この小説の骨格。



主人公の「僕」には、ある一定の人と思考を共有する能力がある。ある中学生男子と思考を共有した結果、「僕」はその中学生に自分が、通り魔犯罪を犯したのは自らをありふれたた人間だと認めるのが怖かったからだと告白させる。

その中学生の母親の思考にも共有して、息子の犯罪を恐れていたのは母親としての愛ではなく世間体のためであると告白させる。



こんな感じで、僕は特殊能力を使って何人かに心の空虚さを告白させる。僕が告白させることのできる人は心に空白を抱えている人に限るらしい。心に空隙を抱える原因は、自らの価値を外部に求めることによる。中学生の男の子は自分の価値を他人の評価に望み、その母親は世間体に依存する。ある男は自分の評価をリストラされたところの仕事に願い、別の男は別の男の子供を身ごもった自分の妻に祈る。



「僕」は、自分の価値を外に求めようとする人の思念に同化する。そして彼らの空虚さを告白させて心を解放する。解放された心は支えを失って衰弱していく。「僕」はこの現象のことを呪いと呼んでいる。

この呪いが発動しない相手もいる。医者を聖職と考えている医学部教授と自分の世界を生きる女子中学生だ。



以上がこの小説のあらすじ以前の骨格だ。

正直、この物語の骨格は少し貧弱で、この骨格自体では整合性を保てないだろう。

まず、なぜ医者と女子中学生には呪いが発動しないのか? それは彼らの中に価値があるからだろう。自分の価値を外に求める者には呪いは発動するのだけれど、自分の価値を内に見つける者には呪いは発動しない。



医者に呪いが発動しないのは、医者という職業に特別の価値があるからだという。聖職だという。
作者は勘違いしているのではないだろうか。合理的に考えれば、医者というのは人体調整の技術者であって、べつに聖職などというものではない。聖職意識があるとするならば、それは医学に内在するものではなく社会的に特別に価値が付与されているからだ。



作者は女子中学生に価値が内在していると判断しているらしい。申し訳ないけれどもロリコン発想ではないだろうか。女子中学生に価値が内在しているとしたら、いったいどこに内在しているのだろうか。その下半身にだろうか? それもある一定の男にとって? 



呪いってある程度普遍的な力があるんじゃねーの?

社会的に特別に付与された力でかわせたりとか、ある一定のキモ男の情念で守られたりとか、取るにも足らぬ馬鹿を言うものありだね。



ダメな大人は自分の外に価値があると判断して自分を失っているというのは無くは無いとは思うけれど、それほど当たり前のことでもないだろう。現代日本はそこまで疲れきってはいないだろう。

この小説は、現代日本がこうだったら怖い的な、ホラー小説だととらえたい。


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