アリョーシャはコーチャという14歳の少年と知り合いになる。コーチャという少年は中二病なんだよね。既成の権威を否定するために、より大きな権威をよそから(特に外国)から借りてくるということ。

コーチャの行為自体は間違ってはいないと思う。

そもそも近代以降における既成の権威というものは怪しげなのが多すぎる。近代において科学というのは権威である。数学と理論物理は第一級の科学であると私も認める。ただほかのものはどうだろうか。

例えば生物学とか医学とか、こいつらは科学としては二流だ。
生物学においては、生物の進化というのがなぜ起こるのか全く解明されていない。生物学ではいまだに150年前のダーウィンの進化論がメインフレームだ。ありえないでしょ。150年前の学説を超える論理がいまだに出てこないなんて。
医学においては、人間の意識というものが全く解明されていない。意識の座が脳のどこの部分にあるのかとかは分かっているのだけれど、意識そのものとは何であるのか、ということが分かっていない。人間存在の中核である意識の存在体制を理解できない現代医学なんていうものは、こういう言葉を使うと申し訳ないけれども、片手落ちでしょう。

生物学や医学でさえこのありさま。さらに経済学とか精神分析学とかは科学としては推して知るべし、三流。こいつらは、正直オカルトの部分もかなりあると思う。このように科学の中にもランクがあるにもかかわらず、それぞれの科学が、われこそは数学並みに一流であるという顔をする。

ここがコーチャのような力あふれる少年には気に入らない。だからより大きな権威を借りてきて既存の権威、この小説の中では教育学とか医学とかということになるのだけれど、を否定しようとする。

コーチャの考えは間違っていない。そもそも医学とか精神分析学なんていう二流以下の学問が、数学並みの一流の科学でございという、そのずうずうしさが間違っている。フーコーだね。

しかし何故二流以下の学問の知が、この社会において異常な力を持つのか。

この世界では何らかの知のヒエラルキーに参加していないと馬鹿だと判断されてしまうからだと思う。コーリャも既成の知の権威を否定するために、よそから別の知の権威を借りてくる。既成の知の権威を拒否するだけだと、馬鹿だと判断されてしまう、それがコーリャには耐えられない。

このコーリャにたいしてアリョーシャはこのように言う。
渾身のアリョーシャの言葉を堪能してほしい。

「この節では才能をそなえたほとんどすべての人が、こっけいな存在になることをひどく恐れて、そのために不幸でいるんです。ほとんど狂気のさたですね。悪魔がそうした自負心の形を借りて、あらゆる世代に入りこんだんです。自己批判の必要さえ見いださぬようになってしまったんです。君だけはそうじやない人間になってください」

悪魔が自負心の形を借りてだって。
悪魔がだよ、自負心の形を借りるんだよ。

誰もが心当たりがあると思う。

アリョーシャは、そのような悪魔を拒否するというのではなく、悪魔を寄せ付けないのがすごい。さすが主人公。

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