カラマーゾフ3兄弟の父親であるフョードルが、何者かに殺されてしまった。

長男ドミートリーが父親殺しの罪で警察に捕まる。彼が殺したという確証はないのだけれど、持っているはずのない大金を持っていたりと、いかにも怪しい。

警察がドミートリーを発見した時、彼は彼女とドンちゃん騒ぎをしていたのだけれど、そのまま拘束されて尋問。そこでは警察当局との思想の対決みたいなことになる。


たんたんとした尋問において、ドミートリーは、

「私の私生活に干渉するのは許しませんよ。あなたの質問は事件に関係ないし、事件に関係ないことはすべて、僕の私生活ですからね」

更にドミートリー、

「あなた方もずいぶん暇なんですね」

近代の尋問というのは、何が証拠になるか分からないということで細かいところまでいろいろ聞かれるというのは、現代日本人でも共通のイメージだと思う。
細かい質問にドミートリーはイライラするのだが、これは勘違いしているから。ドミートリーは魂の対話というのを予定しているのだが、警察当局は、調査管理というのを予定している。このアンバランスをこの9編では明確に描き出される。

魂の対話と調査管理の相克。

卑近な例えを出してみよう。

私の職場で中島さんという70歳のおじいさんは、昼休み毎日はいている靴の裏にガムテープを貼っている。

「中島さん、毎日ビリビリガムテープを貼るんなら、新しく靴を買ったほうが早いんじゃないの?」
「そう思うんだけど、なんだかこの靴に愛着がわいちゃって」
「えっ? このワークマンで1980円で買った靴に愛着?」
「うん、なんとなくね。今月いっぱいは粘ろうと思うんだ」

靴の裏にガムテープを貼って靴の寿命を延ばすことが、靴に対する愛着の表現だとは考えもつかなかった。中島さんと靴との魂の対話というのがあったと思う。私は調査管理の論理を中島さんにぶつけてみた。中島さんは愛着という表現でそれを拒否する。
ただ私だから中島さんも拒否できた。しかしこれがもっと巨大な知の体現者から強制されたとするなら、中島さんは自分の愛着に執着し続けることが出来ただろうか。中島さんと靴との魂の対話はどこまで深くなれるものなのだろうか。

結局、ドミートリーの最後の言葉が警察当局に回収されてされてしまったら、話はそれで終わってしまう。最後の言葉を自分のために取っておく、そんな矜持あるいは狂気をもつものこそ立体的な人間だと思う。狂気をはらむ人間こそ生々しい存在で、ギリギリまで近づいてみたいという、心の底を覗き込んでみたいという、そう思わせるものがあるのではないか。

近代と人間との相克。人間と人間との相克。

「蛇が蛇の頭を食べようとしている」

ドミートリーはこのように言うけど、本当にそう。何が正しいとかというのではなく、その相克が美しいという。

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