現代においてヨーロッパは進んでいて日本は遅れているなんて考えている人はあまりいないと思う。でも30年ぐらい前までは、ヨーロッパ進んでるイメージというのはあった。ヨーロッパ仕込の文学や哲学がもてはやされて、知識人はすぐパリとかに行っちゃったりする。今から考えると、そんなパリモードエモーション(私の造語)が許されるのは岸恵子ぐらいなものだろう。

戦後の何十年か、日本はヨーロッパを仰ぎ見ていた。しかしそれは戦争に負けた自信喪失の結果であって、誠実に比較して東洋の思想が西洋思想より劣っているというものではない。戦前の日本人というのは、この辺のところをかなり正確に理解していたと思う。

戦後のヨーロッパ中心史観で戦前の日本思想を判断するというのは、トータルで考えてちょっと失礼だと思う。この本における色川大吉の歴史観というのは、丸山真男などよりはまだマシなのだけれど、失礼具合というのがいくらかある。
色川大吉は、明治10年代の自由民権運動が自由と民主主義につながっていかなかったことに不満を持っている。

日本の弱さみたいな。

しかしそれはムリでしょう。19世紀のヨーロッパが民主主義だと思ったら大間違いだ。例えばフランスで男女対等の完全普通選挙法が制定されたのは1945年で、これは日本と同じだ。女性に選挙権の与えられない政治体制というのは民主主義とはいえないでしょう? 

では、戦前の日本の、さらに言えば第二次大戦前のヨーロッパの政治体制とは民主主義ではなくなんだったのかというと、ぶっちゃけて言えば金持ち支配体制ということになる。金持ちが貴族風を吹かせていたということ。世界的に第一次世界大戦で金持ち支配体制の世界観はグラつき、第二次世界大戦後に完全に崩壊した。
だからありもしないヨーロッパ自由思想で明治の日本思想を断罪するというのはちょっとどうかと思う。徳富蘇峰はファッショで北村透谷は民主主義だという論理は、意味がないだろう。戦前の日本思想がヨーロッパより遅れていると言う判断は、ヨーロッパの金持ちの意識レベルを日本の貧乏人が持てないのは日本思想の脆弱さ故だということになって、これは馬鹿が馬鹿を言っているレベルだろう。

さらに考えれば、しょうがないということもある。
とにかく日本は頑張りすぎた。西洋文明を相手に日本一国で対抗するというのはそもそもムリなんだよ。中国は何してるんだという話だ。眠れる獅子は19世紀半ばからずっと寝ていた。21世紀になって眠れる獅子はやっと目覚めた。図体がでかいだけあってトロいところがある。日本は疲れたから、中国、あとは頼むよという、そういうところに落ち着くと思うけれど。