ドストエフスキーの詩学 (ちくま学芸文庫) [ ミハイル・ミハイロヴィッチ・バフチン ]【中古】 ドストエフスキーの詩学 ちくま学芸文庫/ミハイル・バフチン(著者),望月哲男(訳者),鈴木淳一(訳者) 【中古】afb



ドストエフスキーの評論は多い。小林秀雄にもあったし吉本隆明にもある。

というか、たいがい誰でも書いている。しかし、読む価値のあるドストエフスキー評論というのは少ない。なぜかというと、ドストエフスキーとはインテリが言葉で説明しようとすると、たちまち逃げてしまうよな感じ。しかし、バフチンの「ドストエフスキーの詩学」はお目出たいインテリの評論とは一味違う。

話の枠組みがでかい。
まずこのようにかましてくる。

『なぜあらゆる近代文学が古びていく中、ドストエフスキーのみがなぜ古びないのか』

これは近代小説とは何か? という話になってくる。さらには近代とは何か、現代とは何かという話にもなってくるだろう。

知りたくないですか? 現代とは何かって。私たちの周りの世界はなぜこのようにあるのかって。


バフーチンはこのように言う。

「単一で唯一の理性を崇拝するヨーロッパ合理主義が、近代におけるモノローグ(独白)原理を強化し、これが思想活動のあらゆる領域に浸透した」

例えば、近代以降の小説は三人称客観というスタイルで書かれている。三人称客観とは、作者や読者の視点が小説の登場人物を絶えず俯瞰できるようなシステム。現代の小説は、ほとんどこのスタイルで書かれていると思う。
このような近代小説システムも強化されたモノローグ原理の一つだろう。


さらにバフーチンはこう言う。

「単一の意識が自己を充足させるというこの信念は、思想家達が個別に作り出したものではなく、近代の思想的創作活動の構造に深くくいこみ、その内的外的形式を規定している一つの特質なのである」


この発言はどうでしょう。
言っていることは、1970年代のミッシェル.フーコーが語っていたことと変わらない。そして驚くべきことは、この「ドストエフスキーの詩学」の初版は1929年だということ。

バフーチンはここまで近代とは何かという真理に迫りながら、

「ここでわれわれに関心があるのは、文学創作におけるモノローグ原理の現れ方である」


とドストエフスキー言及にもどっていく。


世界の真理をつかむのは、自己満足のためではなく、愛するドストエフスキーのためであるという。ここまで来るとバフーチンの「ドストエフスキーの詩学」という本は、恐ろしくも美しい愛の物語とも言えるようなものに昇華してくるだろう。

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