米澤穂信という小説家の小説ははじめて読んだ。

この「儚い羊たちの祝宴」は五つの作品からなる連作短編集だった。
お嬢様限定の大学読書サークルというのがあって、そのサークルに参加する女の子たちのそれぞれのミステリーみたいな感じだった。
読書好きのお嬢様はいったいどのような本を読んでいるのかというと、
第1作目 「身内に不幸がありまして」 のお嬢様の愛読書はなんと、

泉鏡花の「外科室」

マジか? あれってうわごとを聞かれたくないからといって麻酔なしで手術しようとする女性の話だろう。そこまで自分を追い込まなくてもいいのにという。
まあいいだろう。

第4作目 「玉野五十鈴の誉れ」 のお嬢様の愛読書はなんと、

「荘子」

マジか? 荘子だよ。老子、荘子の荘子だよ。
「鳥となる。名を鵬という。羊角して昇ること九万里」
「誰も知らず、荘周の夢の胡蝶であるか、胡蝶の夢の荘周であるか」
こんな感じで、女の子が読むようなものではないと思うけれど。でもこれは彼女の祖母が悪い。この祖母は家の暴君で、お嬢様が友達を作ろうとするとことごとく反対して、その言い草が、

「直(なお)きを友とし、諒(まこと)を友とし、多聞(たぶん)を友とするは、益なり」 それなのにあのものにはどれもが欠けています。

ときた。論語です。しかしこの言葉には続きがある。

「便辟(べんぺき)を友とし、善柔を友とし、便佞(べんねい)を友とするは、損なり」

おばあさん、あなた損な友達しかいないでしょう、みたいなことになってしまう。
女の子を奇怪な文学から解放してあげたいと思う。もちろんこの小説の中での話なのだけれど。米澤穂信の短編小説とかはオススメだ。とにかく読みやすい。気の利いたひねりが利いていたりするし。

まあでもお嬢様たちは、すでに米澤穂信の小説の中にいるのだけれど。