明治維新から現代までの日本近代の流れを解析する。よって見ていってください。

日本の近代というのは「官僚主義」と「維新主義」の相克と考えることもできる。戦前においては統制派と皇道派、明治維新後においては政府と西郷軍、明治維新前においては幕府と攘夷派。いったいこれ、どこまでさかのぼることが出来るのだろうか。

まず「官僚主義」について。
テツオ・ナジタは初期官僚主義の代表的イデオローグとして山崎闇斎(やまざき あんさい 1619-1682)と荻生徂徠(おぎゅう そらい 1666-1728)の二人をあげている。
山崎闇斎とは朱子学系統の儒学者。朱子学というのは、秩序の規範はこの世界の外にあると考える。伝説の古代に秩序の規範を求めたりして、考え方としては分かりやすい。
荻生徂徠は荀子、韓非子ラインの法家系統の儒学者。法家思想は、秩序の規範はこの世界の内にあると考える。だから秩序を支える法律というものは絶対ではなく、時代に合わせて変えていかなくてはならないとする。
山崎闇斎と荻生徂徠、これはどちらが正しいというものでもないだろう。時代の要請にあわせて、より有効な哲学が社会のヘゲモニーを握ればいいという感じだろう。

次に「維新主義」について。
テツオ・ナジタは初期維新主義の代表的イデオローグとして中江藤樹(なかえ とうじゅ 1608-1648)と本居宣長(もとおり のりなが 1730-1801)の二人をあげている。
中江藤樹は江戸初期の陽明学者。陽明学というのは朱子学と同じ新儒教の一派。朱子学では規範は世界の外にあると考えるのだけれど、陽明学は規範は世界の内にあると考える。それでは法家と一緒ではないかと思われるかもしれないが、法家は性悪説に立つ。だからビッチリした法律体系が必要だと考えるわけだ。これに対して陽明学は性善説に立つ。性善説の言論なんてぬるいのではないかと思ったら大間違い。性善説はギリギリの言説だ。テロリストというのはだいたい性善説をとる。
本居宣長は国学者だ。国学者というのは体系的言論が嫌いなんだよね。めんどくさい話が嫌いだというだけなら別に毒にも薬にもならないのだけれど、これ例えば、あなたは日本人ですよね、日本人なら万葉集は好きですよね、万葉集はすごくいいです、それぞれの人がそれぞれに素直なこころを歌います、それにしてもさかしらって嫌ですよね、なんていうささやきがあったとする。これを受け入れてしまうと美しき天皇制への一筋の血路が開かれ、朱子学とか官僚主義とか絶対勘弁みたいなことになる。国学というのは時代状況によっては強力な力を発揮する可能性がある。

江戸時代において役者は出そろっている。これらの思想群が昭和初期にどのように変形してあったのか? 幕末から昭和初期までの思想の流れを、上記にあげた四つの思想潮流に当てはめながら「明治維新の遺産」にそくして簡単にみてみる。

ペリー来航以来不安定になってしまった幕府的秩序を立て直すために大老井伊直弼は強権的手法に出た。朱子学的世界観をわきにおいて法家的思想を突然前面に押し出した。しかしこういうのはよくない。井伊直弼は全体の合理性のために安政の大獄を行ったと思っていただろうが、外から見れば、この合理性は井伊直弼個人の合理性なのではないかと判断されかねない。そして桜田門外の変以降テロルが止まらなくなってしまった。

明治維新から明治10年まで内乱が多発し政情はきわめて不安定だった。これは結局、大久保利通に代表される合理的官僚主義の完成を目指す勢力と西郷隆盛に代表される陽明学的維新主義を貫こうとする勢力との相克だったろう。明治政府は維新主義を排除したのだけれど、なかなか民心は収まらない。明治10年以降は自由民権運動が隆盛を極める。法家的合理主義を押し出すだけでは安政の大獄と同じであって、その合理性はお前の勝手な合理性に過ぎないと判断されてしまう可能性がある。

合理性には根拠が必要だというのは朱子学的思想だ。もう朱子学の根拠は使えない。新たな根拠として設定されたのが明治憲法だ。伊藤博文は憲法発布を予告することによって、自由民権運動を押さえ込むことと合理的官僚体制を整えるための時間稼ぎとの二つのことを成し遂げた。
合理的官僚体制は明治憲法を根拠にして、さらに明治憲法は「日本は独立してあるべきだ」という国民的総意によって支えられ、明治日本は朱子学的に安定した。

日露戦争に勝って日本は一等国になった。そして同時に、明治憲法は「日本は独立してあるべきだ」という支えを失った。日本官僚体制は、その合理性の根拠である明治憲法から解放された。この間隙をついて政界でのし上がったのが原敬だ。
原敬の論理と言うのは、官僚体制の中で政党が利益配分のヘゲモニーを握ることで全体をコントロールしようとするものだ。簡単に言えば利権政治。根拠を持たずに官僚的整合性を達成しようとするのは、荻生徂徠の法家思想の流れだ。この思想の欠点はなんだっただろうか?

大老井伊直弼は安政の大獄で法家思想を前面に押し出し、「その合理性はあなたの勝手な合理性でしょう?」という反論を喰らいテロルが止まらなくなった。
戦前政党政治は1925年4月公布の治安維持法によって、その法家思想ぶりを前面に押し出し、結果テロルが止まらなくなってしまった。
陽明学と国学がハイブリッドした維新主義が幕末と同様に凄惨を極めた。原敬以降政党政治家で総理大臣になったものは、原敬、高橋是清、加藤高明、若槻禮次郎、田中義一、濱口雄幸、犬養毅の7人だけれど、このうち4人が暗殺されている。
戦前軍部の皇道派と統制派を明治初期に当てはめるなら、皇道派は西郷隆盛で統制派は大久保利通だろう。皇道派が226事件で既存の官僚体制を沈黙させた後、統制派は日中戦争、太平洋戦争の非常時を利用して、明治官僚体制よりさらに合理的な「総力戦体制」とも呼ぶべき官僚体制を作り上げた。

アメリカの物量の前に、日本の総力戦体制もあっけなく崩壊し、日本は一敗地にまみれた。戦後の混乱期を切り抜けると、日本の合理的官僚制度は復活した。
戦争体験によって強化された総力戦的官僚体制は日本国憲法という根拠を与えられ、日本国憲法は「経済的に欧米にキャッチアップするべきだ」という国民的総意によって支えられていた。
しかしバブル崩壊により、上記の国民的総意は失われた。日露戦争の勝利によって「日本は独立してあるべきだ」という国民的総意が失われたのと同じように。
バブル崩壊以降の日本の政治は不安定化し、どこが政権をとっても、「その合理性はおまえの勝手な合理性なのではないのか?」と指摘される危険にさらされている。

江戸時代から現代までを、朱子学、法家思想、陽明学、国学の四つの思想の絡み合いという視点から見てみた。これをトータルで考えてどう判断するか?
なぜ日本という極東の小国がいち早く先進国まで自らを押し上げることが出来たのか。それは、古い合理性を後にして新しい合理性を求めてチャレンジしたからだろう。それも二度も。
そのチャレンジのための思想、朱子学、法家思想、陽明学、国学の四つの思想(このうち三つは中国思想だけれど)が、近代以前の日本にはすでに与えられていたということにもなる。


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