左翼リベラル的な考え方をする人には、知的レベルが高く精神的にハイセンスな人が多い。常識的な整合性を大切にするということで、いっけん何の問題もないかのように見える。

例えば、ネトウヨなんかが、

「このような犯罪を犯したのは、彼らが日本人ではないからだ」

などという奇怪な論理を展開した場合に、左翼リベラルは、

「なに奇怪な論理を展開しているのか? 頭のおかしい奴は精神病院に行って叫んでろ。もしくは自分の頭のおかしいことを自己認識して黙ってろ」

と考える。もっともな意見だろう。
しかし、頭のおかしい奴は切り捨てろ、というのでは新自由主義になってしまう。この立場を左翼リベラルは取らない。
左翼リベラルの立場はもっと慈愛に満ちていて、頭の弱い奴は黙ってハイセンスな私たちについてこい、というものだ。

このような論理が本当に慈愛に満ちていると言えるだろうか? 

ネトウヨが奇怪な論理を展開するのも、彼らは彼らなりに何らかの必然性があるからではないだろうか。奇怪な論理を展開せざるを得ない彼ら自身がそもそも苦しんでいるのではないだろうか。
左翼リベラルの思想は、自分の自己同一性というのは与えられているのだから、他人の自己同一性も与えられているだろうという根拠のない前提に依存している。

左翼リベラルを表現する人というのはそもそも優秀な人で、中学や高校で上級階層に選抜されてしまい、この世界にはどうしようもない人たちが多数存在するということを実地に知らないのだと思う。

甘いんだよな。日本には貴族階級は存在しないのに貴族主義的なんだよね。

左翼リベラルは実際に下層階級の人たちの実体を体感して、彼らを切り捨てるような新自由主義者になるか、もしくは彼らも巻き込んだ秩序を構想するような真のリベラリストになるかを選択しなくてはならない。




magamin1029