職業に貴賎はあるか?



職業に貴賎はあるか?なんていうとキツイ感じがするから、職業に価値の濃淡があるか?というマイルドな言い方をしてもいい。  

職業の価値の濃淡というのは何によって決定されるのか。

最も簡単な答えというのは、「稼ぐお金の量によって」ということになるだろう。しかしこのような簡単な答えというのは、一見正しいように思われるのだけれど、いくらでも反論可能。もう少しマシな仮説が必要だ。 

ではこういうのはどうだろうか。  

「その職業集団が再生産可能かどうか」   

例えば江戸時代を考えてみる。江戸時代においては、武士と農民というのは、職業としての価値の序列があったかのように見える。

しかし武士と農民とのそれぞれの集団は、それぞれに再生産して集団を未来につなげているわけで、武士と農民は職業に貴賎があったというより、その暮らす世界を住み分けていたという方が正確だろう。

武士と農民との貴賎というよりも、武士世界内、農民世界内の貴賎のほうが、そこに暮らす人間にとってははるかに重要だろう。

具体的に言えば、長男と次男以下との区別ということになる。これは職業ではないが、集団と考えれば同じことだ。家父長社会において、長男集団と次男以下集団とはリアルに価値が違う。

なぜ価値が違うのか。残酷な質問には残酷な答えが待っている。長男集団には再生産が期待されているけれども、次男以下集団には再生産が期待されていないからだ。江戸時代において、武士と農民には貴賎は存在せず、それぞれの長男集団と次男以下集団には貴賎が存在した、と言ったとしても体感的にそう間違いでもないだろうと思う。

職業の貴賎などという価値の序列というものは、様々な社会体制においてそれぞれ決定されるものだろう。   

そして再び問う、現代日本において職業の貴賎は存在するか?  

戦後、正確に言うと戦中以降、日本においては社会保障や最低賃金なるものが存在した。総力戦を国家が呼号する中、最低限のカロリーを提供してもらわなければ、国民としても国家の総力戦に継続的に参加できないから。国家が最低賃金を補償して、さらにその国において皆婚状況であるとするなら、その国において職業の貴賎はないといえるだろう。国家に有用なあらゆる職業集団が再生産可能だからだ。  

ところが時代は変わって、現代の日本では生涯未婚率が3割に迫ろうかとしている。おそらく職業によって、結婚しにくいもの結婚しやすいものという色分けがあるだろう。結婚しにくい職業なるものが誰の目にも明らかになったときに、言い換えるなら、再生産しにくい職業が誰の目にも明らかになったときに、それでも職業に貴賎はないと強弁できるのかということになる。21世紀も17年もたって、その辺のところが明らかになりつつあると思う。

世界は2つに分裂するだろう。職業に貴賎はないと強弁するものと、職業に貴賎はあると開き直るものと。これらを総合するためには、おそらく新しい世界観が必要となるだろう。

自分で言っておいてなんなのだけれど、この新しい世界観とはどのようなものであるかというのは想像ができない。近代の人たちが、社会保障について想像が出来なかったのと同じ。


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