岸信介とパク・チョンヒが、ともにね、満州帝国でその総力戦思想を形成して、その後それぞれの国に戻って、その総力戦思想を実践したという歴史認識は、まずその通りだと思う。  現在、日本では安倍総理が総力戦を呼号しているけれども、これも岸信介の戦前思想を明らかに継いでいる。  だからといって安倍の政策を否定するって難しいと思うんだよね。 総力戦思想を脱却して新自由主義的な市場経済への脱皮なんてムリだろう。 東アジアには、その根拠がない。 新自由主義的な市場経済というのは、一神教的な宗教の基盤があってこそ広域的に成立するものであって、神の存在しない東アジアではムリでしょう。 これがなぜムリなのかというと、例えば新自由主義的な市場経済が日本で達成されたとして、その世界についていける日本人とついていけない日本人が明確に区別されてくるだろう。 その時にだよ、この二つの階層の間にコミュニケーションというものは成立するだろうか? 絶対神という共通の岩盤がないわけだから、最後日本社会はバラバラになってしまうだろう。 新自由主義的な市場経済を完全に履行するということは、東アジアでは実行不可能だ。 結果、総力戦思想という、別の道をとらざるを得ない。 そもそも、この総力戦思想とは何かというと、その淵源は明治維新にある。 明治維新における最大のイデオローグは吉田松陰だ。 吉田松陰の言説を実際に読んでみると、その思想の根幹というのは、「論語」や「孟子」を直接読んで理解しようという意思だ。   すなわち、論語」や「孟子」に規定された東アジア世界は、総力戦思想の枠組みを越えることができないんだよ。 これは、一神教に規定された欧米が、新自由主義的な市場経済の枠組みを越えることが出来ないのと同じなんだよ。  雑な論理展開ではあるとは思うけれど、大筋ではこんなものだろう。