ボヴァリー夫人はフローベールの知り合いの女性であったシュレザンジェ夫人がモデルであると言われていますが、そんなことはどうでもいいですね。

ボヴァリー夫人は、もっと人から頭のいい女性だと思われたいとか、もっと人から上品で美しい女性だと思われたいとか、そのようなことを願う。 少なくはなってきているとは思うけれど、現代日本にもよくいるタイプの女性だ。奇妙な競争心が、過剰に加速してしまって経済的に行き詰まり、ボヴァリー夫人は最後自殺してしまう。   
なぜボヴァリー夫人は、奇妙な競争心を心の中で育ててしまったのか。  
彼女が暇だったからだ
私の知り合いの女性は、親が金持ちで働く必要がない。趣味が、バレエ、モダンダンス、ジャズ、オイリュトミー、舞踏、狂言だという。最近は舞にこっていて、 日本古代から繋がる無限なる世界を舞で表わしていくことを目指しているらしい。    

奇妙な競争心。   
暇すぎるだろう。    
オイリュトミーってなんだ?   

そもそもボヴァリー夫人はなぜ暇だったのかというと、専業主婦だったからだ。医者の奥さんで、家事をする女性を雇っているから、実質的な仕事というのはボヴァリー夫人にはない。 

では、なぜ医師の旦那は、このようなほぼ無意味な女性を抱えているのか? まあそれは社会的な要請だろう。医者という、19世紀半ばのフランスでは中産階級上位の階層の男は、専業主婦を抱えるべきだという社会的要請。 
これも、男世界での奇妙な競争心の結果というべき現象だろう。  

男が中産階級の大人となったら、専業主婦を抱えて、専業主婦は暇をもてあます。暇をもてあます女性を抱えていることによって、男は周りから中産階級の大人だと認められる。専業主婦は暇だから、家をやたらきれいにする。小物製作みたいな役に立たない趣味を始める。これらの事が、男が周りから中産階級の大人だとより認められるための材料になる。  

すなわち、ある世界観が、事象の循環によって強化されるという。  
ボヴァリー夫人は、奇妙な世界観に囲まれている。自分の無意味な競争心にふと疑問を感じて、このように思う。
「しかしいったい何が彼女をこんなに不幸にしているのだろうか? 彼女を転倒させてしまった異常な禍はどこにあるのか? 自分を苦しめる原因を捜すように彼女は頭をあげて周囲をみまわした」
この本が風俗紊乱で問題になって、フローベールが法廷で、「ボヴァリー夫人は私だ」と言ったのは有名だけれども、そのフローベールの真意というのは、トータルで考えて近代批判みたいなものだと思う。


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