論語 里仁第四 073 にこのようにある。
「子日わく、人の過ちや、各々其(そ)の党に於(おい)てす。過ちを観て斯(ここ)に仁を知る」
これをどう読むか。 私なんかは、人の振り見てわが身を、みたいな感じで読んでしまう。東洋哲学の碩学、宇野 哲人は、「論語新釈」のなかで、「過ちを観てここに仁を知る」の部分を、「過失を見ると仁者が不仁者かがわかる」と訳している。 宇野 哲人、ちょっとおかしくないか、気持ちは分かるけれども、「仁を知る」を「仁者が不仁者かがわかる」というのでは、飛躍ではないのか?  では、この部分を吉田松陰はどのように判断しているのか。        年末で仕事が忙しくて、体力的にこれ以上書けないので、続きは明日で。