ドミートリーの父親殺し裁判のクライマックス、陪審員に対して検事はこのように言う。

「ロシアの宿命的なトロイカは、ことによると破滅に向かってまっしぐらに突き進んでいるのかもしれません。他の諸国民が今のところまだ、がむしゃらにつっぱしるこのトロイカに道を譲っているとしても、敬意からでなどなく、単に恐怖からに過ぎないでしょう」

突っ走るトロイカとは急激に西欧化しようとするロシア。混乱の中で明らかな父親殺しを無罪にするような行き過ぎた文明化は逆に西欧からの反発を招くだろうということだろう。

これに対して弁護人は最終弁論の最後にこのように言う。

「われわれのところに、破滅した人間の救済と更正を、あらしめようではありませんか。もしロシアの裁判がそういうものであるならば、ロシアは前進するでしょう。狂気のトロイカではなく、偉大なロシアの戦車が厳かに悠然と目的に向かって進むのです」

検事と弁護人が語る物語というのは、物事の裏と表だろう。
陪審員の皆さん、私達は世界をこのように確定しました。さあ、どちらが正しいか判断してください、というわけだ。
知の権威というものは、世界を確定しようとする。人民の世界認識を確定した方が、国家として人民を統治しやすい。近代というものは、この世界は合理的だという、非合理な信念の上に成立している。


しかし、人間の認識世界というものは確定しているものなのだろうか。好きな女が次の瞬間憎くなるなんていうことはないだろうか。本当のところ、世界は揺れているのではないだろうか。

エピローグでアリョーシャは子供達の前でこのように演説する。

「子供のころのなにかすばらしい思い出以上に、尊く、力強く、健康で、ためになるものは何一つないのです。たった一つのすばらしい思い出しか心に残らなかったにしても、それがいつか僕たちの救いに役立ちうるのです。もしかすると、まさにそのひとつの思い出が大きな悪から彼をひきとめてくれ、彼は思い直して、
そうだ、僕はあのころ、善良で、大胆で、正直だった
と言うかもしれません。内心ひそかに苦笑するとしてもそれはかまわない。みなさん、保証してもいいけれど、その人は苦笑したとたん、すぐ心の中でこう言うはずです。
いや、苦笑なぞして、いけないことをした。なぜって、こういうものを笑ってはいけないからだと」

そう、子供のころ、世界は揺れていた。世界が確定したと思い込んで大人になったつもりなっても、そうではない時があった。大切なのは最後のところで世界は揺れているものだという記憶だろう。

カラマーゾフの兄弟という小説は、世界を確定しようとする近代の中で、最後の揺らぎを、最後の言葉を守ろうとするカラマーゾフの魂の遍歴の記述だって感じた。

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