桜庭一樹さんの小説を紹介しながら、彼女がラノベ作家から直木賞作家へ飛躍した謎を解きます。

目次
1 少女七竈と七人の可愛そうな大人
2 砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない
3 ファミリーポートレイト
4 結論





【少女七竈と七人の可愛そうな大人】



とびきり顔の造作が美しいとされる高校3年生の女の子の日常生活を描いた小説でした。

この小説世界における整合性の根拠は、主人公の女の子の「かんばせの美しさ」だけです。
正直、こういうのはどうかなと思います。言葉で美しいと言われても、ここは漫画ではなく小説世界なのですから、美しさの実感みたいなものがつかめないです。
私の過去の美少女の記憶というものを、この少女に当てはめていけばいいのでしょうが、そこまでする必要も感じられないです。

個別の女性の美しさに関する価値判断というのは、ほぼ男性の性欲に依存しているわけで、あまりこだわるほどのことでもないと思います。
美しいとされる若い女性を男性が過度にちやほやして、何だか勘違いしてしまった女性というのはいっぱいいます。
私はトラックの運転手をしているのですが、無理な割り込みをしてくるのは、だいたいにおいてかつては美しいとされていたであろうオバサンです。男は自分に譲ってくれるものだと勝手に判断しているのでしょう。迷惑千万です。

少女の顔が人並み以上に整っているからと言って、それだけで小説の整合性の根拠になると考えるのは甘すぎます。さらには女性の人間性に対する冒とくです。
この小説が何かの漫画のノベライズというのであれば、もしかしたら許容範囲かとも思うのですが、そうではないのでしょう? 


【砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない】

砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない A Lollypop or A Bullet (角川文庫)

13歳の中学生の女の子が主人公です。クラスに転校生がやってきて仲良くなるのですが、一カ月もしないうちに、その転校生が父親に殺されてしまうという話でした。

この小説の題名は「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」というものなのですが、なぜ弾丸を撃つのかということについて私の仮説を展開します。
例えば本文にこのようにあります。

「藻屑(転校生の名前)。藻屑。もうずっと、藻屑は砂糖菓子の弾丸を、わたしは実弾を、心許ない、威力の少ない銃につめてぽこぽこ撃ち続けているけれど、まったくなんにも倒せそうにない」

この弾丸というものが何かの隠喩だろうと普通は考えると思うのですが、実際はそうではなく、もっと直截的なものです。
「見えない自由が欲しくて、見えない銃を撃ちまくる、本当の声を聞かせろ」
という意味です。
これはブルーハーツの「トレイントレイン」の歌詞です。桜庭一樹はこの「トレイントレイン」のイメージを膨らませてこの小説を書いています。

なぜそのようなことが言えるのかといいますと、桜庭一樹の「ファミリーポートレート」という小説の中に、ブルーハーツの真島昌利作詞作曲の「青春」と全く同じイメージの高校が出てきます。校庭の隅に姫林檎の実がなっていて、音楽室では少年がジェリーリースタイルでピアノでブギーを弾いています。「青春」の歌詞そのままです。
同じく「少女ナナカマドと七人の可愛そうな大人」では、主人公の女の子は鉄子で、部屋の中に鉄道模型を作って眺めるのが趣味です。これは結局、「栄光に向かって走るあの列車に乗っていこう」ということで、これも「トレイントレイン」の歌詞です。

ですから、この小説で彼女たちがポコポコ撃っているものは、比喩としての弾丸ではなく、見えない銃に込められた弾丸です。

この小説は転校生の女の子が、転校して一カ月で父親に殺されるという救いのない内容なのですが、小説内の雰囲気は全く救いがないというものではないです。それはなぜかというと、
「ここは天国ではない、かといって地獄でもない」
からです。

桜庭一樹は1971年生まれということで、リアルのブルーハーツ世代です。女性でブルーハーツファンというのも珍しいと思います。

おまけ解説

あのラストが悲しすぎる理由なのですが、
10年に一度、同じ月の同じ日に嵐が来ると藻屑は思い込んでいます。それは結局、
「世界中に定められたどんな記念日なんかより、あなたが生きている今日はどんなにすばらしいだろう」
ということになるでしょうし、
藻屑がバラバラにされて積み上げられて置かれるというのは、
「世界中に建てられてるどんな記念碑なんかより、あなたの生きている今日はどんなに意味があるだろう」
ということになると思います。


