「民爲貴、社稷次之、君爲輕」
これを書き下し文にしてみると、
「民を貴(たっと)しとなし、社稷これに次ぎ、君を軽(かろ)しとなす」
となる。

「孟子」のここの部分を、吉田松陰は「講孟箚記」で、「異国の事はしばらく置き、わが国はかたじけなくも、うんぬん」と皇国史観を絶叫している。これは吉田松陰の限界というより、日本人の限界の結果だと思う。幕末において西洋の圧力というのが極めて強くなっていて、日本はその一体性を問われていた。一体性を確立できなければ、当時の東南アジアと同じ運命をたどっていただろう。

はたして孟子の総力戦思想だけで、日本はその一体性を維持できただろうか? たまたま続いてきた天皇という制度を利用し日本を救おうとしたとして、日本人にとってだよ、何か問題があるだろうか。

そもそも孟子の言説の眼目や目的は、一つの国なら国の一体性を高めようというものだったと思う。同じ規模の国同士が戦った場合、どちらが勝つかというと、それはその国の一体性の強度に依存している。これは人間個人のぶつかり合いでも全く同じだ。誰もが経験があると思うけれど、同じハードワークをしていても、人格の一体性の怪しげなやつから脱落していく。

大事なポイントは一体性にあるわけだ。

孟子はこの一体性を強調する言説を貫いた結果、「民を貴(たっと)しとなし、社稷これに次ぎ、君を軽(かろ)しとなす」という場所に行き着いたともいえる。だからこの言説は、民主主義というのではなく総力戦思想の一つの表現なんだろう。

戦後、平和な世界が訪れて、明治維新で天皇まで持ち出す必要はなかった、という言論も成り立つようにはなった。しかしそれは結果論であって、私はとてもそのような楽天的な言説を、ギリギリの世界生きた吉田松陰に押し付けることは出来ない。


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