ウォーラステインの世界システム論を分かりやすく理解しちゃおうという本です。
 
「世界システム論」を簡単に説明すると、現代の資本主義世界というのは歴史的に経済的分業体制の中から現れたというものだ。
これだけ聞くとたいしたこともないような感じなのだけれど、突き詰めて考えるとすごいことになる。

現代世界には先進国と発展途上国とがある。日本もはまがりなりにも先進国なのだろうけれど、私たちは発展途上国が発展途上国であるのはそこにくらす人々の教育が足りないからだとか、怠け者の国民性だからだとか考えがちではないだろうか。
カリブ海諸島が砂糖を生産して、イギリスの労働者がその砂糖を消費しながら工業製品を造るという経済的分業があった。
カリブ海諸島の人々はサトウキビを育て収穫すればいいだけであって、その世界はサトウキビで単純化されていて別に何も難しいことを考える必要はない。
イギリスの労働者は工場で働くための規律を求められる。定時に工場に来なくてはならないとか、我慢強く機械を操作しなくてはならないとか。彼らには前もっての訓練が必要だろう。教育という名の。
時は流れて、カリブ海諸国が発展途上国となりイギリスが先進国になったとして、カリブ海諸国が発展途上国であるのは、その国民が怠け者だからなのだろうか。イギリスの労働者を優秀にしたとされる教育とは、そもそも一体何なのだろうか。

現代において国家の存在というものは当たり前となっている。それを前提に私たちも紫式部を読んで、いにしえの日本はすばらしいなどとおもう。しかし明確な近代国家というのが現れたのは、ヨーロッパ近代の絶対王権以降だ。何故かと言うと、経済的分業体制の中では出来るだけ上流に行ったほうが有利なんだよね。相手に伍して上に行くためには出来るだけ多くの仲間と出来るだけ一体となって進んだ方がいいわけで、その文脈から国家的なものが現れたのだろう。
日本は島国で国家的な一体性を醸成しやすかったというのはあるかもしれないが、この考えを世界の全ての地域に当てはめるというのは危険だろう。

資本主義を歴史的経済分業体制だと考えると納得できることもある。
お茶に砂糖を入れるというのは普通ありえない。お茶を飲みながら甘いお菓子を食べるというのはあるけれど、お茶に直接砂糖を入れてしまったら趣も何もなくなってしまう。
しかしこのありえないことを実行してしまった国民がいる。
イギリス人である。
紅茶である。
17世紀のイギリスでは、お茶も砂糖も高級品だったらしい。イギリスの王侯貴族が、最初に高級品であるお茶と砂糖を混ぜる自分すごいというアピールをしたらしい。イギリスの発展と共に、その奇妙なアピールが庶民に広まったという。
経済分業体制、恐るべしだね。