ネタバレ的なことを書いてしまっています。ライトノベル出身の作家さんで、直木賞も取りました。

第一部「旅」

コマコは5歳から14歳まで、何かから逃げるように母親と二人で日本の諸都市をめぐります。母親は老人しかいない町で病院の受付をやったり、そこを逃げ出したら次は温泉街で温泉芸者をやったり、またそこを逃げ出したら次は豚の解体工場で働いたりとか。
ロクでもない母親なのですが、そんな母親でもコマコは大好きで、何と言いますか、母親とコマコは互いに依存しあうような関係です。

この本の解説で、
「桜庭一樹という作家は、現実味のないことを、たじろぐくらいの現実味をもって書く」
なんてありましたが、親子で日本の辺境をめぐる人々というのは実際に存在しますよ。

私、20年ちょい前に北海道の美瑛の肉牛牧場で何年か働いていたことがあります。私が何年か暮らした経験をもとに言いますと、北海道在住の方には申し訳ないのですが、北海道の東半分というのはほとんど日本の果てみたいなところです。
そんな場所の牧場に、40ぐらいのさえないオジサンが働かせてくれといって来ました。体形はずんぐりむっくりで、気が弱そうで口数も少なくて、正直ちょっとトロいような感じのオジサンだったのですが、なんと小学4年の女の子を連れているのです。
この女の子はお父さんと全然似ていなくて、口元はキリっと引き締まり目は知性的で、将来はかなりの美人になるのではないかと予感させるような容貌でした。
牧場には従業員のための寮があって、まかないもついていました。その小学4年の女の子は、毎晩お父さんの夜食のためにといって、余ったコメで大きいおにぎりを3つ作っていました。
お母さんはどうしたの? とか聞きにくい話もそのうち聞こうかと思っていたのですが、その父娘は3か月ぐらいで牧場からいなくなってしまいました。

実話です。

あの父娘って何だったのか、20年以上たっても今だに不思議に思います。


第2部「セルフポートレイト」

コマコが14歳の時に、母親は冷たい湖に飛び込んでそのまま居なくなってしまいます。コマコの一人旅が始まります。
この後の流れとして、

コマコ、高校に行く
コマコ、文壇バーでバイトする
コマコ、小説家デビューする
コマコ、出奔して喫茶店でバイトする
コマコ、小説家に復帰して直木賞をとる

となります。

コマコの通っている高校の校庭の隅には姫林檎の木があって実をつけています。音楽室からはブギーの音色が聞こえてきて、覗いてみると少年がピアノを弾いているのです、ジェリー・リースタイルで。
これはブルーハーツです。正確に言うとハイロウズの「青春」です。
コマコは導火線に火が付いたりします。ブルーハーツの「旅人」です。
コマコは幻の銃の引き金を引いたりします。見えない銃を撃つわけです。ブルーハーツの「トレイン・トレイン」です。

コマコは長編小説に挑もうとするのですが、そのコンセプトというのが、

「たくさんの人物が様々な舞台で同時に演じる、多声性に満ちた長い物語だった。最初はこの大人数の中で果たして誰が主人公なのか、作者の自分にもよくわからなかったのだけれど、次第に一人の男の子が、おれだよ、と舞台から立ち上がりだした」

というものです。
コマコ、やけに大きく出たのではないでしょうか。モノローグではなくポリフォニー(多声性)の長い物語で、次第に少年が主人公として立ち上がるというのでは、まさに「カラマーゾフの兄弟」です。コマコを通り越して、桜庭君、ちょっとハッタリかましすぎなのではないの? などと思ってしまいました。

このように第2部にいたって、全部を拾うことはできないのですが、いろんな事象をごった煮的にぶち込んできている感じです。これはこれで悪くないです。

トータルでこの小説はかなり出来がいいと思いました。第1部「旅」がコマコの生きる根拠になっていて、第2部「セルフポートレイト」でコマコがその根拠を表現しようとするわけで、トータルでの整合性は取れています。
同じ作家の「少女七竈と七人の可愛そうな大人」を読んだときは、これはラノベレベルだな、と思ったのですが、この「ファミリーポートレイト」は水準を超えた小説になっているのではないでしょうか。