カラマーゾフの3兄弟の長男はドミートリー、ドミートリーの愛称がミーチャ。

ドミートリーはどこからか3000ルーブルのお金を調達してきて、どんちゃん騒ぎをやる。ドストエフスキーはこのどんちゃん騒ぎの描写がうまい。もっと正確に言うとも、ドストエフスキーとはどんちゃん騒ぎそのもの。

ドミートリーはこのように言う。

「僕はもっと高い秩序のことを言ってるんです。その秩序が僕にはないんだ、もっと高い秩序が.....」

ドミートリーはグルーシェニカという女を好きになって周りが見えなくなってしまう。もちろんグルーシェニカという女を好きになる前は別のことに夢中になっていて、周りが見えなかったのだろうけど。彼はこの繰り返し。崇高なものに一直線につながる自分があるだけで、彼には周りとの協調、すなわち秩序というものがない。

私の会社に50歳くらいの独身の男がいて、この人は両親の仏壇に供えた菓子パンを毎朝朝食として食べるんだという。このようなものが典型的な、古典的な秩序だと思う。50歳にもなって独身なら子孫を次につなげるなんていうなんていう可能性はほとんどないわけだから、祖先からの風習を自分が継続する必然性というものはすでにないんだよね。墓参りヤーメタなんて言ったとしても、別に祖先から呪われるなんていうこともないだろう。家を継続するという祖先のかたたちの最大の希望を果たしていない以上、墓参りとか仏壇のお供えとかもうどうでもいいのではないかとも思うのだけれど、まあそういうわけにもいかないのだろう。

これが古典主義的秩序。

ドミートリーは、「その秩序が僕にはないんだ」と叫ぶ。
いいよ、どんどんやれ。

関連記事