村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」のあらすじというのは、
主人公「僕」は井戸の底でリアルな夢を見た。真っ暗なホテルの部屋で妻をめぐって義兄と対決する夢。バットでぼこぼこにしたのだけれど、現実世界では、義兄は同時刻に脳卒中で倒れていた。

というもの。なんだそれ、という要約になってしまうのだけれど、村上春樹の楽しみ方というのは、この要約にどういう意味をのせていくかということになると思う。意味をのせるなんて意味がないと考える人もいるだろうが、それはそれでかまわないと思う。

どのように意味をのせるかというのは、真理を探究するなんていうものではなく、世界説明の仮説をつくってみるという程度のもの。以下に「ねじまき鳥クロニクル」世界の個人的説明仮説を展開します。

女性をめぐっての対決という図式は、ごぞんじ「ノルウェイの森」にも存在している。

「ノルウェイの森」の主人公「僕」は高校時代の親友であったキズキの彼女であった直子を好きになる。キズキと直子はベストカップルだったのだけれど、何故かキズキは直子を残して自殺してしまう。残された直子は精神的に極めて不安定になる。「僕」は直子を助けようとするのだけれど、結局直子はキズキの後を追うようにして自殺してしまう。

すなわち直子をめぐって、生きている「僕」と死んだキズキの綱引きがあって、結果「僕」はキズキという死者に負けてしまう。
ではどうすれば「僕」は直子を救うことができたのだろうか。「ねじまき鳥クロニクル」はこの疑問から始まる(仮説だよ)。

なぜ直子が自殺したのかというと、直子の精神状態が不安定だったからだ。精神的な不安定さから回復するためには、回復しようとするその本人に回復するための精神的な足場がなくてはならない。足場がなくては登ることはできない。井戸に落ちたら独力では登ることができないように。

直子は自殺した。自殺者を救うにはどうすればいいのか。

大正時代以降、日本において最も自殺率の低い年は昭和18年だ(昭和19,20,21年は統計がない)。昭和9年以降、徐々に自殺率が低下し始めている。これは満州事変以降の戦時動員体制の進捗と軌を一にしている。総力戦体制は直子を救える可能性がある。

「ねじまき鳥クロニクル」の主人公「僕」の敵役である義兄「綿谷ノボル」は新進の政治家だ。綿谷が選挙地盤を継いだ彼の叔父というのは、戦前において対ソ連戦のための防寒研究をする軍官僚だった。すなわち日本総力戦体制の一翼を担うような革新軍官僚だったわけだ。綿谷はこの血脈を継いでいる。

「ねじまき鳥クロニクル」の中でノモンハンとか北部満州での描写が多く出てくるのは、日本の戦時総力戦体制を小説的に肉付けするためだろう。
ちなみに総力戦を呼号する現在の安倍総理の祖父は岸信介であり、岸は戦前、満州を総力戦の実験場にした革新官僚群のトップだった。
そして安倍が総理に就任した2012年以降、日本の自殺率は劇的に低下している。
綿谷ノボル陣営は、強力にグロテスクに直子的存在を救おうとしている。それに対して「僕」はどうか? はっきり言って徒手空拳だ。本文中にこのようにある。

「オペラの中では王子さまと鳥刺し男は、雲にのった三人の童子に導かれてその城まで行くのよ。でもそれは実は昼の国と夜の国との戦いなの・・・・・」
ナツメグはそう言ってから、指先でグラスの縁を軽くなぞった。
「でもあなたには今のところ鳥刺し男もいないし、魔法の笛も鐘もない」
「僕には井戸がある」と僕は言った。

井戸があるからどうだというのだろうか?

「僕」はナツメグ、シナモン母子と知り合う。この母子の仕事というのは、本文中には明確には書かれていないのだけれど、どうやら精神的に不安定になってしまったエスタブリッシュメントの子女たちの一時的精神矯正みたいなものらしい。
はっきり言ってしまえばオカルト療法だね。
「僕」は井戸という裏技?を使い、この母子と組んでエスタブリッシュメントの子女たちにオカルト的精神療法を施す。

確かに直子を救うことができるのならオカルトでも何でもいいという論理は成り立つ。村上春樹のオウム真理教にたいする興味は、このあたりから発生しているのではないかと思う。
どちらが直子をより救えるか。総力戦思想vsオカルト療法、ファイ!! みたいなことに結局はなるのではないだろうか。

オカルト療法もなくはないと思う。ローマ帝国だって、その末期にキリスト教というオカルトを導入して帝国の一体性を延命させようとしたのだし。
でも、個人的にはオカルトはちょっと遠慮したい。日本はまだそこまで落ちぶれてはいないと思う。

大体以上が私が「ねじまき鳥クロニクル」を読んでの世界説明なのだけれど、もちろん様々な世界説明があってかまわないと思う。ただし村上春樹も普通の人間なのだろうから、あまりに村上ワールドを巨大に考えてしまうと、それは過大評価だろう。

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