論語の冒頭は

学而第一 1

「子曰く、学びて時に之を習ふ、亦た説(よろこ)ばしからずや 朋有り遠方より来たる、亦た楽しからずや 人知らずして慍(うら)みず、亦た君子ならずや」

となります。


先生がいわれた

「古の聖人の道を学び、やれる時には何度でも繰り返して自分のものにする。なんと喜ばしいことだろう。友が遠方より共に学びに来てくれる。なんと楽しいことだろう。学んだ自分が認められなくても世間を恨まない。これこそ君子の名に値するのではないか」


「習う」というのは何度も繰り返して自分のものにするという、復習程度の意味です。学の目的は知識の習得というより人格の完成ですから、学んだものを自分の血肉にするというのが大切になってきます。
あと、友達が遠くから訪ねてきてくれたら、素直にうれしいです。

ただ、「人知らずして慍(うら)みず」学んだ自分が認められなくても世間を恨まない、というのはきついかもしれないです。
「人知らずして慍うらみず」のところを、「学んでも人に認められないとしても恨まないでさらに頑張って学んで」みたいに訳す人がいますが、やっぱり少しは恨んでしまっている自分、というニュアンスがにじみ出てしまっています。

仕方ないだろうと思います。

ただ孔子も、その辺のところは理解しているらしく、

学而第一 16で

子曰(いわ)く、人の己(おのれ)を知しらざるを患(うれ)えず、人ひとを知しらざるを患(うれ)うるなり


人が自分を知ってくれないということは心配ではない。自分が人を知らないことこそが心配なのだ

と言ってます。

強い気持ちでやっていきましょう。



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