プラトンの「饗宴」とは】、6人の話者が順番に愛(エロス)について語るという内容。

これだけ聞けば、「愛」などという漠然としたものについて6人が語り継いでいくって、これだいじょうぶか?と思うだろう。6人それぞれが、自分勝手な愛認識を語って終わりなのではないかというのが疑われる。
しかし実際にこの「饗宴」を読んでみると、6人の話者はそれぞれに非常に有能であって、強力な論理を順番に積み上げ、最後のソクラテスに全てをたくすという構造になっていた。さすがヨーロッパ文明の古典中の古典だと思った。


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トップバッターはファイドロス。彼の論理の骨格はこれ。

「愛は素晴らしい。何故なら少年愛が素晴らしいから」

いきなりヤバイことを言いだしたんじゃないの? 
ファイドロスの少年愛に対するこだわりは止まるところを知らない。
愛する少年を持つことほど素晴らしいことはこの世界にはない、とか、
愛する少年の前では卑怯なことは絶対にできない、とか、
戦争において武器を投げ出して逃げるところを愛する少年に見られるくらいなら何度でも死んだ方がマシだ、とか、
故に、愛する者と愛される少年とから成る国家があるとするなら、それは全く無敵の国家となるだろう、とか、
なるほどと。価値観は様々だろうから。

2人目の話者はパゥサニアス。愛には下級、上級の二種類があるという。分けて考える、悪くない。下級の愛というのは、女性に対する肉体目当ての愛。オヤジ最低だよね。では上級の愛とは何かというと、これが少年愛。

また少年愛かよ!

女性の肉体に対する愛が何故低級なのかというと、女性の花時が過ぎ去ってしまうと男はたちまち飛び去ってしまうからだという。それに対して少年愛は二人にとって永続的であるから、より価値があるという。
(評価は控えたい)
パゥサニアスは少年愛に匹敵する愛があるという。それは徳(アレテー)に対する愛だという。
女性の肉体や富に対する献身は恥辱であるけれども、徳(アレテー)や少年に対する献身は恥辱ではない。故に愛するものがその少年と共に徳(アレテー)に向かって行進することが最もすばらしいエロスである、ということになるらしい。
結局、少年愛というのは今で言うプラトニックラブのことだろう。プラトニックラブを足場に徳に向かって進軍することが第一級のエロスだということになる。
ギリシャ的だなとは思うけれど、言いたいことは分からなくはない。

3人目の話者はエリュキシマコス。彼の職業は医者だ。
彼は語る。少年愛のような良いエロス、女性の肉体を求めるような悪いエロスがあるというが、それは人間それぞれの個体の中にもある。調和的なエロスは人を健康にするが、放縦なエロスは人を不健康にする。医者の役目というのは、人にとってどのエロスが調和的でまたどのエロスが放縦かを判断することだ、という。

言論レベルがちょっと上がったんじゃないの?

さらにこう続く。
いま医者から診ての人のエロスについて語ったけれども、同じことが多くのことにに当てはまるのではないかという。例えば、音楽や詩や季節など。よい音楽というのは、エロスと和合とを喚起するところの音楽である。
良いエロスとは周りの事象を調和的にするある種の力だということだろう。
素晴らしいアイデアだ。さすがエリュキシマコスはアスクレピオスの末裔を自称するだけある。

4番目の話者はアリストファネス。職業は喜劇作家。
彼は喜劇作家らしいことを語る。
現在、人間の種類は男と女の2種類なんだけれど、太古においては、二人で一人的な男男、女女、男女という合体的なあり方で人類は存在していたという。人間はその一体性に満足していたのだけれど、満足したが故の傲慢のために神によって二つに分けられた。
それ以後、かつて同性同士くっついていたものたちは同性を捜し求め、男女とつながっていたものは異性を求めるようになったという。
この寓話はどういう意味かというと、エロスとは失われた一体性を回復しようとする渇望だ、ということだろう。
これまでの話のつながりから言うと、アリストファネスは「良いエロスこそが和合として価値がある」という話の中での「良い」という意味を相対化してやろうとしているのだろう。
医者という権威に対して寓話で挑もうというのだ。さすが喜劇作家だけある。

5番目の話者はアガトン。職業は役者。
彼のスタンスは、とにかくエロスを褒め倒そうというもの。
エロスは若くて、精神的に柔軟で、姿はしなやかで、物腰が優雅である、という。

アガトン君、君は具体的な少年を眼前に思い浮かべながら語っていないか?

アガトンのエロス賛美は続く。
何人も強制によってエロスに手を触れることはできない、とか、
エロスと共に歩めば勇気が沸きおこり「アレスさえも敵ではない」、とか、
エロスがひとたび触れれば、これまでムーサ神に無縁であった者ですら巧妙な詩人となる、とか、
アガトンは、何と言うか「口説きモード」に入っているだろう。彼の言説は意味がないように見えるのだけれど、口説くことの大事さそれ自体を教えている。男として生まれてきて、(少年は口説かないけれど)女性の一人も口説かないでどうするか。白馬に乗った王女様が自分を迎えに来るだろう、という考え方が一番危険だ。人はエロスの導きによって上昇していかなくてはならない。

6番目、最後の話者はソクラテス。西洋史上最大の哲学者。
ソクラテスはディオティマという女性から聞いた話を語り始める。
人間の寿命は有限だ。故に永遠を求める。この永遠を求める情熱がエロスだという。男は美しい女性をはらませたいと、ぶっちゃけて言えばヤリたいと。わかりやすいエロスだ。子供が生まれて子孫が続いていくなら、これは永遠だから。
これだと動物と同じで、肉欲に止まっていてはいけない。肉欲よりも精神の方がより人を永遠に導くわけで、精神のエロスに人は移行しなくてはならない。精神のエロス、これすなわち少年愛。

徹頭徹尾、少年愛。

ここまでは前の5人の話者と内容レベルは同じだ。
さらにソクラテスの話は続く。
一人の少年の中に精神の美を観取したものは、自然と多くのものの中に精神の美を見るようになるだろう。多くの少年や様々な職業や制度の中に。これらの美は互いにつながっている。
(これは3人目の話者エリュキシマコスが語っていたことと被っている)
全ての美はつながっているのだから、一人の女性や一人の少年や一つの職業活動に執着するのは、もはやみじめな奴隷的こだわりである。人は美の大海に乗り出し、崇高な思想を生み出しつつ、ついにはこれによって人は力を増し成熟していくという。

これはもう予言だろう。ギリシャのポリス世界からローマという大帝国の世界へ。ローマが何故あのような大帝国になったのかというと、細かい諸事情はあるだろうが結局のところは「全ての美がつながっている」という確信が古代世界にあったからだろう。現代の私達の世界が多くの国々に分裂してあるのは、「全ての美がつながっている」という確信が今だ十分に育っていないからだろう。

ソクラテスの話はさらに続く。
愛の道についてここまで教導を受けたものは、今ようやく愛の道の極致に近づく。最後にいたり人は突如として驚くべき性質の美を感得する。独立自存し永遠で圧倒的な美が彼の前に表れるでありましょう。
生がここまで到達してこそ、美そのものを観るに至ってこそ、人生は生き甲斐があるのです。

これこそが本物のイデア論だろう。

長々と「饗宴」について書いてきた。このレベルの書物になると、世界を説明する哲学ではなくて、世界に命令する哲学みたいなものだろう。ド迫力だよ。


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