東野圭吾は量産作家で作品すべてが当たりというものではないと思うけれど、この「赤い指」は当たりの部類だろう。

中学3年の一人息子が7歳の女の子を自宅で殺して、それを両親が隠そうとして隠しきれなくなると同居しているボケた夫の母親に罪をかぶってもらおうと画策して最後にばれてしまうという話だった。

東野圭吾のよさというのは、価値のバランス配分というのが絶妙なところだろう。
幼女を殺した中学3年生の母親というのは、20世紀の価値観からすれば一番非難しやすいところだと思う。この女性、一人息子は甘やかす、専業主婦なのに家事は手抜き、夫のボケた母親の面倒はみない、息子の殺人を真っ先に隠そうとすると全くみるべき所がない。にもかかわらずこの小説内では特別に非難されているわけでもない。
女性の解放とそれに対応すべき社会意識の未熟さの矛盾を勘案して、東野圭吾は彼女に厚めに価値を配分している。

そのワリを食っているのが中学3年の息子だ。そもそもコイツが殺しているのだからどうしようもないのだけれど、まだ15歳の犯罪なのだからコイツがいじけた理由の思い出話とかがあってもいいと思うのだけれど、そのようなものは一切ない。物心ついいたらダメ人間だったみたいな、戸塚ヨットスクールにでも入れるしかないみたいな感じだね。

この小説世界における価値配分の代行者が刑事の加賀ということになる。謎を解くだけではなく価値まで配分しようというのだからたいしたものだ。