川上弘美の「センセイの鞄 」は、アラフォー女性と70代男性とのプラトニックラブの話だと思った。



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この本を20代30代のころに読んだとしたら、大人になってプラトニックラブなんてありえない、とにかくやらなきゃ意味ないよなんて思っただろう。48歳にもなると、不思議なことに「やらなきゃ意味ない」とか思わなくなってくる。「センセイの鞄」、あっさりしていいなーなんて思うようになる。

何年か前に高校の同窓会があった。当時気になってた女の子と25年の時を超えてお酒を飲みながら喋る。相手は明らかに恋愛シャッターが開いている感じだ。若かったらどんどん行くけれどさすがに。互いに40代で結婚もしていて子供もいて、やってどうなるというものでもないし。「センセイの鞄」の中で「わたし」と昔の同級生とが花見で出会って手をつないで土手道を歩くという場面があったのだけれど、そういうのが一番いい。

なんだか一周回って高校生に戻ったみたいだ。

でも正直、48歳の男も私みたいにあっさりしたヤツばかりでもない。

老驥櫪に伏すとも志は千里に在り

でね、無理やりバイアグラで奮い立たせようなんていうやつも複数いる。本当にご苦労様だと思う。

この文春文庫の「センセイの鞄」の解説を木田元が書いている。有名な哲学者がこの本の何を解説しようというのか。

「20世紀の作家たちも、近代の超克をはかり、単線状の時間を内的形式とする小説というジャンルを内側から掘り崩すことによって近代的自我の解体を計ろうとした。カフカやムージルやジョイスやフォークナーの文学的営為がそこにむけられていたことは言うまでもない」

「それなのに、河上弘美は、そんな努力はどこ吹く風といった感じで彼らの目指したポストモダンに軽々と身を置いている」



おい、ちょっと褒めすぎだろう。 まあでも最後にこのようにある。

「せっかくのすばらしい傑作に不粋きわまる解説を添えることになってしまった」

だって。さすが木田元、自分をセンセイに重ね合わせてきている。わるくない解説だと思った。


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