日本はいつから日本だったのでしょうか。

今の地方都市の原型である伝統的稲作農村が発生したのは、平安末から鎌倉初期にかけてです。どこの町にも昔ながらの祭りってありますよね。その祭りの起源というのは、遡れても平安末までです。

平安時代末期になって、稲作農業の技術が住民の定住を可能にするレベルを超えてきたということです。

伝統的稲作農村には団結力みたいなものが必要で、そのためにある種のタブーみたいなものが利用されます。例えば、葬式の時のしきたりとか、祭りの前にしなくてはいけないこととか。田舎にはありがちですよね。そのようなタブーによって村内と村外を明確に分けて、村内の団結を強めるわけです。

しかし、稲作農業というものには、大量の人手を必要とする時期があります。農村の周りには否定住民というか、自由民というかそういう人が存在していて、村内の人、村外の人持ちつ持たれつというわけです。村外の人にとって村のしきたりなんていうものは、何の関係もありません。

法然は念仏を唱えさえすれば浄土にいけると人々に説きます。村内のタブーを重視する人たちは、法然の教えを受け入れることは出来ません。念仏の価値が絶対ということになれば、タブーの価値が下がって村の団結力が解体してしまうからです。しかし、法然の教えは村外を漂泊する人たちには受け入れられやすかったでしょう。

日本は天皇をその象徴とする美しき瑞穂の国なのでしょうか。全ての日本人が、その瑞穂の国なるものに参加していたのでしょうか。伝統的稲作農村の周辺には、かなりのの自由民というものが存在していました。現在、浄土宗、浄土真宗をあわせれば、その信者の規模は他の宗派を圧して日本最大です。墓参りの意味が分からないとか、葬式の段取りが生理的にイヤだったとか、結婚式ってバカバカしくない? とか思っている人はかなり多いと思います。でもそんなことって大声で言いにくいですよね。ある一定の社会的基盤をもつ年齢になってくれば、日本的習慣を無視するというのは、自分の基盤を否定するような気がしてきますから。

でもそれは違う。

日本的伝統を無視するのも日本的伝統なのです。