「くっすん大黒」は町田康という作家のデビュー作です。町田康は小説家としてデビューする前はパンクロッカーでした。これは今でもか。

これ、小説というよりも、テンションの高い大阪のおっちゃんのオモシロ日記みたいなものです。普通、話っていうのはオチに向けて多くの出来事を落とし込んでいくというスタイルをとるのですが、この小説はスタイルというものもなくて、面白いところは自分で探してくださいみたいな、なんというかまあそんな感じですね。

こういうのって、小説に慣れてしまった近代人には、逆に新鮮だったりします。

私の知り合いに76歳の中島さんという話好きなお爺さんがいるのですが、この人の話が「くっすん大黒」と同じパターンです。
中島さんは昭和32、3年ごろ中学生で、英語の塾に行っていたという。勉強ができないので親に、
「あんた、塾にでも行きなさいよ」
と言われて、近所の塾、東京の碑文谷なんですけれど、に行かされていたという。60年も前に通っていた塾の話を聞かされるのも、私としてめんどくさいというのはあるのですが、私も暇なんで、フンフンと聞くわけです。
そこの塾長というのは数学を教えるのですが、英語の先生は大学生のバイトを雇うのです。中島さんを教えてくれた英語の先生は早稲田の学生で、すごく温厚ないい人だったらしいですよ。いつもニコニコしていて、中島さん曰く、ぽちゃぽちゃっとした小太り体形の男性だったらしいです。
ここまで昔話としては成立しているのですが、話として何も面白くないです。
その英語の先生は、ある日、塾の生徒に本を配ったというのです。
「その先生、本を出したって言うんだよね。だから塾の生徒にその本を配ったんだよ」
塾の先生が自費出版したような本を配っても、そんなこと全くどうでもいいとは思うのですが、一応マナーとして私も聞くわけです。
「それ、どんな本だったんですか?」
「野獣死すべし、っていう題名だったね」
「えっ?」

なんていうか、とんでもないこと言いだしたんじゃないのかと思いまして。


「その英語の先生、大藪って名前じゃなかったですか?」
「うん、そんな名前だったね」
「ちょっと待ってくださいね。その大藪春彦、いや大藪先生、どんな先生でしたっけ?」
「うん、ぽちゃぽちゃっとして愛想のいい先生だったよ」

実話です。

中島さんがもし大藪春彦を頭に持ってきて話を組み立てたなら、普通の自慢話みたいになってくると思うのです。ところが中島さんの話は、あり得ないレベルのグダグダ話なわけで、話を聞くものは、そのグダグダ畑から宝を見つけたり見つけなかったりするようになるわけです。

これって斬新だよなーと思っていまして、町田康も、もしかしたら同じラインを踏襲しているのではないかと思いまして。

こうなると町田康の評価は分かれるでしょう。意味のある話しか読みたくないという人は、町田康を遠慮するようになるでしょうし、町田康の書くものは必ずあたりというものでもないでしょうし。


関連記事/
    



関連記事/ 
底辺会社の現実1 底辺会社の現実2 底辺会社の現実3 底辺会社の現実4
底辺会社の現実5 底辺会社の現実6 底辺会社の現実7.......底辺会社の現実ラスト




かに!カニ!蟹!<美味いカニの専門店> カニの浜海道