【ファミリーポートレイト】

ファミリーポートレイト (講談社文庫)

第一部「旅」

コマコは5歳から14歳まで、何かから逃げるように母親と二人で日本の諸都市をめぐります。母親は老人しかいない町で病院の受付をやったり、そこを逃げ出したら次は温泉街で温泉芸者をやったり、またそこを逃げ出したら次は豚の解体工場で働いたりとか。
ロクでもない母親なのですが、そんな母親でもコマコは大好きで、何と言いますか、母親とコマコは互いに依存しあうような関係です。

この本の解説で、
「桜庭一樹という作家は、現実味のないことを、たじろぐくらいの現実味をもって書く」
なんてありましたが、親子で日本の辺境をめぐる人々というのは実際に存在しますよ。

私、20年ちょい前に北海道の美瑛の肉牛牧場で何年か働いていたことがあります。私が何年か暮らした経験をもとに言いますと、北海道在住の方には申し訳ないのですが、北海道の東半分というのはほとんど日本の果てみたいなところです。
そんな場所の牧場に、40ぐらいのさえないオジサンが働かせてくれといって来ました。体形はずんぐりむっくりで、気が弱そうで口数も少なくて、正直ちょっとトロいような感じのオジサンだったのですが、なんと小学4年の女の子を連れているのです。
この女の子はお父さんと全然似ていなくて、口元はキリっと引き締まり目は知性的で、将来はかなりの美人になるのではないかと予感させるような容貌でした。
牧場には従業員のための寮があって、まかないもついていました。その小学4年の女の子は、毎晩お父さんの夜食のためにといって、余ったコメで大きいおにぎりを3つ作っていました。
お母さんはどうしたの? とか聞きにくい話もそのうち聞こうかと思っていたのですが、その父娘は3か月ぐらいで牧場からいなくなってしまいました。

実話です。

あの父娘って何だったのか、20年以上たっても今だに不思議に思います。


第2部「セルフポートレイト」

コマコが14歳の時に、母親は冷たい湖に飛び込んでそのまま居なくなってしまいます。コマコの一人旅が始まります。
この後の流れとして、

コマコ、高校に行く
コマコ、文壇バーでバイトする
コマコ、小説家デビューする
コマコ、出奔して喫茶店でバイトする
コマコ、小説家に復帰して直木賞をとる

となります。

コマコの通っている高校の校庭の隅には姫林檎の木があって実をつけています。音楽室からはブギーの音色が聞こえてきて、覗いてみると少年がピアノを弾いているのです、ジェリー・リースタイルで。
これはブルーハーツです。正確に言うとハイロウズの「青春」です。
コマコは導火線に火が付いたりします。ブルーハーツの「旅人」です。
コマコは幻の銃の引き金を引いたりします。見えない銃を撃つわけです。ブルーハーツの「トレイン・トレイン」です。

コマコは長編小説に挑もうとするのですが、そのコンセプトというのが、

「たくさんの人物が様々な舞台で同時に演じる、多声性に満ちた長い物語だった。最初はこの大人数の中で果たして誰が主人公なのか、作者の自分にもよくわからなかったのだけれど、次第に一人の男の子が、おれだよ、と舞台から立ち上がりだした」

というものです。
コマコ、やけに大きく出たのではないでしょうか。モノローグではなくポリフォニー(多声性)の長い物語で、次第に少年が主人公として立ち上がるというのでは、まさに「カラマーゾフの兄弟」です。コマコを通り越して、桜庭君、ちょっとハッタリかましすぎなのではないの? などと思ってしまいました。

このように第2部にいたって、全部を拾うことはできないのですが、いろんな事象をごった煮的にぶち込んできている感じです。これはこれで悪くないです。

トータルでこの小説はかなり出来がいいと思いました。第1部「旅」がコマコの生きる根拠になっていて、第2部「セルフポートレイト」でコマコがその根拠を表現しようとするわけで、トータルでの整合性は取れています。
同じ作家の「少女七竈と七人の可愛そうな大人」を読んだときは、これはラノベレベルだな、と思ったのですが、この「ファミリーポートレイト」は水準を超えた小説になっているのではないでしょうか。

【結論】

桜庭一樹さんはブルーハーツをオマージュすることによって、ラノベ的軽さから脱却したということだと思います。