、逆に私の方が啓発される。彼は馬鹿ではない」

もう一つ

雍也第六 9

子曰わく、賢なるかな回や。一箪(いったん)の食(し)、一瓢(いっぴょう)の飲(いん)、陋巷(ろうこう)に在り。人は其の憂(うれ)いに堪えず。回や其の楽しみを改めず。賢なるかな回や


先生は言った
「回はなんと賢者だろう。一杯の飯に一杯の水で、あばら家生活をしていれば、普通の人はいやになってしまう。だが回はその生活を楽しみ不満がないようだ。回はなんという賢者だろう」

一箪(いったん)の食(し)、一瓢(いっぴょう)の飲(いん) で暮らしながら、回や其の楽しみを改めず ですから。現代だとお金が優先されてしまって、楽しみを改めない、というのはなかなか難しいかもしれません。

顔回は若くして死んでしまいます。
顔回の死を嘆いた孔子の言葉が論語の中にあります。

先進第十一 8
顔淵死す。子曰く、噫(ああ)、天予(われ)を喪(ほろぼ)せり。天予(われ)を喪(ほろぼ)せり


顔淵が死んだ。先生は言った。「ああ、天は私の希望を奪った。天は私の希望を奪った」

論語は、言葉の数をできるだけ削ろうとするところがあります。ですから孔子は言葉を重ねることによって、顔回を厚く弔おうとしているのが伝わってきます。

顔回は孔子に本当に愛されていたのですね。


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